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久々に犬の話(飼い主バカ)

犬は1歳2か月になった。
最初のころ心配されていた「怖がり」も「人見知り」も1歳を過ぎた頃からあまり気にならないレベルに落ち着いた。
まあまだ知らない犬がずんずん自分に近寄って来るのは怖いようで、そういう場合は拒否するように後ずさるか方向転換して逃げるポーズをとる。
しかし相手の犬がその飼い主さんの気遣いによってリードを引かれて去るとわかると急にくるりと踵を返し追うようなポーズをする、ことがある。
「なんだお前 もう逃げんのか」と言って煽るかのような姿勢。
あれは何なんだろう?
『最初に逃げたのあんたでしょ』とツッコミを入れたくなるが、話がややこしくなるといけないので、そのままこちらもリードをぐいと引っ張りその場を去ることになる。
まあ、とかくよその犬や人との邂逅は、お互いの思惑がすれ違うことが多いのでよほどの知り合いじゃない限り積極的に近づかないし近付いてくれるなサインを匂わせるようにしている。
おかげ様でトラブルのようなものはない。
飼い主警察的に
「子犬のうちにいろんな犬や人と触れ合わせないとダメよ~」と言うオバ様も(最近お目にかからないけど)、こちらはもう子犬ではないのでそれ以上口出し無用でしょ、と私は思っている(もしまた会ってそう言われても言葉には出さないけどね)。

まあ社会性と言う意味で百点満点ではないかもしれないけれど、動物病院でも、トリミングサロンでも、ペットホテルでも、人見知りが激しくて噛みつくとか暴れて制御できないとか言われたことはないし概ね「いいこにしてましたよー」と言われるので、そこそこ普通にしていられるようになったんだと思う。
犬との触れ合いが苦手なのはたぶん生育環境によるものだし、世の中には小さい子犬の頃からすぐに飼い主に巡り合える犬ばかりではなく、売れ残り犬もいれば保護犬だって飼育放棄された犬だっている。大切なのは3~4か月からのしつけです!と銘打ったしつけスクールを見たことがあるけれど、そういう面を強調すると結果的にペットショップでもブリーダーを通してでも「より小さい頃からお迎えしたい」と思う人が増え、月齢が上がるほど「売れなく」なったり、成犬になっている保護犬には引き取り手がなかなか現れなかったりするのだと思う。
大切なことはわかるけどさー、というこれ、何かに似ている。子育てかな。3歳までは大切とか言うあれかな。3歳神話?預けて働くのは可哀想だとかそういうあれか。言う人は言う。確かに大切だ。でもそれはだからと言って母親が一人で1日中付きっ切りで面倒を見るとかそういうことでは全くない。年子で子供を産んだ人はどうすりゃいいんだ。うちだって2歳離れて下の子が生まれたから上の子に十分に目が行き届かなかったかも、とか思っちゃいそうじゃないか。チガウチガウ。それはざっくりと言えば心構えの問題だ。そして大切なのは3歳までではない。何歳になったって大切だ。とか、言葉遊びみたいになってしまうけれど…
あ。熱くなって全く関係のない話をくだくだとしてしまった。

つまり
何歳から飼おうと何か月から引き取ろうと、そこからのスタートで犬と人との関係性をしっかり構築していくしかないということだと思うのだ。幼犬からの方がそりゃー楽でしょう。でもそうじゃなくても出来ない、不可能と言うわけではない、と、思いたい(笑)。
人だって犬だってチャンスが欲しいもの。
また話が逸れそうだけど、昔、長い間虐待を受けていた犬が保護権となって伝説のドッグトレーナーがずっとお世話をしているというようなドキュメンタリー番組を見たことがあるけれど、どうしてもどんなに頑張っても、その犬は人と打ち解けることはもう無理なのだと言われていた。悲しい。虐待をした人間のせいだ。犬の一生はヒトよりずっと短いから、もうその犬にとって人間は信じられない、信じてはいけない存在となっているということ、後からいくら他の人が癒そうとしても修復しようとしても、人間との関係は亀裂が入ったまま治らないのだ。そんな悲惨な例もある。虐待していた人にはどんな事情があったのかわからないけれど、犬と人との優しく温かく豊かな関係をずっと保っていられる社会であって欲しいとしみじみと思う。


で、犬。
元気いっぱいでお散歩が大好きで、私や相方と遊ぶのも大好き。
家に小さい子どもはいないからだいたい大きな大人としか遊べず、散歩で奪取したくてもそこそこで我慢しないといけないとか、部屋でも激しい系の遊びに付き合える人材がいないため、もっぱらケージの中で一人遊びに興じているところはちょっと気の毒。
だから、時には一人で遊んでいるところを外から眺めて「見てるよー」というサインを送ったりする。
「いいねー」とか「良く取れたねー!すごいすごい!」とか声を掛けると得意げに誇らしげに遊んだりする。
一度、ケージの中で遊んでいたぬいぐるみが何かの拍子で外に出てしまった時、必死で前足で引き寄せて顔も突き出しぬいぐるみの足をくわえてケージの中に引っ張り戻す、というところまでのドキュメントは面白過ぎて思わず応援しながら動画を撮って家族でシェアした。もちろん一度で成功できたわけではなく、引っ張って引っ張ってくわえようとした瞬間に鼻先で押してしまいぬいぐるみがポーンと遠くに飛ばされてしまったり(ちょっとだけ近寄せてあげた)、どう考えても無理!なスペースから引っ張っていたり、何度もトライ&エラーを繰り返してもチャレンジし続ける姿にはやっぱり子犬だな~と感心させられた。諦めない心。フレッシュ。一歳を過ぎたくらいじゃまだまだ大人になり切れないんだ。そうだ行け!がんばれ!君には無限の可能性がある!

とか言いたいけれど、あんまり賢くなると困るのも本音だったりする。
犬の賢いは「ずる賢い」に通じるから。

本音の意味で賢くあって欲しい犬の姿は
「ヒトの都合に合わせて空気を読んで行動してくれる」ことであって
「ヒトの考えを越えること」ではないからだ。
例えば外に出られないための柵や、引き出しにつけている錠を開けたりしない程度の賢さであって欲しいということ。

長く犬を飼うと、犬は何でもお見通しなんじゃないかという気持ちになるのも確かで『うちの犬はバカだから大丈夫よ』なんて思っていたのが実は犬が『わかっているけどこれをやるとおかあさん困るみたいだからやめておくよ』って忖度してくれていたのかもしれないと思う経験がある。
前の犬の話。とても食いしん坊でいつもドライフードをもりもり食べていて、たまたま体調を崩して病院で療養食の缶のウェットフードを処方されたらぺろっと平らげ、「このままドライを食べなくなるのでは?」と心配になったが全然大丈夫でまたドライフードをもりもり食べ続けた。何かお薬を処方されてもフードの上にちょこんと乗せておけば一緒にもりもりと食べるので本当に楽だった。ところが12歳の時に大きな手術をして20日も入院して戻って来たら簡単に何でも食べる大食いさんではなくなっていた。
フードはまあ種類を選ばず食べるまでに戻ったけれど、薬だけはペッと吐き出すようになった。チーズや何かにくるんで与えてもごまかされたのは最初の数回ですぐにチーズをかじって食べて薬だけをポイっと出すようになってしまった。
それまで薬をパクパク食べていたのはバカだったんじゃなくて、わかっていたけどおかあさんへの信頼で食べてくれてたんだね。
20日の入院が辛すぎて「もうイヤだ、あんなひどい目に合わせて、もう信じられない!薬なんて飲むもんか!」ってなっちゃったのか。
そんなわけで亡くなるまでの2年間、大食いだった過去のおりこうさんに甘え過ぎていた自分を反省して謝罪しつつあの手この手で投薬をし続けたのだ。

犬はだんだん賢くなる。犬向けの賢さと、人と合わせる賢さ。
うちのまだまだやんちゃな一歳は、まだ犬としての賢さを発揮しているだけ(つまり楽しくてあれこれやってる)だけれど、いずれきっと人に飼われている犬らしくお互いに歩み寄るような賢さをゲットしていくんだろうな。
底にあるのは日々の人との信頼関係だろう。きちんと向き合ってしっかり関係性を紡いでいけるように飼い主としても頑張る所存であります。

最近また違うトリミングサロンに行って、初めての環境でもちゃんとおりこうにカットしてもらってフワフワになって帰って来ました。
初めて会ったトリマーさんに最初はちょっとだけ「これ、誰?」という顔をしていたけど、震えることもなくちゃんと抱っこされていきました。お迎えに行ったらトリミングサロンの床を得意気に走って飛んできてくれて、
そんな些細なことでも半年前には出来なかったのに、と成長を感じて嬉しかった。
大きさは小さいけれど(笑)、ちゃんと大きくなったね。
これからもゆっくり、大きくなろうね。

とは言え今暑すぎて、全然お散歩に行かれない。
時々、夜、地面が冷えて空気がひんやりしている日にちょろっと家の周りを1,2周するくらいでそれはもはや散歩とは言えないものだ。
うちの犬がグレないうちにさわやかな季節になって欲しい。もう、切実!







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