レビュー:映画「17歳のカルテ」;病者の回復の過程をまっとうに描いた名作
こんにちは!
谺(コダマ)ッチャンこと、児玉朋己です。
お元気ですか? 私はゆっくりしています。
今日は、「17歳のカルテ」という映画についてお話しします。
ノンフィクションである原作『思春期病棟の少女たち』を映画化したものです。
この作品は何回見たかわかりません。
10回以上は観たと思います。
初めて見たころに感じていたことと、いま現在とでは、この映画の捉え方や感想は180度変わりました。
この作品は、病者の回復の過程をまっとうに描いた名作だと思います。
私の評価が変わったことを焦点にお話ししようと思います。
17歳のカルテ
あらすじ
主人公スザンナは、薬を大量に飲み昏睡状態になったことから両親によって思春期病棟に入院させられ、境界性パーソナリティ障害と診断されます。
不本意に入院させられたことに不満を持ったスザンナは、病棟内で友人となった反抗的な態度をとるリサとともにいろんな問題行動を重ねます。
スザンナとリサは病院を脱走し、その前に退院していたもう一人の病者仲間デイジーのアパートに泊まります。
デイジーは、リサの中傷的な言葉によって明け方自殺してしまいます。
デイジーの死体を発見したことと、リサのデイジーに対する振る舞いを止められなかったことにショックを受けたスザンナは、自分の、リサを見る態度と自分自身を見る態度について振り返り、変えようと決心します。
それからは、スザンナは主治医の指導に素直に従うようになり、自分の治療に真剣に取り組みます。
そして、作家になるという目標をもって退院します。
当初、「お気楽な映画だなぁ」と感じた
映画を初めて見た当初は、言い方は悪いですが「お気楽な映画だなぁ」と思いました。
ストーリーだけ追っていくと、この映画は「自分の行動を反省して改心したら病気が治りますよ」と言っているように見えたのです。
道徳的な説教をされているような感じです。
「統合失調症はもっと大変なんだ」という思い
思春期病棟に入院している女の子たちは、虚言癖だったり拒食症だったり反社会性パーソナリティ障害だったりさまざまな病気を抱えています。
そのなかで、主人公のスザンナは境界性パーソナリティ障害でした。
初めてこの作品を観た当時、私は10年以上の七転八倒から抜け出てようやく作業所に辿り着いたころでした。
私の持っていた統合失調症の予後への不安もあり、魅力的に描かれる思春期病棟の女の子たちの病気を深刻にとらえることができませんでした。
しかもスザンナは、まるで不良少年が改心するように改心することで治っていったように見える。
「統合失調症は反省したり改心したりすることでは治らない。こんなお気楽な映画があるか!」と思いました。
それぞれの病気・障害に固有の苦しみがある
すいません。
統合失調症にくらべ、虚言癖や拒食症や反社会性パーソナリティ障害や境界性パーソナリティ障害がお気楽だと言っているわけではありません。
それぞれの病気・障害に固有の苦しみがあり、比較することはできません。
当時の私が未熟であり、女の子たちが魅力的なのは病気の苦しみを生きているからだとわからなかったのです。
「お気楽」に見えたのは、私が未熟だったから
また、反省・改心することで病気が治ると言っているように受け止めたのも、私が未熟だったらでした。
それに気づいたのは、7,8回目くらいからでしょうか。
反省・改心が道徳的なメッセージに見えたのは、スザンナがたまたま不良のように振る舞っていてその行動がなくなったからだったのです。
もともと問題行動のない虚言癖のジョージーナが反省・改心したとしたら、それは道徳的メッセージには見えなかったでしょう。
どういうことでしょうか?
反省・改心は〝マイッタ〟だった
私は7,8回目のどこかの時点で、「ああ、あのときスザンナは、〝マイッタ〟したのだな」と理解したのです。
〝マイッタ〟とは
私が作成した『統合失調症回復のためのステップ7+1』という小冊子があります。
統合失調症を発症した人がどのような過程をたどって回復していくかを内側から記述したものです。
統合失調症だけでなく、いろんな精神の病気に当てはまるという評価をいただいています。
その回復の流れを、〝マイッタ〟に焦点を当ててまとめると次のようになります。
精神病・精神障害を持つと、当初は自分でもわけが分からない時期がありますが、いずれ病気だと解ったり病名を知ったりします。
そのとき、それが精神病であると、風邪や盲腸(虫垂炎)などと違い、すぐに自分がその病気だと納得して治療に専念することはまずありません。
ほとんどの人が自分が病気だということに絶望したり拒否したりします。この段階を「病気に絶望・拒否する」ステップ3といいます。
ステップ3では、病気による絶望や病気の拒否にくわえ、さまざまな色合いや度合いのわだかまり・欲求不満がつきものです。
そのため、自分が病気であるという事実にイライラしながら生活することになります。
やがて、そのように「病気に反抗」することに疲れ、病気に「マイッタ」をするときがおとずれます。
マイッタとは、お手上げ状態、バンザイするということです。あとは神様・お天道様にゆだねます、ということ。
マイッタが深ければ深いほど、のちのち心理的により安定していくようです。重要なステップです。
その瞬間は、思うようにいかないさまざまな事実が重なって起こります。
このマイッタするのが「病気に観念する」ステップ4です。
(『統合失調症回復のためのステップ7+1』抜粋要約)
リサと一緒に問題行動を起こしていたスザンナは、ステップ3にいた
リサと一緒に問題行動を起こしていたスザンナは、「病気に絶望・拒否する」ステップ3の段階にいたのです。
絶望というより拒否が前面に出ていました。
それが、デイジーの死体を発見したことと、リサのデイジーに対する振る舞いを止められなかったことにショックを受けたことで、自分の病気は自分には手に負えないと〝マイッタ〟した、観念したのです。
マイッタは、諦めの一種ですが、よく言われるように諦めるとは「明らめる」ことでもあります。
自分は境界性パーソナリティ障害という病気なのだと自らに明らかにし、受け容れる準備が整ったのです。
反省・改心と言うから道徳的に聞こえるのです。
スザンナは病気に観念しマイッタしたのです。
病気と向き合い治療に専念したから治った
マイッタの次のステップ5は「病気を受容する」です。
マイッタしたあと、スザンナは主治医の指導に素直に従うようになり、自分の治療に真剣に取り組みました。
だから治ったのです。
反省・改心・マイッタは受容のきっかけにすぎません。
受容した結果、自分の病気と向き合うようになり、治療に専念するから治っていくのです。
10回近く見続けたことで、このように私の捉え方は変わりました。
この作品は、精神病者の「回復のステップ7+1」の過程を正しく描いたまっとうな作品だったのです。
決してお気楽な映画ではありませんでした。
まとめ
当初の評価が低かったのに何度も観てしまったのは、描かれているのが思春期病棟という、日本には数少ない施設だったからかもしれません。
そこに入院している女の子たちの苦しみは、私が思春期から大人になっていく過程で味わった苦しみとつながるものがありました。
リサやスザンナの「反抗」はわかりやすいですが、他の女の子の悲しみもさまざまに描かれ表現されています。
その悲しみを感じることは、私自身の悲しみを感じることでもあったのです。
名作だと思います。
生きるって何だろう? 生命って何だろう?
谺(こだま)
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