サッカー、神経科学、複雑性 【トレーニング方法論に対する神経科学と複雑性理論の貢献 】著クラウディオ アルベルティーニ
*有料記事ですがすべて無料で読めます。
訳すと言ってからだいぶ時間が経ちましたがようやく公開することができました。
こういう論文を翻訳するのは初めてでまだまだ訳が分かりづらいところも多いと思いますが、できるだけ著者の選んだ言葉、表現を残しつつ意味が分かるようにしたつもりです。
長いですがサッカーにおける神経科学の見解、エコロジカルな考え方や戦術的ピリオダイゼーションなども少し触れているので、かなり勉強になるかと思います。私自身も翻訳を通じ色々なものを再発見、再確認できました。
温かい気持ちで辛抱強く読んでいただければ幸いです。
クラウディオ アルベルティーニ
サッカー、神経科学、複雑性
トレーニング方法論に対する神経科学と複雑性理論の貢献
訳、辻野智哉
序章
この記事を書くことで、2006 年にコヴェルチャーノのプロフィジカルトレーナー向けコースに参加して始まったトレーニング方法論の分野での研究を振り返る機会が得られました。
この話題に刺激されて、私はサッカーの世界だけでなく、哲学や神経科学など他の分野にも侵入して、多くの疑問に対する答えを探しました。
コベルチャーノ(イタリアのサッカー協会、在フィレンツェ)のコースでの同僚の Umberto Ruggiero との出会いは決定的でした。そのおかげで、私は何年も経ってジェノヴァの I.S.E.F. (スポーツ科学)の教授の一人、リッカルド・カパンナ教授と再会することができました。
私は体操の教授としてカパンナ教授に会ったことはありましたが、その後彼がフィジカルトレーナーとして、また数多くの方法論の本の著者としてサッカーの世界に貢献していたことは知りませんでした。 彼の革新的なアイデア、つまり機能的でインテグラルなトレーニングは、私が格闘技(空手)の分野で長年教えてきた中で培ったいくつかの信念とすぐに一致するように思えました。バーやピッツェリアでの延々と続く会話の中で、カパンナ教授は私の好奇心を神経科学の魅力的な世界に向けてくれました。
2011 年に、私は特に魅力的な本に出会いました。「自己組織化。 物理的、生物学的、社会的システムにおけるボトムアップの出現の謎」は、デ・トーニ、コメロ、イオアンによる素晴らしいエッセイであり、そのテーマは、複雑なシステムを区別する特徴の 1 つである自己組織化傾向でした。
その後の調査中に、複雑性に関する研究が、カパンナ教授が神経科学から導き出した結論、つまり本質的に分割できないものは部分に分割することによって理解することはできないという結論を別の方法で裏付けていることを発見しました。 サッカー的に訳すと、サッカー選手を自分のスキルを表現する文脈、つまりゲームから切り離してはトレーニングできないことを意味します。
最近、フランチェスコ・ダリーゴの著書『遊びの感覚』の中で私はこれと同じ概念を再発見、再確認、発展させました。
この論文で私は、現在の科学的知識とサッカーの複雑な性質に適したトレーニング方法論の緊急性を強調したいと考えています。
神経科学の貢献
人間の運動能力の分野における神経系の役割に関する数多くの科学的研究から得られた結果は、指導者に指導を改善するための重要なヒントを与えることができると私は確信しています。 最も関連性の高いものをいくつか見てみましょう。
・神経科学の最新の研究では、運動システムが運動や個々の筋肉の収縮の機能としてではなく、「目的の運動行為」(物をつかむ、持つ、蹴るなど)および/または、個々の運動動作が組み込まれたより複雑な運動チェーン(口に運ぶために掴む、動かすために掴む、パスするために蹴るなど)の機能として、ミラーニューロンを介して皮質レベルでどのように活性化されるかを明らかにしました。 後者の場合、動作の神経運動特異性を定義するのは中間目標ではなく、最終目標です。(注1) 動作は、それを構成する動きや、動作を実行するエフェクターの種類に基づいてではなく、「目的」という観点から脳レベルでコード化されることに注意することが重要です。 つまり、私たちの脳は主に「意図」(意識的または無意識的)を認識します。
したがって、スポーツ分野における特異性の概念は、動作の形式のみを指すものではなく、何よりもその目的を指すものであるということになります。 逆説的ですが、神経細胞の観点から見ると、形式的な観点から見た同じ目的で実行される 2 つの異なる動作(1つのコーンにボールを当てる目的で行われた2つの異なる蹴る動作)は、生体力学的観点から見た異なる目的で実行される 2 つの同一の動作(異なる2つのコーンを当てる目的で行われた2つの同じ動作)よりも相関性が高くなります。(注2)
・運動系は、それが実行されるか、単に被験者によって想像されるか、または別の個人によって実行されているものを観察するかにかかわらず、特定の最終的な動作に従って活性化されます。 言い換えれば、同じミラーニューロン集団が活性化されます:「私がやっているとき」、「私がやっていると想像したとき」、「やっているのを見ているとき」。 このメカニズムを通じて、私たちの脳は、他人の意図的な行動や感情、そして被験者が行おうとしている行動を即座に理解することができます:「あなたが何をしているのか、何をするのかを知っている」(つまり、何をするつもりか)。
・私たちの周囲の空間を暗号化するために使用されるニューロンのクラスがあります。 これらは、ペリパーソナルスペース(身体を取り囲む空間)または近い空間、つまり、私たちの体または使用している道具で到達できるすべての物体が位置する空間領域を定義し、エクストラパーソナルスペースまたは遠い空間(体の「延長」として使用できる道具でも届かない遠くにある物体が位置する空間)とは区別します。(注3)
「試合中、脳によって制御されるプレーヤーの身体は、相互作用する「オブジェクト」(フィールド、ボール、チームメイト、対戦相手)が存在する空間に置かれます。 私たちは今、アスリートの動きの神経構造が、その選手が活動する空間とその一部である「物体」に厳密に依存しているという確信を持っています。」 (R. カパンナ、2007、35 ページ)。
さらに、「環境を“読み取り”、特定のタイプの行動、それらを実行する特定の方法、および特定の活性化時間を“処方”するニューロンの存在により、同じ空間構成で、試合中に遭遇しうる技術的および戦術的問題を想定して実行されるトレーニングを提案することがいかに重要であるかを繰り返し説明できます」 (R. カパンナ、2016、p. 55)。
・人は自分が住んでいる環境に浸りながら学ぶ。 最終的な運動行為の学習は、ミラー ニューロンシステムを通じて、次の 2 つの基本的な方法で行われます。
- 模倣、真似によって
- 試行錯誤しながら
ボールを空中に投げて手でキャッチする方法をどうやって学びますか?
その秘密は、マッシモ・トロイージとロベルト・ベニーニによる映画「泣くしかない」の中で、少女ピア(アマンダ・サンドレッリ)が教えてくれます。
・学習は本質的に「神経可塑性」(neuroplasticity)現象 (注4) です。 多数の試行、つまり試行錯誤を経て、シナプス機能の改善 (既存の接続の効率向上) からなる構造的、機能的修正が脳内で起こります。後者は、樹状突起の数の増加 (新しい接続の作成) によって表されます。 新しい行動を獲得するには、つまり学習を可能にする神経可塑性変化のために、設定されたタスクを何度も繰り返す必要があります。
・意識には時間的要因がある。 動作の認識は行動よりも遅れます (ベンジャミン・リベットのタイムオン理論)。 この遅延は、刺激が神経経路に沿って伝わり、シナプスを通過するのに必要な時間によるものです。 私はリベットの本のイタリア語版の序文でエドアルド・ボンチネッリが示した例を引用します。
「私が適度な速度で運転していると、突然原付バイクが私の前を横切りました。 気が散っていなければ、ブレーキをかけて彼を轢かないようにします。」
その感覚は、意識的にその場面を瞬間瞬間に生きているような感覚です。 しかし実際に起こっていることは次のとおりです。
「原付バイクが私の前を横切りました。 50〜60ミリ秒後、私の脳はそのシーンを「認識」します。 100〜150ミリ秒後、私の足は脳の指令を受けてブレーキをかけます。 500 ミリ秒後には何が起こったのか理解でき、650 ミリ秒後にはそれについて何らかのコメントができるようになります。」
意識的に決定する前に、脳が無意識に「選択」したと言えるでしょう。 しかし、私は何が起こったのかに関して時間的な遅れを感じません。私の脳の「ソフトウェア」が私の意識を最初の刺激の瞬間まで「遡らせ」、時間的な遅れをまったく感じさせないのです! これは非常に重要なことを意味します。それは、運動能力は自動的、無意識に行われるということです。
原付をボールに置き換えると考えないといけないことがあるでしょう…
(注1)ミラーニューロンの主な機能は、一般に考えられているような模倣ではなく、行動の目的、つまり意図を理解することです。
(注2) 「したがって、行動は目標という観点から暗号化され、それを実行するために私たちが行う動きに基づいたものではありません。 同じアクションを別の動きで実現することもできますし、人間にはそれができる柔軟性があります。 エレベーターに乗らなければならず、両手がふさがっている場合でも、肘で呼び出しボタンを押すことができます。 重要なのは、エレベーターを呼ぶという私たちの目標が達成されることです。」
アンナ・M・ボルギとロベルト・ニコレッティ、記事「動きと行動」、ロベルト・クベリとレモ・ジョブ編集の本「認知プロセスの心理学」に掲載、カロッチ・エディターレ、ローマ、2012年。
(注3) 私たちの脳は、体の位置に対する空間座標に従って物体の位置を特定するだけでなく、何よりもそれらに到達する能力、つまり行動の可能性の観点から物体の位置を特定することによって、私たちを取り囲む空間を「マッピング」します 。 さらに、器具の使用は、あたかもその器官の一つの延長であるかのように、器具を私たちの身体に「結びつける」ので、身体空間の皮質表現において、以前は遠くにあるとラベル付けされていた空間は、器具の使用後には近くの物として暗号化することができる。 (参考文献の第 3 章、Rizzolatti and Sinigaglia、2006 年を参照)。
(注4) 参考文献の Norman Doidge の『Infinite Brain』、2014 年を参照。
複雑性に関する研究の貢献
可能な限りグローバルで「オープン」で予測不可能なトレーニング形式を提案する必要性を支持する重要な貢献は、複雑性に関する研究からもたらされています。
複雑性の概念は、完全な科学分野というよりも新しい考え方を表すため、短い言葉で要約するのは簡単ではありません。 複雑性は、科学的思考を研究する哲学の領域である認識論の対象です。
「複雑なシステムの研究は、相互作用するコンポーネントが多数あるシステムにおける集合的な特性の出現に関係します。 これらの要素は、物理的または生物学的な状況では原子やバクテリア、経済的な状況では人、機械、企業などです。 複雑性の科学は、複雑なシステムの仮定や創発的な動作、つまり従来のアプローチでは見えないことが多い要素を発見することを目指しており、個々のコンポーネントではなく相互接続の構造やシステムの全体的なアーキテクチャに焦点を当てています。これは科学の新しい分野というよりも、科学者の考え方の方向性の変化です。」 (L. ピエトロネロ、2007、53 ページ)
サッカーの試合では、複雑なシステムである 2 つのチームが相対し、さらに複雑なシステム、つまり個々のプレーヤーで構成されます。 実際、すべての選手において、身体的、運動的、心理的、戦術的、技術的、および認知的な要素は、各部分を他の部分から分離することができない統合された全体を構成しています。 試合中、同じチームのプレーヤー同士は協力的な相互作用の密なネットワークを構築しますが、彼らと相手チームのプレーヤーの間には対立関係が確立されます。 試合中、各プレイヤーの選択はチームメイトや対戦相手の選択に影響を与え、事前には予測できない一連の効果や反応を生み出します。 つまり、サッカーのゲーム自体は複雑であり、不確実性とランダム性がその本質の一部であると言えます。 同様に、規則性、反復性、不変性がその構造的アイデンティティを定義します。 秩序と無秩序はどちらも、サッカーの試合の複雑な性質に不可欠な部分です。 コメディアンのパオロ・ロッシは、「サッカーは宇宙の存在の比喩である」と述べ、彼なりの方法でサッカーの試合の複雑さを認識しています。 サッカーの世界は、その美しさとドラマをすべて備えた、まさに現実世界の寓話です。 ゲームの現実はそれ自体にとどまることなく、ゲームに相互作用する管理組織、メディア、ファンという外部のシステムに見える「ネットワーク」に関係しています。 これらすべてのコンポーネント間の密接な相互接続は、相互に影響を及ぼし、流動的で気まぐれで予測不可能なシナリオを決定します。 次のページでは、完全にとは主張しませんが、複雑なシステムを区別する主な要素、複雑な問題に対処するために採用できる正しいアプローチのタイプ、およびその方法論的な影響を説明します。
単純系、煩雑(complicated)系、複雑(complex)系
「複雑系」とは何を意味するのでしょうか? そして、「単純系」と、そして「煩雑系」と「複雑系」の違いは何でしょうか? まず最初に、用語を明確にする必要があります。 特に「煩雑complicated」と「複雑complex」はよく混同されます。
・単純系とは、互いに独立したいくつかの要素から構成され、機械的に組み立てられたセットを意味します。
・煩雑なシステムとは、互いに独立しているが常に機械的に組み立てられる多くの要素から構成されるセットを意味します。
煩雑なシステムは、個々のコンポーネントが他のすべてのコンポーネントから独立して動作し、システム全体の機能に寄与する、組み立てられた全体です。
・複雑系とは、多数の要素が相互に強く結びついて、統合された全体を意味します。 それを構成する単一の部品は相互作用の関係にあり、コミュニケーションを取り、一方が他方の機能で動作し、相互に影響を及ぼします。
複雑系の特徴
インタラクション,相互作用
単純なシステムでも煩雑なシステムでも、全体を構成する部分間に相互作用はありません。 一方の要素が増減しても、もう一方の要素には影響しません。 各部分は独立しており、相互に影響を及ぼしません。 要素の 1 つが変化しても、たとえばタンスの支持脚の数が増えても、ドアや内部の棚など、全体を構成する他の部分には変化が生じません。
逆に、複雑なシステムでは、各部分が関連しており、相互に影響を及ぼします。 サバンナでは、被食者の個体数は捕食者の個体数の関数であり、その逆も同様です。 ライオンの数が増加すると、それに応じてアンテロープの数も減少します。
複雑なシステムは、相互接続された多数のエージェントの存在によって特徴付けられます。 これは「マルチエージェント」システムです。マルチエージェントシステムは、順応と対立、協力と競争のメカニズムに従って、常にそれ自体を組織化、再組織化します。
単純なオブジェクトと煩雑なオブジェクトの特徴は、分解したりもう一度組み立てしたりできることです。 機械的に組み立てられたすべてのオブジェクトは、構成部品に分割して n 回再組み立てすることができ、常に機能を復元できます。
当たり前ですが生物に対して同じ作業はできません…
デ・トニ教授のジョーク:「たとえば、猫を分解して組み立ててみてください!!!」(注5)
生物を解剖すると、個々の部分は相互作用によって生きているため、別々に生きることなく、それらとともに生物全体が死んでしまいます。
仕組みは「単純」でも「煩雑」でもありますが、私たちが生物を扱う場合、常に「複雑」なシステムに直面します。
バタフライ効果: システムの予測不可能性
複雑なシステムのさらなる特徴は、いわゆるバタフライ効果の影響を受けることです。 1961 年、気象学者のエドワード・ローレンツは、コンピューターを使用して数値の近似値を小数点以下 6 桁ではなく 3 桁にしたシミュレーション中に、この微視的な変動により完全に異なる最終結果が得られることに気づきました。
ローレンツは初期条件の小さな違いが、システムの進化に大きな違いを生み出すという「バタフライ効果」を発見しました。 「ブラジルの蝶の羽ばたきがテキサスで竜巻を引き起こす可能性はあるでしょうか?」 これは、1972 年にローレンツが行った講演のタイトルです。事象の初期条件のわずかな変化が、想像を絶する影響を引き起こす可能性があるのです。 ブラジルで一羽の蝶の羽ばたきが無限に連鎖することで、米国では竜巻が引き起こされる可能性がある。(注6)
バタフライ効果は、 1998 年のピーター・ハウウィット監督の映画「スライディング ドア」で映画的に表現され、主人公のヘレンの人生は、地下鉄に乗るとき / 乗り遅れるとき、平行する 2 つの次元に分割されます。 この映画は、この最小限の変化の後に起こる出来事の2 つの異なる展開を示しています。
バタフライ効果と言える例は、小さな変化が大きな混乱を引き起こす可能性があるサッカーの世界にあります。 ポストの内側 or ポストの外側…それは、勝利か敗北、監督の契約や解任、両チームのビジョンの変化、全く異なる投資や移籍の動向などを意味する場合があります…小さな事象の後に方向転換する何百、何千もの個々の人生。それもまたバタフライ効果です。 微視的レベルでの小さな変動が増幅され、巨視的レベルでの巨大な変動につながります。
これは個人の運動コーディネーションに関しても当てはまります。(注7)
たとえば、ボールを蹴る動作中の人間の脚は、股関節と膝に 2 つの主要な関節がある「二重振り子」に例えることができます。 二重振り子は、少数の要素から構成される秩序のあるシステムではありますが、実際にはバタフライ効果の影響を受けるため、その動作は先験的に予測できないカオスシステムです。 これは、開始条件の最小の変動によって、まったく異なる最終結果が生成される可能性があることを意味します。 これは、たとえ高レベルのプレーヤーであっても、コーナーキックを蹴る動作など、何千回も繰り返される一見簡単なアクションをミスする可能性があることを説明しています。(注8) サポーター (およびコーチ) がバタフライ効果について知っていたら、おそらく選手のミスをもっと寛大に判断できるでしょう...
バタフライ効果により、複雑な環境では長期的な予測を行うことは不可能です。 サッカーは複雑な現象です:試合中、複数の要因が非線形的に相互に関連し、イベントの最小の変動、ある選手による選択、または単なる環境条件の突然の変化でさえも、まったく予測できない試合の展開を決定します。(注9)
(注5) 2013 年 2 月 16 日にフォルリで開催されたFiordiRisorseの MUSTer でのアルベルト・デ・トーニの教授による素晴らしいレッスン「複雑性を管理する」のビデオ。 講演はインターネットのページhttps://vimeo.com/61325946 でご覧いただけます。
(注6) アラン・チューリングは、ローレンツが 1950 年のエッセイ「計算機と知能」で表現した概念を予想していました。「ある瞬間における単一の電子の 10 億分の 1 センチメートルの動きは、1年後に雪崩によって人が死ぬか、それとも救われるか、というような 2 つの非常に異なる出来事の間の違いを意味する可能性があります。」 アンリ・ポアンカレも以前に同様の結論に達していました。 「初期条件の小さな違いが、最終的な現象では非常に大きな違いを生み出す場合があります。最初の小さなミスは、後の大きなミスを生み出します。予測が不可能になります。」 (ポアンカレ、科学と方法、1903)。
(注7) 私たちは、チームの動きだけでなく、個人の動きさえも事前に計画することができないという結論に達しなければなりません。 運動コーディネーションは、脳 - 身体 - 環境の関係に関わる複雑な現象です。 それは「一般化された運動プログラム」や「運動パターン」の存在を前提とした理論モデル(認知的アプローチ - スキーマ理論、Schmidt、Wrisberg)では説明できず、中枢、末梢運動神経と環境の間のリアルタイムのやりとりの結果として考えることによってのみ理解できます(エコロジカルダイナミクスアプローチ)。 私たちは常に「環境にかかわらず」ではなく、「環境に応じて」行動します。 コーディネーションは、スキーマ理論が示唆するように、中枢レベルに保存された事前に構造化された一連の筋肉コマンドの事後的適応を通じてではなく、生物と周囲の環境との統合を通じて発達します。
この点に関しては、すでに 1935 年に N.A. ベルンシュタインは次のように述べています。
①. 衝撃(神経インパルス)と運動の間に明確な関係は存在せず、存在できない。
②. 衝撃と運動の関係が明確から遠ざかるほど、考慮されている動きに関与する運動連鎖がより複雑になる。
③. 運動は、中枢の衝撃と末梢で起こる事象との間の、事前に予測できない、最も正確で中断のない一致の条件下でのみ可能であり、外力の開始点よりもこれらの中枢の衝動への依存度が定量的に低くなる。
運動コーディネーションにおける不確定性を生み出す原因のうち、「バタフライ効果」と呼ぶことができるものとしては、次のようなものがあります。
・ 内部と外部の初期条件は常に異なる。
・骨格筋の弾性特性による反力(伸張反射、逆伸張反射など)
・ 関節セグメント間の多数の自由度の存在がそれらの間の予測不可能な相互作用を決定する運動連鎖の複雑さ: Kurt Meinel によると、人体の動きには約 240 の自由度があるが、上肢だけではわずか 30の自由度しかありません。 (「運動理論」Società Stampa Sportiva、ローマ、1984 年、53 ページ)。 1 つのセグメント(部分)の動きの変化は、他のすべてのセグメントに影響を与えます。
・慣性力の影響。
・ 二関節筋の挙動(Lombardのパラドックスと偏心同心対比)。
・変化する外力の場(重力、摩擦、相手からの対立、さまざまな障害物)。
・中枢遠心性インパルスに対する最終運動ニューロンのフィルターの役割。詳細については、参考文献に引用されているN.A. ベルンシュタインとR. カパンナの文章、およびC. ペッシェの記事を参照してください。
(注8)ボールが蹴った人の足から離れると、問題はさらに…「複雑」になります。 空中でのボールの動きは空気力学の法則の影響を受け、相互作用する要素の数が増加し、球体がたどる軌道を計算するのはさらに困難になります。 この主題についてさらに詳しく知りたい場合は、「サッカーの物理学」セクションの参考文献で引用されているテキストを読んでください。
(注9) 偶然の存在とその結果として生じる予測の不可能性が「客観的」であるのか、それとも私たちの限られた分析スキルにのみ依存するのかは、何世紀にもわたって哲学者や科学者によって議論されてきた問題であり、まだ決定的な答えはありません。
創発
複雑なシステムのもう 1 つの特徴は、それらを構成する個々の部分の特性まで遡ることができない、創発的な特性を示すことです。 単純なシステムや煩雑なシステムで起こることとは異なり、複雑なシステムでは「全体は単一の部分の総和とは異なります」。 実際、個々の部分が持っていない、それらの相互作用から派生する新しい特性が全体の中に現れます。 これは水のケースでも、自然界では気体状態で分離されている水素と酸素という構成元素の特性というのに対し、その液体状態では新しい特性として現れます。 液体の性質は創発的な性質であり、水を構成する基本的な部分に属さず、それらの相互作用の産物です。
これは脳の場合でもそうであり、単一のニューロンでは考えたり感情を感じたりすることはできませんが、意識、言語、思考、感情は数十億のニューロンの相互作用から生まれます。
その力は、単一の部分ではなく、部分間に確立された相互作用のネットワークにあります。
同様に、サッカーのチームは、複雑なシステムとして、より正確には、複雑なシステム(個々の選手)から構成される複雑なシステムとして、個性の集合体としてではなく、関係のネットワーク、自己組織化能力を与えられた単一の有機体として考慮されなければなりません。そこでは、集団的な行動は、そのすべてのメンバーの協力的な相互作用、およびこれらと相手チーム(それ自体が複雑なシステムから構成される複雑なシステム)の構成要素との対立的な相互作用から生まれます。
チームは個人の総和ではない
自己組織化
複雑なシステムの、着目すべきもう 1 つの基本的な特性は、自己組織化です。
デ・トーニ、コメッロ、イオアンによれば、「自己組織化は、構成要素間の局所的な相互作用に基づく、ボトムアップ創発の動的なプロセスの結果で、制御の中心が存在せず、複雑なシステムがその基本コンポーネント(構成要素、部品)を再配置して、その基本コンポーネントとは異なる特性を持つ新しい構成を形成します。」(注10)
自己組織化とは、「中心的な」指示や上からの制御がない状態で、秩序、新しい構造、新しい行動形態が自発的に現れることです。
鳥の群れには計画や決まった行動パターンがなく、リーダーもいません。 集団行動は、いくつかの単純な相互作用ルールに基づいて自己組織化されます。
「ハチミツへ向かうミツバチのように - 群れとコミュニケーションの理論」という記事の一部を以下に抜粋します。
ブログ http://avene.cartaematita.it 2008 年 2 月 28 日
群れは「中心」、つまり餌や木などの引力の極の周りを移動します。 方向を指示するリーダーはいませんが、飛行は正確で、調整され、調和がとれています。 時々、その群れは独自の知性を持った生き物のように見えます。 しかしそれは、鳥同士が衝突することを避け、一定の速度を維持しようとするという個々の鳥の基本的な行動の総和の結果です。
さらに大きなインスピレーションは、アリやミツバチなどの社会性昆虫から得られます。
アリのコロニーは、完璧に組織化された巣の構築、食物への最短ルートの発見、縄張りの防衛など、信じられないほど複雑な問題を解決することができます。 コロニーは自己組織化されたシステムです。 誰もが基本的なタスクを実行し、誰も「命令」しません。 女王バチですら、卵を産む以外の役割はありません。
このような洗練されたレベルの組織が、初歩的な行動の積み重ねから生み出されることは信じがたいものです。 1 匹のアリは、事前にプログラムされた動作で単純な嗅覚刺激に反応する小さなロボットのようなものです。 何百万もの単純な相互作用が非常に複雑な動作をもたらします。
同様に、熱帯林のホタルは、外部の要因によってリズムを与えられることなく、完全な位相同期で光を放ちます。(注11)
それぞれのホタルは、近くにいた数匹のホタルと協調し、その結果は驚くべきものです。何千匹ものホタルが、リーダーや環境からの提案なしに、一定のテンポに従って、一斉に、リズムを合わせて光を放ちます。 自己組織化から生まれる驚異のハーモニーです!
自然界に存在するこれらの例からサッカーの世界、そしてサッカー史上最大の同調の例であるグアルディオラのバルセロナに照らし合わせられませんか?
各サッカーチームは「ネットワーク、網」として理解され、その「結び目」はプレーヤーです。 このうち、ローカルレベルで確立される接続が「弱いリンク」です。 アメリカの組織心理学者カール・エドワード・ワイクによれば、「弱いリンク」(疎結合)という用語は、システムを構成する各部分にある程度の自律性を認める、堅固ではなく「緩やかな」接続を意味します。 ブラウグラナ(バルセロナ)では、フィールド上の選手の動きは、事前に確立された計画を示唆する正確な形状を描いていますが、事前に整理された計画を適用した結果ではなく、基本的な相互作用のルールに基づいて展開されています。 ゲームの筋書きは自発的に、そして常に異なる予測不可能な方法で、集団行動に関するいくつかの効果的なルールの共有のおかげで、下からボトムアップに生じます(これらはコーチによって上からトップダウンで決定されます)。 ゲームの展開は事前に定義されているわけではなく、プレイヤーがゲーム状況内での認知と個人的な解釈に基づいて行う一連の選択の結果です。 「ローカル」レベルでの単純なルールの共有は、グローバルレベルでの一貫し、構造化され、また同時に柔軟な動作に変換されます。 ゲームの順序は、「スキーム」の使用を通じて厳密な形で実現されるのではなく、選択肢の共有によって実現されます。 ただし、事前に計画されたゲームの解決策を頭に叩き込むコーチの努力にも関わらず、プレーヤーは自己組織化のプロセスを必然的に、そして時にはカジュアルで不器用な方法で実行することになることに注意してください。 ゲームの複雑性に浸かった瞬間、テーブルで用意されたすべての計画は絶望的に否定されます!
グアルディオラ監督のバルセロナを観察すると、三角形やひし形の継続的な形成と、プレーヤーがボールホルダーの周りの動きで描く単純な幾何学的図形を目の当たりにします...水の分子間の水素結合の連続と切断のように、形が変化する万華鏡(互いに弱く結びついたサブシステム)が発生し、その後分解、再構築されます…グアルディオラ監督のバルセロナの「流動」ゲームの流動性の本当の秘密は、この異なるビジョンにあります。 チーム全体の調整された調和のとれた行動は、ゲームの原則を認識し共有するプレーヤー間で行われる基本的な行動の結果です。 12 三角形、ひし形、流体、変化する構造…プレイヤーの選択によって形成され、変形するサブシステム。 緩やかな接続、堅固であらかじめ決められた計画はありません。 自己組織化がルールとなります。
(注10) A.F. デ・トーニ、L. コメロ、L. ヨアン、2011 年、12 ページ
(注11) M. マルヴァルディ著『ゲームのルール』の「突然のゴール」の章、143 ~ 163 ページを参照してください。
(注12) 以下は、グアルディオラ監督のバルセロナのプレースタイルを特徴づける簡単なプレールールです。
- ボール保持者がプレスされていない場合は前進する義務があり、プレスされている場合はすぐにマークされていないチームメイトにボールを渡さなければなりません(「ボールを持っていて相手に攻撃されていない人はボールを保持しなければならず、プレスを受けたらパスする」)。
- ボール保持者に最も近いチームメイトはスペースに移動して、少なくとも 2 つの可能なパスコースを常に提供する必要があります (「ボールポゼッションはそれ自体が目的ではなく、守備している相手ラインの背後で数的優位性を生み出すために役立つ必要がある」) 。
- ペナルティエリアの近くでは、足元ではなくスペースへのパスを探します(「我々にはセンターフォワードはいません、我々のセンターフォワードはスペースです!」)。
- ボールを失った場合は、状況に応じて即座にボールエリアにプレッシングをし、すぐにボールを取り戻すように努めなければなりません(「よい守備フェーズは良い攻撃から」)。
レンツォ・ウリヴィエリの記事「哲学としてのグアルディオラとサッカー」を参照。
誘導された自己組織化
ただし、自己組織化を一種の自由放任主義と混同すべきではありません。 ノーベル賞受賞者のフィリップ・ウォーレン・アンダーソンは、「システム内に継続的なエネルギーの流れがなければ、自己組織化は起こらない」と主張しています。 このエネルギーは主に指導者によって供給されます。 指導者は、グループが自己組織化して「チーム」に進化するために必要なエネルギーを提供する人です。 これは受動的な操作にすぎず、寛容な態度とは何の関係もありません。 指導者は、チームのパフォーマンスのための一連の決定的な行動を担当しなければなりません。例を示し、価値観のコンテキストを作り、共有するビジョンを提案し、個人のモチベーションを高め、共通の精神を固めます。 選手がプレースタイルの中で自分自身を認識するには、それぞれが全体の一部であると感じなければなりません。 指導者は変革のカタライザーであり、成長と変化の条件を作り出す人です。 心理-感情や社会-関係の側面に敏感でなければなりません。指導者は選手たちの参照を示す人です。 指導者のビジョンは興奮し、驚かせ、魅了させ、意味を思い起こし、駆り立てるものでなければなりません!それは指導者が模範になり、また、それは現実的かつ「進化的」なものでなければなりません。つまり、静的なものではなく、柔軟性があり、変化に敏感であり、全員の貢献を受け入れられるものでなければなりません。 トレーニングセッションでは、指導者は学習のファシリテーターであり、オープンで予測不可能な練習を提案することで選手の自己組織化を刺激します。 技術的な観点から見ると、指導者の面倒な仕事は、「自己組織化を組織する」という一見矛盾したオクシモロン(撞着語)で要約できます。 リーダーのビジョンと自己組織化は表裏の関係にあり、
これは、ボトムアップ (下からの自発的自己組織化) 要素とトップダウン(上からの指導)要素が調和して共存しているため、「誘導された自己組織化」(注13)と定義できます。指導者にはチームのプレースタイルを定義するという使命がありますが(トップダウンプロセス)、ゲームモデルを構想する際には選手の特性を考慮する必要があります、それは絶対に無視できません(ボトムアッププロセス)。 (注14) つまり、コーチは「ゲームのルール」、つまり選手が認識し共有しなければならない個人および集団の行動原則を指定しなければならないが、調和のとれたプレーの表現が実現されるためには、「役者」の性格や傾向をサポートし、彼らの個人的な資質からインスピレーションを得なければなりません。 良い指導者は、選手間の相互作用の可能性を、選手の特性に基づいて組織します。 複雑性に関する研究は、複雑なシステムがカオスの端で生き、栄えていることを明らかにしています。(注15) したがって、個人の創造性は抑圧されるべきではなく、サポートされ、向き合わなければなりません。 したがって、それは決して個人を”殲滅”させることではなく、その逆に、共通のプロジェクト内で個人の特性を高め、調和させることです。 指導者は選手の自己組織化のための条件を作り、チームの進化的傾向を促進し、選手間の相互接続の出現を促進するコンテキストを生成し、それが結果的にモデルの再定義を生み出します。 「高度なトレーニング方法論は要約すると次のようになります。 選手にゲームの状況や展開を生み出す可能性を与え、相互作用するための戦略を試行錯誤し見つけることに慣れさせるトレーニング提案を提供する。 指導者の課題は、すべての選手が知っていて共有する非言語の共通言語の作成を促進することであり、それはプレーヤー間の相互作用を生み出すのに役立ちます。 指導者が伝えることができるこの言語の原則は、パス、マーク外し、カバーリングのポジショニング、およびすべての攻撃的、守備的なゲーム展開の概念に関係します。 実際には、ファシリテーターとしての指導者の役割は、共有のゲーム戦略を適用および実行できるすべてのツールをプレーヤーに提供することにあります。」 (F. D'Arrigo、2014 、参考文献に引用された記事、37 ページ)。 したがって、「誘導された自己組織化」とは、指導者が計画した境界内で自己組織化する自由をチームに与え、絶え間ない弁証法的プロセスの中で自分たちで問題の解決策を見つけることを意味します。
ゲームモデルが定義されたら、指導者の仕事は、その実現に適正で適切なトレーニング提案を構築することです。 これは一般に「リバース エンジニアリング」プロセスと呼ばれるものです。 「細部」と「全体」の関係を見失わずに、目標を達成するために必要な条件を練習し、複雑なものから複雑でないものへ逆行(トップダウン)し、そして、良い弁証法的プロセスにおいて、グローバルな形で再び練習を提案します。
トレーニングで提案される「ミクロシチュエーション」は、試合中に現実的に起こると想定されることに基づいて、試合の断片に対応している必要があります。
(注13) ブテラ教授の造語。 参照:A.F. デ・トーニ、L. コメロ、L. イオアン、2011 年、146ページ。
(注14) プレーヤーは、攻撃と守備の両方におけるゲームの基本原則を理解し、共有する必要があります。 「指導者は、これらのゲーム原則の伝達を通じて、さまざまな部門およびゲームチェーン内のプレーヤー間の相互作用の可能性を組織し、戦術モデル内でプレーヤーが取るべきポジションを確立し、さまざまなインタープリター間で最適なリンクを可能にします」 2017年、ジェノアのUEFA BコースでのF・ダリーゴによるプレゼンテーションより。
(注15) A.F. デ・トーニ、L. コメロ、2007 、32ページを参照
システム的(システミック)アプローチと還元主義的アプローチ
複雑なシステムは、従来の分解的アプローチでは理解できません。
問題に対する従来のアプローチは、還元主義的、専門的、またはシステマチック(Systematic)なアプローチとして知られており、機械主義的です。つまり、問題をより小さな部分に分割して分析し、その特性を研究します。 それらから、すべてを理解することに戻ります。 実際、科学的還元主義は、あらゆる生物は分解して再組み立てできる巨大な機械に同化することができ、そのため部分を理解することで全体を知ることができる、なぜなら生物は機械的な組み立ての結果にほかならないからである、と主張します。 この考えは、問題が限られた領域に限定されている場合には効果がないわけではありませんが、全体の複雑性が増すにつれて適切ではなくなることがわかります。 地球規模の緊急事態(汚染、貧困、世界の飢餓、生態系の進行性破壊、経済のグローバル化)から、私たちが住んでいる地域に至るまで、私たちは専門的な解決策に「抵抗がある」問題に遭遇する機会が増えています。
相互に影響し合う多数の要素を伴う複雑な問題は、個々の部分間の関係と、それらの関係がそれらが属する全体の全体的な質をどのように決定するかを考慮したシステミック(Systemic)なアプローチを通じてのみ解決できます。
部分を理解しても、全体の特性については何もわかりません。 前の段落の例に戻ると、水素と酸素、あるいは脳内のすべてのニューロンの特性を詳細に研究することはできますが、これらの単純な要素の相互作用から現れる特性を理解することはできません。 サッカーの試合は、ピッチ上の 22 人の主人公であるプレーヤーのグループで構成され、継続的に相互作用し、個々の要素の決定がシステム自体の全体に影響を与え、その進化を条件付ける複雑かつオープンなシステムです。 サッカーというゲームを理解するには、個々の要素を個別に見るのではなく、サッカーを構成する要素間の関係に焦点を当て、サッカーを全体として、グローバルかつ分割不可能な存在として考慮する必要があります。
しかし… 「私たちは皆、細部から「後退」して「個々の木ではなく森を見る」ことができるという比喩を知っていますが、残念なことに、私たちのほとんどは後退しても「多数の木」しか見えません。」。 (ピーター・センゲ、1992)
したがって、サッカーの分野では、ほとんどの場合、グローバルな問題を「局所的」に解決しようとします。特定のトレーニングマシンを使用して、アスリートの個々の筋肉を強化することによってパフォーマンスの向上を目指す習慣は、依然として広く普及しています。さまざまな筋肉群を互いに分離しながらです。そうすることで、私たちはゲームが展開する緻密な人間関係のネットワークを見失ってしまいます...
上からの視点:
物事を綿密に分析しすぎると、全体的なビジョンが失われてしまいます。
細部に注目すると全体的な意味が失われる
盲人と象
複雑なシステムは、その個々のコンポーネントを分析することによって理解することはできません
これが厳格な還元主義的なアプローチのリスクです
ブロックトレーニングと統合トレーニング
スポーツトレーニングにおける還元主義的なアプローチは、トレーニングプロセスがさまざまなスキルの開発のために個別の「ブロック」で構築される伝統的なトレーニング方法論の中にその表現が見られます。 パワー、持久力、スピード、関節の可動性、テクニック、戦術に特化したセッションが企画されています。 したがって、全体的なパフォーマンスは、組み立てプロセスに従って個別に改善されるさまざまな機能の合計の結果であると考えられます。さまざまなピースを組み合わせて、レゴ ブロックで行うのと少し似ています…
伝統的な理論によると、全体は部分の総和です。
間違いは、アスリートを多くの機械部品で構成された車と考えることです。 「複雑」なシステムである生物は、あたかも「煩雑」なシステム、つまりメカニズムであるかのように扱われます。 グローバルな問題は、それが単一のプレーヤーに関わるものであれ、FWやDFなどの部門やチーム全体に関係するものであれ、個人的や集団的なコーディネーションに関係するかにかかわらず、例えば個々の選手、さらにはアスリートの個々の筋肉にのみ作用するような分野別の介入によって「局所的に」解決することはできません。 個々の要素を個別に捉えるのではなく、要素間の関係に焦点を当てる必要があります。 システム的アプローチは、パフォーマンスのあらゆる要素(身体的、戦術的、技術的、心理的、および社会的)の相互作用を最適化するために、可能な限り同時に 「並行して」促す必要性を強調する新しい方法論の一部です。 その中でも、リッカルド・カパンナ教授の機能的かつ総合的なトレーニングと、ヴィトール・フラデ教授のポルトガルの戦術的ピリオダイゼーションの方法論は言及に値します。(注16)
(注16) 詳細については、参考文献で引用されているマイウリとガッティによるこれらのトピックに関連するテキストを参照してください。
テストの幻想
複雑なシステムにおいて、一部を分離してそこから全体に関する情報を得ることができるでしょうか?
複雑なシステムの特性に関して上で述べたことから、答えは間違いなく NO です。 しかし、選手を判断するために、全体が部分の単純な総和であるという誤った信念のもと、選手をさまざまな部分に分けて分析し、個別に評価するテストを繰り返し受けるのが一般的です。
しかし、テストはパフォーマンスを予測するものではないと言う勇気を持たなければなりません。 戦術的、技術的、身体的、認知的、感情的、社会関係的の側面は、相互の関係を決して見失うことなく考慮されなければなりません。 決して一次元的な評価をしてはいけません。 複雑なシステムとしてのサッカー選手は、システミックな観点からのみ理解することができ、アスリートや熟練したジャグラーとはさらに異なるものにする資質を表す戦術を読む能力から始めて、グローバルに評価されなければなりません。
全体は部分の総和とは異なります。
しかし、それではなぜサッカー界は還元主義的なアプローチを採用し続けるのでしょうか? 彼らは、テストは参考になると言います。 しかし、それらは参考になるでしょうか?
確実性を求める私たちの欲求は、残念なことに私たちを間違った道に導いています...
「線形化するという数学の使い方を知っているという理由だけで、それが不可能な場合でも線形化することは、夜に街灯の明かりの下で、落とした家の鍵を探す酔っぱらいの話を思い出させます。 通行人が彼に鍵をどこで失くしたか尋ねると、彼は「あそこ」と離れた暗闇の場所を指しました。 通行人は当惑して尋ねます、「あそこで失くしたのに、なぜここで探すのですか?」 そして酔っぱらいは「ここは明るいから見えるけど、あそこは暗くて何も見えないからだよ!」と言いました。 (S. ポレンタ、参考文献)
「線形性とは:線形性は素晴らしく簡単な解決策を提供しますが、少なくとも解決しようとしている問題に関しては焦点が合っていないことが多く、したがって本質的に間違っています。」 (C.S. Bertuglia、F. Vaio、2003、265 ページ)。
個別化されたトレーニング
システム的な観点から見ると、個別のエクササイズの使用、いわゆる「個別トレーニング」は後回しにしなければなりません。
スペイン人監督オスカル・カノはこの点について次のように述べている。
「プレーヤーを自分が浸かっている関係のシステムに依存していないかのように個人の存在として考えるとき、私たちは視点を失い続けます。 このようにして、還元主義者の喜びに合わせて、個別のトレーニングが開始されます。 個人の移動距離は非常に洗練された手段、つまり動きの強度で測定され、その結果に基づいてトレーニングが調整されます。 (省略) 最も革新的なのは、戦術分野にパーソナライズされたトレーニングをもたらします。 完璧なストライカーまたはウイングを育成することが目標です。 これは、たとえば枠内シュートを最適化するための有用な練習を通じて行われます。 まるで攻撃アクションの目的がチームのゲームの特定の形式に依存していないかのように、ゴールに向かって一連のシュートを行うというあまり複雑ではない提案。 まるで、相手のエリア内での有効性は、そのスペースに到達するために11人がどのように組織されるかの問題ではないかのようです。 (省略)真の特定および個別化されたトレーニングは、選手の特性に基づいて実際の試合のスペースで介入、プレイしながら選手が最もうまく「関係」できる要素と調和しつつ、共有の目標が定義される形で提案されます。 (省略)実際には、他人を考慮することなしに個人の向上はありません。 そして、この概念を受け入れるということは、それを抑圧したり排除したりすることなく、それをトレーニングセッションに取り入れることを意味します。」(注17)
この視点を採用するということは、ゲームがプレイヤーの真の教師であり、「その途方もない複雑性とプレイヤーがゲーム内で創造的かつ同様に複雑な形で相互作用することによって与える解釈によって「すべてがゲームの現実に依存する」ということを認識することを意味します。」 (F. ダリーゴ、2015、170 ページ)。
(注17) オスカル・カノ、バルセロナのポジショナルプレー、コンセプトとトレーニング、Edizioni Correre (MI)、2013 年、 31-32ページ。
複雑性の中で学ぶ
サッカーの試合では、プレーヤーは状況を即座に読んで、数秒以内に選択をすることが求められます。 そのプレーヤーの選択は試合のシナリオを完全に変え、チームメイトや対戦相手の選択に連鎖的に影響を与え、事前に予測できない効果と反応を生み出します。
このような予測不可能な状況の中でサッカー選手に簡単に行動できるように教えるにはどうすればよいでしょうか?
類推すると、非常に交通量の多い道路で車を運転することを考えることができます。 「認知」条件は非常に似ていますが、チームメイトとの協力的な相互作用と対戦相手との対立的な相互作用が展開されるサッカーの試合ほど複雑ではありません。それらは交通渋滞には存在しません。 ただし、サッカーの試合のようですが、信号、標識、禁止事項など、物事が機能するための非常に具体的なルールがあります。 それらはすべて道路交通が可能な限り混乱しないようにするための適切な措置です。 ただし、交通手段の個々のドライバーの行動は事前に決定することはできず、他のすべてのドライバー、少なくとも最も近いドライバーの行動を考慮する必要があります。
私たちのドライバー(初心者を想像してみましょう)が都市交通のジャングルで生き残るために「適応」するための最良の戦略は何でしょうか? 確かに、初心者ドライバーは、最初に、車両で移動するための「基本的な技術原則」に関する知識、つまり始動方法、発進方法、ギアの変更方法、停止方法などを教える必要があります。 最初の運転試行は「簡易な条件」で、例えば障害物のない大きな広場で行われ、特別な感情的プレッシャーを感じることなく車両の制御に挑戦できるしょう。 ただし、基本を習得したら、実際の都市交通の世界に真っ向から身を投じる時が来ます。おそらく、混乱の少ない環境で運転を開始し、その後、ますます複雑になる状況で車をコントロールする方法を学びます。 もしあなたが若いドライバーならできるだけ渋滞の中で運転することによってのみ、渋滞での運転が上手になることがすぐに理解できるでしょう。経験を積むことでのみ、複雑なシステム内での生活を管理できるようになります。 近道はありません。 サッカーを学ぶには...できるだけ長くサッカーをすることです!
複雑性の中に生きることによってのみ、複雑性を統治できるようになります。
試合の環境や特定の状況にできるだけ精通し、経験を通じてのみ、試合中に発生する可能性のある問題-状況に最適に対処するために必要な戦術的-技術的スキルを身につけることができます。 これがシチュエーショントレーニングを提案することが非常に重要である理由です。現代の指導者は、サッカーの試合の複雑性、予測不可能性を認識しています。 サッカーの試合に内在する不確実性を軽減し、それを利用するために、彼は選手たちに厳格なスキーム(スキームによるトレーニング)ではなく、ゲームの原則(原則によるトレーニング)を提供し、共通の(非口頭)言語でそれらを認識し、共有します。
選択肢を共有することでゲームに秩序が生まれます。
方法論的および運用上の結論
上記の神経科学と複雑性科学の獲得から、次の方法論的および運用上の指標を導き出すことができます。
・脳はミラーシステムを利用して、目標の行動(意識的・無意識的意図)を実行します。 脳は他の器官と同様に、訓練する必要があります。 トレーニングセッション中に、試合で実現したいことと同じ意図を選手(ミラーシステム)に促すことが必要です。
・アナリティックな練習(安定、もしくは部分的に不安定な環境、つまり単純化された環境での練習)を実行するときに活性化されるニューロンは、同じ動作でも状況に応じて行われる場合に活性化されるニューロンとは異なります。この場合、私たちの意図的な行動は、チームメイトの(意図に基づく)協力的な行動と対戦相手の(意図に基づく)敵対的な行動に依存します。 サッカーの試合でも、人生と同じように、私たちは常に、環境に対してあらかじめ決められた方法ではなく、文脈(注18)と環境に応じて動きます。
「アナリティクストレーニングは、「何かを行う方法」を「それが行われる目的」から分離し、特定の構造の体系化された学習のみを可能にし、実際の試合の発展には使用できない可能性があります。」 (F. D'Arrigo、2015、121 ページ)
ゲームの現実から切り離された状況で技術的な動作が学習されると、試合中に活動しているニューロンとは異なるニューロンが活性化されます。これにより、学習したスキルを試合の競争的な状況で有益に使用するために不可欠な神経運動の特異性が失われます。
・実際の試合とは異なる空間で限られた人数でトレーニングすることは、試合のミクロな状況を再現して理解するのに役立ちますが、指導介入を効果的に行うためには、実際の試合のスペースで何度も起きる出来事や状況を再現する必要があります。 実際、狭いスペース内での行為の可能性は、フィールド全体で提供されるものとは異なります。たとえば、ボールをフリーなチームメイトにバックパスすることによってプレッシャーゾーンから抜け出す可能性や、サイドチェンジをするチャンス、ディフェンスラインの裏を攻撃するチャンスなどの例を考えてみましょう。 そして、時空関係の変化、最適な選択をするために使用できる時間の違い、狭いスペースと広いスペースでプレーを実行するために必要な力の違い、狭いスペースでの高速な展開の不可能性などを考慮しましょう。さらに、基本的な側面として、プレイヤー数の減少により、相互作用の可能性が制限され、その結果、ゲームの複雑さが減少します。 したがって、狭いスペースでのゲームは簡略化されており、プレーヤーのゲーム原則の理解を容易にするため、準備の観点からは役立ちますが、試合の現実とは十分に関連していません。
・模倣による学習方法は、「あらゆる年齢、あらゆる能力レベルにおいて、アスリートはプレーする機会が増え、チームメイトや対戦相手と自分を比較し、より明らかに動作を完璧にするように促すポジティブな刺激を「吸収」するようになり、それが競技での成功に導く可能性がある。」ことを示唆しています。 (R. カパンナ、2016、95 ページ)。
・試行錯誤による学習方法は、「プレイヤーが実践的な経験を積むほど、自分が没頭している問題(試合)に正しく反応する可能性が高まる」ことを示唆しています。 (R. カパンナ、2016、109 ページ)。
プレイヤーが(ミラーシステムを通じて)チームメイトの意図を理解し、対戦相手の意図を認識し予測することを学ぶことができるのは、必要な口頭での説明ではなく、経験を通してのみです。
・サッカーの試合では、関与する選手の数が増えれば増えるほど、試合の予測不可能性が高まります。 制御すべき変数が多ければ多いほど、複雑性が増し、その結果、プレイヤーの認知-感情的関与が大きくなります。
・2 人以上のプレーヤーの連携した動きによって生じるゲームの複雑な集団構造は、最終的にはパス (攻撃フェーズ) やカバーのポジショニング(非保持フェーズ)といった個々の戦術-技術スキルに関連するゲーム原則を指す相互作用ルールに基礎を置いています。(注19)
したがって、私たちの脳を以下のように訓練する(つまり、適応させる)必要があります。
・特定のゲームスペースと密度(注20)で働かせる。
・経験を通じてチームメイトと対戦相手の意図を認識し、ゲームで起こり得る展開を予測できるようにする。
・複雑な環境や文脈、あるいはフィールド内のエージェント間の無数の相互作用によりゲームの展開を確実に予測できない状況で問題を解決する。
しかし、選手に特定の技術的または戦術-技術的な欠点がみられる場合、パフォーマンスの部分的な側面に介入することを避けることができないのは明らかです。 このような場合、タスクを単純化するか、さらには基本的な単位に分割するための予備練習や修正練習に頼る必要があります。 いくつかの技術的な動作の特別なトレーニングは、プレーヤーが通常のフリーゲーム(制約などのない自由なゲーム)中にあまり実行しないすべての基本動作を向上させるのに特に適しています。たとえば、ヘディング、ゴールへのシュート、ゴールキーパーのテクニックなどです。 基本的な技術的な動作の知識は試合を通じてのみ選手に伝達できること考えると、選手の上達の可能性が大幅に低下するリスクが伴います。 全体だけ、つまり集団的なパフォーマンスだけを考慮し、「部分」を「全体」の中に溶かし、全体を構成する個々の要素の重要性を忘れることは、個々の部分に注目して全体を見失うのと同じくらい重大な間違いです。(注21)
ただし、ゲームの実際の文脈から外れた介入は、たとえ必要であっても、トレーニングに費やされる全体の時間を支配してはならないことを繰り返し強調することが重要です。(注22)
Alan Gendusa(注23) の意見に同意して、「構築的/再構築的」と定義できるこの道では、安定した、または部分的に不安定な環境 (低レベルの複雑さ) に介入する初期段階の後、特定の神経運動への適応を可能にすることと、サッカーの試合の実際の複雑性を尊重するために、練習の提案を徐々により「オープンな」形式に収束させることが絶対的に必要であり、そこでは以下の条件が尊重されなければなりません。
・プレイヤーは選択を迫られます。
・1人以上の相手からの顕著な対立がなければならない。
アクセスコード (非言語) の認識と共有により、プレーヤーの自己組織化が向上し、結果としてトレーニング強度が高まります。 選手間で真の統合が起こるためには、トレーニングセッション中に選手たちが長時間一緒にプレーし、できる限り相互に交流(つまり、「お互いを知る」)できるようにする必要があります。
各トレーニングセッションが「集合的規模」の練習で終了することが重要です。 各ポジションやサイドの関係性など専門的な練習や、1 対 1、2 対 2 などの基本的な状況に取り組むことは、重要な形成-予備的または修正的な価値を持ち、試合でより頻繁に繰り返される特定の状況の認識と適応を迅速かつ効果的に可能にします(すべての試合状況は唯一無二で再現できないため、似たような状況ではありますが、決して同じではありません)。しかし、チームはゲームのあらゆるフェーズですべてのプレーヤーの協力を得て、全体として戦術的な問題を解決することを学ばなければなりません。 統合されたシステムでは、各部分が他のすべての機能として働きます。試合中にピッチのどのエリアで何が起こっても、全体の状態に影響を与えます。 ボールエリアから最も遠い選手たちでさえ、それぞれのやり方でゲームに関わり、ゲームに影響を受け、またゲームに影響を及ぼしている。
まとめると…
サッカーチームは個性の集合体としてではなく、単一の有機体、機能単位として理解されるべきです。 ゲームの合唱的で調和のとれた表現が実現されるためには、個々のプレーヤーがユニットとして機能する統合された構造の中で相互に機能するように動作する必要があります。
したがって、コーチは個人に焦点を当てるのではなく、ピッチ上の選手間の「関係」の質を注意の中心に置く必要があります。
神経科学から、人間は孤立するのではなく、周囲の環境に溶け込んで経験を積みながら行動し、行動することを学ぶことが確実にわかっています。 その結果:
プレーヤーは、トレーニング中に提案された練習が試合の環境や特定の状況を再現し、試合中に直面することになるのと同じような問題状況に直面するようになるほどパフォーマンスが向上します。
実際、ミラー システムの研究から、次のことがわかっています。
「戦術的な連携を完璧にするために役立つチームメイトの意図の理解と、彼らのイニシアチブに対抗するために役立つ対戦相手の意図の理解の両方を向上させる可能性をアスリートが決定するのは、プレーによって得られる経験だけです。」 (注24)
理論的な説明は重要ではありますが、サッカー選手が「適切なタイミングで適切なことを行う」ことを可能にするのは、理論的な説明ではなく、試行錯誤の実行段階を通じて問題-状況を解決しようとする際に得られる経験だけです。 その過程では失敗は「経験を積む」ために必要な出来事であると考えられます。25
学習の「進歩」はこれまでの「背景」(経験)に依存します。
トレーニング中、コーチは、選手たちが試合で起こり得る経験とできるだけ同じような経験をできるような状況を作り出す方法を知ることが不可欠になります。 したがって、フリーゲームは選択的な学習手段を表します。ゲームを通じて、プレイヤーは特定の競争環境でミラーシステムを使い次のことを学びます。
・チームメイトの意図を「読み取り」、相互連携を向上させます。
・相手の意図を認識し、相手の行動を予測できるようになる。
・相手から自分の意図を隠し、「騙す技術」(フェイント)を発達させます。
最後に、冒頭で触れた神経科学者のベンジャミン・リベットが行った、行動に対する認識の遅れに関する研究についての考察です。
少し自問してみましょう。選手のミスが後になってからしか気付かないのであれば、そのミスを叱る意味は何でしょうか? 運動動作の「実行中」にリアルタイムで考えるための「技術的な時間」はあるのでしょうか? リベットが言うように、意識が出来事の「前」か「後」にしかないのであれば、答えはノーです。
リベットの論理には多くの議論があり、科学界のすべてが彼の結論に同意しているわけではありません。 私たちの脳が、私たちの意識が知る前に「選択」するのであれば、...何が自発的で何がそうでないのでしょうか? そして「自由意志」はどこへ行くのでしょうか?
将来の研究では、特定のプロセスのダイナミクスをさらに明確にできるようになるでしょう。 それまでの間(疑念がある間)、私たちはプレーヤーの脳をゲームの予測不可能性にできるだけ慣れさせるようにトレーニングすることに目を向けることができます。その結果、プレーヤーは適切なタイミングで正しい選択(意識的または無意識的)を行うために必要な重要なサインを選択して認識する能力を磨くことができるでしょう。それはプレイヤー側にかなりの経験の蓄積を要求する道です。 これがゲームの現実からかけ離れた、具体的でないトレーニング提案で貴重な時間を無駄にしてはいけないもう1つの理由です。
(注18) 文脈とは、環境が特定の瞬間に受ける「意味」です。
(注19) 2 対 2 は、集団戦術の基本要素をその中に含むゲームのミクロな状況です。 詳細については、F. D'Arrigo、2015、62-67と92-109ページを参照してください。
(注20) ゲーム密度は、プレーヤーの数と利用可能なスペースの比率によって定義されます。
(注21) 還元主義の対極にあるのは、急進的な全体論的(ホリスティック)思考(ギリシャ語の「オーロス」、「全体性」に由来)であり、これによれば、現実は基本的に「全体」で構成されており、個々の部分の特性は無視できるほどである。 システム的アプローチでは、部分を個別に考えるのではなく、全体との弁証法的な関係において考慮します。 すでに 17 世紀には、フランスの哲学者ブレーズ・パスカルはこの概念を模範的な方法で表現しました。「このようにすべての事物は、引きおこされ引きおこし、助けられ助け、間接し直接するのであり、 そしてすべてのものは、最も遠く、最も異なるものをもつなぐ、自然で感知されないきずなによって 支えあっているので、全体を知らないで各部分を知ることは、個別的に各部分を知らないで全体を知る ことと同様に不可能であると、私は思う。 」B. パスカル、パンセ、 72番
(注22) 個人技練習で選手の「武器」を磨きます。 しかし、鋭い剣を手に持っているからといって、戦いでの使い方を知っているわけではありません。 戦うことを学ぶのは戦うことによってのみ! サッカーでも同様に、ゲームはプレーを学ぶための真の教師です! 状況に応じた練習を犠牲にして基礎的なテクニックに焦点を当てすぎたという方法論上の誤りは、私が通っていた空手の道場でも犯されており、そこでは何年にもわたって、事前に確立された順序で組織された攻撃と防御のテクニックの反復が、ペアで、または対戦相手なしで個別に実行されることが、戦闘訓練の選択的手段として使用され続けました。
(注23) 参考文献で引用されている記事を参照してください。
(注24) R. カパンナ、2016 年、 48ページ。
(注25) 「トレーニング中に間違いを犯した場合、「間違いを犯す」ことを学ぶというのは真実ではありません。 失敗は経験を積むために「必要な」出来事です。 学習を妨げるマイナス要素とみなされるべきではありません。」 R. カパンナ、2016 年、96ページ。
もし間違ったジェスチャーを繰り返すことによって間違った運動パターンが記憶されるなら、大人は皆、幼少期に初めて試みたぎこちない歩き方を再現して、かなり奇妙な歩き方をするでしょう。
トレーニングセッションの構成
1 回のトレーニングセッションでは、刺激の「複雑性」の調整は 1 回のトレーニングセッション内で行われ、「戦術的ピリオダイゼーション」の方法論モデルで行われるような、週の練習時間全体に分散されることはありません。(注26)
各トレーニングでは、曜日を問わず、常に最大の運動強度が求められます。 運動の強度やゲームの強度を身体的な負荷と混同しないでください。
それは、原則によって定義されたプレーの形式を認識し、それを共有するプレーヤーの能力、つまりゲームの組織化を見つける能力にかかっています。(注27)
基本的な前提として、すべてのトレーニングセッションは、プレーの改善という唯一の目的を持たなければなりません。個々の選手の身体的パフォーマンスの向上は、実行された戦術的-技術的な取り組みの肯定的な結果としてのみ考慮される必要があります。 (注28)
したがって、「状況の中にとどまる」、それがどのように展開するかを理解する必要があります。 指導者は、フィールドで起こったことに基づいて事前に計画していたものを変更し、その状況が示唆する機会を利用する感性と能力を持っていなければなりません。
最初のフリーゲームによって提供されるヒントから、修正的および予備的演習が推定され、見つかった課題を改善するために指導介入が行われます。
この行程は、トップダウンとボトムアップの循環プロセスに分かれています。
「修正」訓練や練習とは、全体的な状況から切り離して、パフォーマンスの部分的な側面を修正/改善するために使用される訓練や練習を意味します。
修正のための練習や試合の選択は、トレーニング中や、親善試合、公式試合中に行われた試合で見つかった課題によって常に提案されます。
「予備」訓練および練習とは、主に「準備」機能を実行し、より複雑な状況をプレーヤーに「説明」して単純化するために教訓的に使用されるすべての訓練および練習を意味します。
修正的訓練/練習と予備的訓練/練習の違いは相対的なものです。 同じ提案は、課題を改善するために使用される場合は修正的であると見なされ、より複雑なタスクの準備機能として使用される場合は予備的であると見なされます。 予備/修正練習と訓練により、コーチは個人スキルの実行原則や特定のゲーム原則へのアクセスコード (非言語コミュニケーションを通じて共有されるルール) に関する知識を選手に伝えることができます。 これらの「部分的な」練習により、コーチは特定の戦術スキル (認知と選択) とテクニック (正しい動作) の習得を刺激します。 しかし、プレーヤーが試合の実際の文脈の中でこれらのスキルを表現できるようになるまで、学習行程は完了したとは言えません。 したがって、フリーゲームから出発し、練習と訓練を経て、再びフリーゲームに戻ることになります。
参照モデルは、G.E.G.( Giocare プレイする – Esercitarsi 訓練する – Giocare プレイする) という頭字語で要約できます。 ただし、最後に行われた試合でトレーニングの基礎となる信頼できる情報がすでに提供されている場合は、必ずしもフリーゲームの初期段階を経ずに、修正または予備練習から直接セッションを開始することができます。 そうでない場合、最初のウォーミングアップの後、中央フェーズ(イタリアではセッション前、初期フェーズ、中央フェーズ、最終フェーズというフェーズでトレーニングセッションを分けるのが主流)のトレーニングの最初の提案は、短い「観察の」フリーゲームでなければなりません (参考文献の Gendusa、2014 を参照)。 ただし、基本的に重要なのは、すべてのトレーニングセッションのメインフェーズが常に、選手たちが自由なプレーで自分自身を表現するよう求められる瞬間で終わるということです。
ゲームを通じてのみ、チームメイトと協力し、対戦相手に対処する方法を学びます。
(注26) 「戦術的ピリオダイゼーション」は、ポルトガルとスペインで非常に普及しているトレーニング方法論であり、ポルト大学でヴィトール・フラデ教授により提唱されました。 この大学によると、戦術的な側面がトレーニングプロセス全体の基準点となります。 心理的、技術的、身体的な側面は、戦術的な側面に従属します。 このトレーニングは、試合中に発生する可能性のあるゲーム状況と同様の状況を可能な限り再現することを目的とした練習を通じて、「ゲームモデル」を構築することを完全に目的としています。 「特異性の超原則」がトレーニングプロセス全体の指針となるため、特異性のない練習が入る余地はありません。 この方法論は、システム的アプローチに遡ることができ、これに従ってチームは、個々の個性の総和にまで遡ることができない複雑な有機体として理解されなければなりません。 コンディション能力(パワー、スピード、持久力)の開発のみを目的とした介入はありません。個人の身体的向上は二次的な結果、つまりメソッドの適用の結果であると考えられます。 「モルフォサイクル」と呼ばれる一週間のミクロサイクル内で、練習の割り当てには、前の試合からの回復に応じて調整される身体的負荷と、認知的および感情的負荷の観点からさまざまなストレスに対応する複雑性の度合いの両方が考慮されます。 曜日ごとの練習は、個人、グループ、ポジション別、ポジション間別、集団など、複雑さのさまざまなレベルに対応するさまざまな「スケール」で実施されます。 詳細については、参考文献の M. Monteleone、G. Maiuri、P. Gatti を参照してください。
(注28) «なので私の意見では、チームのプレーを評価する複数の戦略目標を満たすように設計された練習に満ちたセッションを提案できる監督は、この組織機構の「核」なのです。 ただし、これらの練習それぞれにおいて、一番の意図は、全体的なパフォーマンスを最適化することでなければなりません。個々のプレーヤーの身体的パフォーマンスの向上は「避けられないが前向きな結果」としてのみ想定されます» R. カパンナ、2013 年、61ページ
(注29) リッカルド・カパンナ教授によれば 、予備的練習と競技パフォーマンスとの相関性は低い。 予備的な活動のカテゴリーに含まれる練習は次のものです:
1. プレーヤーの選択を「強制」するために、特定のルールの使用が想定されるもの(タッチ数、限られたスペース、禁止または義務付けられたエリアなど)、またはプレイヤーが実行すべきタスクを理解しやすくすることを目的として使われる、小さなツール(マーカー、コーン、ポール、ミニゴールなど)の使用が想定されるもの。
2. 方向性を持たないボールポゼッションを伴うもの、つまりボールを維持することだけを目的としたもの。 反対に、方向性のあるボールポゼッション、ゲームの共通のアイデアを開発し、実行することを目的としたボールポゼッションは、試合練習の一部です。
3. 個人の技術の向上のみを追求するもの。
4. 色々な距離を一定のリズムで走ったり、跳んだり、登ったり、ステップをすることや運動前の練習など、「身体」の質を強化することを目的として、ボールを使わずに練習するもの。
5. ウェイトリフティングの練習もこのカテゴリに含まれます。
R. Capanna、2016 年の64-65ページを参照してください。
トレーニングセッションの例 プロクラブのU17チーム
以下に、トレーニング再開初日(火曜日)から始まる、プロクラブのU17チームのトレーニングセッションの例を示します。
まず第一に、チームのプレースタイルを指定する必要があります。 プレースタイルは、トレーニングの理由を定義し、トレーニングプロセス全体の指針となります。
私の理想のモデルは、全体的にコンパクトなチームで作られた攻撃的なサッカーであり、ボールホルダーの周りを動く幾何学的図形を作成することでコントロールされるゲームを構築します。 ボールを持っている人は常に 3 ~ 4 本のフリーなパスコースを用意しなければなりません。ピッチの各エリアで見られるボール保持の最小単位は、ボールホルダーと 3 つのサポートで構成される可動四角形です。 理想的なユニットは、頂点、中央に1人、外側に2人のプレーヤー、および1人サポートで構成されるひし形です(以下の図を参照)。(注30)
選手の可動性、ポジションチェンジ、ローテーションは事前に定義されているわけではなく、ボール保持者からのパスを受けられるポジショニングを常に模索した結果です。 これらのタスクを実行するための集団行動は、指導者によって(スキームを通じて)事前に決定されるのではなく、選手たちの相互作用、彼らの認知、そして彼らの自由な選択から現れる必要があります。
例: ボールを保持しているプレーヤーは、味方選手へのパスラインがブロックされているのを見ます。次に、彼は、彼が出したかった味方選手にパスが出せる位置にいるフリーな味方にパスを出します(次の図を参照)。
チームはビルドアップからシュートを打つまで幅を最大限保ち、常に縦にコンパクトに保つ必要があります。 ボールはチームとともに前進します。 ボール保持者は、前にスペースがあれば運び、プレスされればパスする。 パスはそれ自体が目的ではありません。目的は、相手を動かして組織を乱し、ギャップを作り、ライン間や相手の弱いサイド(人数の少ないサイド)でフリーマンを作り出すことです。 相手ペナルティエリア近くで、ディフェンスラインの背後のスペース(シュートエリア)へのパスを探します。 ポゼッションを失った場合には、状況に応じたプレッシングを行い、ボールホルダーが(たとえサポートがあったとしても)チームメイトとプレーすることや背後や弱いサイドをプレーする時間やスペースを持つを阻止します。 ボール奪取後は、組織的な攻撃をリセットするためのスペース、時間、明確なビジョンを持つプレッシャーゾーン外のプレーヤーへのパスが優先されます。 すぐにプレッシングを行える可能性がない状態でボールを失い、ボールエリア内の選手の密度が低い場合には、ラインを再構成することが優先されます。 非ポゼッションフェーズでは、チームは縦、横にコンパクトである必要があります。 相手のプレーがゴールキーパーから再開される場合、相手コートの高い位置でプレッシングを行います。
ディフェンスフェーズでのマーク配置は次のとおりです: ポジション別ゾーンディフェンス、 事前にラインを決めてボールに合わせてマークする。
予防的マーキング/カバーは攻撃フェーズで準備されます。 守備フェーズでは、予防的な攻撃を行います。
ピッチ上の選手の配置(ゲーム-システムの構造)は、4人のディフェンスライン、逆三角形の3人のミッドフィールダー、ウイング2人、センターフォワードです。
次のページに例として示されているトレーニング セッションには、複雑性を増していく 5 つのステップで指導が進められます。
注: 練習時間、休憩時間、個々の練習の繰り返し回数は単なる目安です。 コントロールを維持するための決め手は、実行された取り組みの生理学的パラメーターではなく、練習の質です。 運動の質と強度の低下は、休憩を挿入する必要がある最も適切な瞬間を示しています。
1) カバーされたパスラインから抜け出すための3対1
プレイヤーは 5 人のグループに分けられ、4 つの 7m x 9 m のエリアに分かれます。 4 人のプレイヤーが練習し、1 人は休憩します。 3 人のプレーヤーは長方形の角に配置されます。 1つの角は空けておきます。 ゲームは2タッチ以上で行われます。 中央の黄色の選手がボールホルダーをプレスし、ボールホルダーはフリーの味方2人のうち1人にパスします。 黄色の選手はボールを受けた選手にプレスに行きます。 ボールを保持している味方プレーヤーと中央の黄色のプレーヤーの間のライン上にいる 3 番目の赤いプレーヤーはカバーされているので、パートナーから見える場所に移動します。 ボールを保持しているプレーヤーは、常に 2 つのプレーの解決策を用意しておく必要があります。 30秒で中央の選手を交代し15秒休憩の時間を取ります。 4回(1回30秒+15秒の45秒)の繰り返しを2ブロック、回復時間は1分30秒。
正方形に比べて長方形の形状は、カバーされたパスラインからの抜け出す動作が短辺で行われるか長辺で行われるかによって選手の走行速度の調整が必要となり、パスの強さのダイナミックな区別が必要となります。
選手の三角形の配置は、私が追求しようとしているゲーム-システムの再帰的な形式です。つまり、構造 (フィールド上の選手の位置、フォーメーション) だけでなく、確立された戦術モデル(注31) に従ってピッチの各エリアでプレーヤーが追求する必要がある形式でもあります。(三角形はあらゆるゲームシステムの開始時の幾何学的図形を表します。(注32) ボール保持フェーズで求められる、ボールホルダーと 3 つのサポート (可動四辺形)(注33) から構成される最小単位であるひし形の図形は、実際 2 つの三角形の結合に遡ることができます。
ボールホルダーの周りに 4 つの自由なサポートがあること (36 ページの菱形を参照) は、当然、図形をさらに三角形に分割できます。
練習が終了し、1分30秒の休憩の後、練習スペースは10m×10mに広げられ、そのスペースで2タッチ以上、スペース内を自由に動ける3対1のボールポゼッションを行います。30秒で真ん中のプレーヤーを交代し、15秒の休憩を取ります。 4回繰り返しの2ブロック、回復時間は1分30秒。
2) ボールポゼッション 4対2
12m×12mのエリアで4対2のポゼッションを行います。4人で四角形を作りながらで行います。 ルール: 「プレーそしてムーブメント」、 必ず2タッチ (方向付けたコントロールとパス)。
ボールをパスした後、プレーヤーは静止したままではなく、新しいボールホルダーのために新しいパスラインを作るために移動しなければなりません。 2人のディフェンダーのうちの1人がボールを受ける人をプレスし、もう一人は、ファーストタッチ後のホルダーの向きに応じて、対応する方向のサポートをプレスします。 30秒で中央のプレーヤーのペアを変更します。 6 連続パスごとに 1 ポイント、2 人のディフェンダーの間をボールが通過するごとに 2 ポイント。 中央の 2 人のプレーヤーによるインターセプトごとに 1 ポイント。繰り返しの度に15秒の休憩を取り、4回繰り返しの2ブロック、回復時間は1分30秒。
3) テーマゲーム 8 対 8 + 2フリーマン + 2 ゴールキーパー
一般目標。 攻撃フェーズでは幅を広く縦にコンパクト。 守備フェーズでは縦、横にコンパクト。
ボール保持フェーズでの目標。 攻撃のスカリィオナメント(Scaglionamento:傾斜付け、つまり一列になることなく選手が配置されること):マークを外す動きとカバーされたパスラインからの抜け出しの探求(四角形の形成)。
幅: チームメイトをフィニッシュゾーンに入れるためのパッサンテパスを探求し、ボールホルダーのプレー中にズマルカメント フオリ-リネアのチャンスをうかがいます。(パッサンテパスPassaggio passanteとは相手の背後へのパスの一種でパスがゴール方向ではないものを指す。またゴール方向へのパスはフィルトランテパスPassaggio filtranteという。ズマルカメントSmarcamentoとはマークを外す動きのことで、フオリ-リネアとはズマルカメントの一種で相手の背中からパスの出し手とゴールを結ぶ線に入るようにゴール方向に飛び出す動きです)
深さ:フィルトランテパスの個人技に支えられたゲーム展開を探求し、ボールホルダーがプレーする前にフオリ-リネアのポジショニングを探求する。
非保持フェーズでの目標。 遅延アクション: プレッシング。 集中:デュエルを2倍にし、サポートをマークし、パスラインをカバーすることで、ボールエリアに密度を生み出します。 守備のスカリィオナメント:ポジション別のゾーンマーキング配置。
練習スペース。 フィールド全体 (60 x 100 m)、中央エリアは 60 x 32 m。
練習とゲームのルールの説明。 幅 60 m、深さ 32 m の中央エリア内で 2 人のフリーマン (2 人のミッドフィールダー) を使用した8 対 8 を行う。 2人のゴールキーパーがゴールを守り、サポートプレーヤーとして60×34mのスペース内でプレーできる。 両チームのピッチ上の選手の配置は4-3-3フォーメーションを参照します。
ボールを浮かせずフリータッチでプレーする。 オフサイドルールを適用する。 中央エリアからフィニッシュゾーンに向かってボールをパスできるようになるまでに、5 回連続でパスを成功させなければならない。 ゴールキーパーへの、またはゴールキーパーからのパスはパスの計算に考慮されず、パス数はリセットされます。 目的は、相手を動かし、組織を乱し、ライン間または弱いサイドでフリーの選手を探すことです。 最終的な目標は、パスやスルーパスで相手ディフェンスラインを越えた選手を中央エリア外のスペースに侵入させ、ゴールを攻撃できるようにすることです。 ドリブルでフィニッシュゾーンに入るのは認められません。 攻撃側は5秒以内に得点しなければなりません。 ゴールを阻止するためにディフェンダーを1人投入することができます。 パッサンテパスでアタッカーを投入するとチームは1点、フィルトランテパスで2点を獲得できる(目的はパッサンテパスとフィルトランテパスの違いを強調し、後者の探求を促すことである)。 得点したゴールは追加点になる。 ボールのポゼッションを失ったチームは、状況に応じたプレッシングの実施を通じて、直ちにボールを取り戻すよう努めなければならない(注34)。
バリエーション: サイドからボールを入れる際(侵入した選手がサイドに行った場合)、別のアタッカーを侵入させることができ、ボールホルダーは放物線状のボールでクロスを行うことができる。 より多くのアタッカーを侵入させることができ、ディフェンダーは2人だけ侵入させられる。 フリーマンも侵入できる。など
15分の 2 ブロック、3分間の休憩。
ゲームのビルドアップ段階では、ピッチの各エリアに四角形を作成しようとします(この場合、最初に形成される「サブシステム」は、ゴールキーパー、2人の中央ディフェンダー、およびプレーメーカーの間にあります)。
ゲームが進んでいき…
図に示されている「サブシステム」には、プレーメーカー、2 人のフリーマン(MF)、およびセンターフォワードが含まれています。
8番のフリーマンから中央でボールを受けた9番は、7番に向かってゲームを開きます。
7番はボールをフィニッシュゾーンに運ぶことはできない。
サブシステムの合成と分解は続いています…
11番フィルトランテパスで赤チームに 2 点。
ディフェンダー3番が入ってゴールを阻止しようとする。
ポゼッションを失った場合、状況に応じてボールエリアにプレスをかけ、直ちにポゼッションを取り戻さなければならない。
4) 10 対 10 + 2 ゴールキーパーのテーマゲーム
3分間の休憩の後、10 対 10 + 2 人のゴールキーパーのゲームが、フリーマンなしで同じスペースで同じ人数で、前述と同じ方法でさらに 15 分間行われます。
5) フリーゲーム 11 対 11
5分間の休憩の後、中央エリアはキャンセルされ、ピッチ全体で合計20分間、11対11のフリーテストマッチが行われ、これまでのテーマゲームで練習したことを実際のスペースで実行するプレーヤーの能力がテストされます。
注: ゲームの再開は、試合と同様に、スローイン、コーナーキック、フリーキックなどによって行われます。
テーマゲームでは指導者が個人および集団の行動を指導し修正しますが、フリーゲームではコーチは観察者の役割のみを果たさなければならず、提案や修正に介入することは避けられます。
この段階では、コーチは選手の行動を観察することで選手の学習レベルを確認し、その後の教育的介入に必要な指標を取得します。
フリーテストマッチから、選手たちがまだ学習していないことが明らかな場合、コーチは失敗の全責任を負い、指導方針を見直す必要があります!
(注30) これは純粋に仮設の幾何学的参照であるため、実際にはさまざまなバリエーションを展開できます (たとえば、2 つの頂点、2 つのサポートを持つ図形など)。
(注31)「(略)戦術モデルを区別する重要な要素は、フォーメーションには属さないが、秩序を継続的に探求することである。」 F. ダリーゴ、2015 年、89ページ。 この順序は事前に設定されているものではなく、フィールド上のプレーヤーの認識と共有されたプレー選択から生じます。 戦術モデルとフォーメーションの違いの詳細については、F. D'Arrigo、2015 年、第 6 章を参照してください。
(注32)M. Trombetta、「ボール保持フェーズにおけるサッカーチームの三角形の位置」、FIGC Technical Sector Newsletter、n.3/2002 を参照。
(注33) 可変な四角形の幾何学的図形の構成は、カバーされたパスラインから抜け出す個人の能力に依存しており、ゲームの前段階の展開と考えることができます。
(注34)目的は、プレーヤーが攻撃フェーズから守備フェーズへ、またはその逆にシームレスに移行することに慣れることです。
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
正直翻訳するのにかなり時間がかかりました、、、
自分の論文のためというのもありますが、サッカー関係者、特に指導者の方や親御さんに、少しでも私の翻訳がお役に立てば幸いです。
これからも論文に必要な文献を訳して公開できたらと思います。
以下の有料部分ですが、もしよければ朝ごはんをおごる気持ちで応援していただければ今後の励みになります。大したことは書いてません(笑)
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