今年の春の桜♡
毎年桜が咲くとパチパチ写真を撮ってしまう♪
仕事に行く道、帰り道、桜が見えるとワクワクしちゃって
「よしっっ次の休みは桜撮りにいくぞっっっ📷」なぁーんて、満開の1.2週間は私の中の桜祭りが開催される😍笑笑
今年はこの写真を撮りに行くのがやっとだった。抗がん剤治療4クール目だったか…病院からの帰り道に見える桜にウキウキするのに、なかなか体が思うように動かない😞😞😞
治療を重ねるごとに回復するのに時間がかかる。あれ?前回はこのくらいで体動くようになったのに…7日目でご飯食べれるようになったのに…二週間もすれば吐き気は治まるはずなのに…
何も思うようにいかずイライラも出てくる。仕事はしていないからお気楽な身分なのに、こんなにもストレスが出るものか…
同じ治療を受けているかたのブログなどを毎日読み漁って、参考になる部分もたくさんあって助かった✨✨けど、同じ治療を受けながら仕事を続けている方、お子さんがいて毎日家事をしている方。色々なスーパーサイヤ人な方がいて、なんだかのんきな独り身の自分が「副作用ツライ…」なんて言うのは情けなく感じたりもした😢💦
ま、他人と比べても始まらないっっっ!私は私の辛さを認めよう😌
ぼっちでもしっかり頑張ってるって、褒めてあげよう!
治療の話
私がしている治療はTC療法+Bevという抗がん剤治療💉今のところ一番強い薬剤らしい。脱毛がないものなど選びたかったが、全身に癌が飛び散ってる状態なので選ぶ権利などなかった😨笑
「この場合、一択です。一番強い薬剤を使います。それでも効くかどうかはわからないです。」
先生の言葉は穏やかで、それでも真っ直ぐに力強かった。
TC+Bevを6クール終えて、目に見える癌はきれいに消えた✨
凄い!抗がん剤すんごいっっ✨✨
元々抗がん剤はする気が無くて、もう緩和ケアに頼ろうと思っていた。
姉と母の治療を見てきた自分としては抗がん剤治療の辛さは知っている。(つもりだった。)
全身にまわった癌がそう簡単に消えるわけない。姉は子宮を全摘して術後抗がん剤治療もしてツライツライ思いをしたのに、一年後に肺に転移した。3か月毎に画像で経過をみていたのに…なんで?肺の癌は3センチを超えていた。姉の主治医に「こんなに大きくなるまで分からないものなんですか?前回撮った画像に転移が無かったなら、3か月の間にこんなに突然大きな癌ができちゃうんですか?」責めるつもりはなかったけど、主治医は少しムっとしていた気がする。
とにかく前回と同じ抗がん剤でいきましょう。それでコントロールできたら…と、2回抗がん剤を打ったところで、効いていないと判定がでた😢集められた姉の旦那さんと旦那さんの家族、私とお母さんに見せられたのは全身に癌が飛び散った画像だった。。。
「もう出来る治療がありません。本人に告知しますか?」
え?姉ちゃん死ぬの?
今まで感じたことのない心臓の痛み。
「なんで?え?なんでなんで?一年前は手術すれば高い確率で治るって言ったやん…若いから体力もあるしそんなに落ち込む必要無いって言ったやん…治療できひんってどういうこと?????」
言いたいことは山ほどあるのに、何一つ口にできない。
ただ、心臓が痛い。
『痛感』って、こういうことなんかな。。。
姉の旦那さん側の希望で本人には最後まで抗がん剤治療していると嘘をついて、生理食塩水を点滴したり…そのまま大学病院で息を引き取った。
やるせなかった。あの時こうしていたら?ああしていたら?とめどなく後悔が溢れてきて納得できなくて、、、
姉は手術はしたくないと言った。結婚して5年目で子供が欲しいと心から思っていたと思う。単純に女性として子宮を失いたくないという思いもあったと思う。でも誰一人それを味方しなかった。みんなが先生の言う通り取ってもらいなさい。と😭
誰も先生に口ごたえ出来ないから、私が先生に嚙みついた(笑)
「手術しなくても長く生きられる可能性はないんですか?それに賭ける人はいないんですか?姉がその賭けに出る一人目になっちゃいけないんですか?」先生はみるみる顔がテカテカになり、じきに赤くなりイライラを隠せないようだった。
手術しないと100%再発する、手術が必要。あの主治医の答えは変わらなかった。旦那さんのお母さんがイライラする先生を見かねて私に「口ごたえは止めなさい!」と強い目線と口の動きを見せた。姉は大粒の涙を流して下を向いていた。姉に聞いた。「どうする?納得できそう?」
納得なんかできるわけなかったと思う。姉は観念して絞り出すように「手術します。」と主治医に伝えた。
あの場のあの部屋の空気全てで姉を追い込んだように思えてならない。医者の言うことは絶対である。と。。なぜか崇拝するかのように言いなりになる。。。
私も「悪い物は取らんとなぁ。姉ちゃんが嫌なら嫌って言えばいいと思うけど」と、女性として子宮を失う苦しみや、子供が産めなくなることの喪失感、旦那さんと旦那さんの家族に感じる引け目、これからまわりの友達が子供を産む時、生理の悩みを聞く時、感じる劣等感…姉が感じる「嫌だ!!!!!」
を何一つわかってなかったしわかろうともしていなかったかもしれない😢
自分の番がまわってきて
3クール抗がん剤を打ったところで6.5㎝あった子宮の癌は3㎝を切った。そこで「手術しましょう」と言われてしまった。
ガーーーーーーーン😨😨😨
え…「嫌です!」笑笑笑
鎖骨周辺に散らばった癌も腹膜播種もとりあえず画像には映らない。子宮の癌もこの大きさなら他の臓器を傷つけずに取れます。と。先生は、今のうちに取っちゃえ!というノリだった💦💦💦
手術いや!!!!!にたどり着くまで
最初に癌が分かった時、生理不順からの大量出血で、病院に駆け込みそのまま、即入院で検査づくしの3日間を過ごした。幸い止血できて一旦退院。
看護師さんから「一週間後に全ての結果が出るから外来で来てください。その時に治療方針も決めましょうね。誰か親族の方も一緒におられるほうがいいと思います」と言われて。どうしようか悩んでいた。家族はいないし、、、親戚も言うて疎遠だし。
一人、年の近い従姉妹が気軽にライン出来る距離感だったので連絡してみた。入院するには連絡先や連帯保証人欄がある。本当に独り身には切ない書類である📄😢
保証人は無理。と言われてしまったが緊急連絡先、身元引受人は従姉妹にお願いできた✨その時私は岡山にいて、親戚は京都にいるのだが、従姉妹とそのお母さん(私のお母さんの妹)が岡山まですっ飛んで来てくれた。本当に嬉しかった。ひとりじゃないと思えた👼
予定外だけど検査結果も一緒に聞いてあげる~と、外来の日にも大学病院まで一緒にきてくれることになった。
まさか全身に癌があるなんて、思ってもみなかったので、子宮は取るかどうか決めなきゃなんだろな~…子供産めない体になるのか…温かい家庭が欲しいって、子供産む時には姉ちゃんかお母さんが生まれ変わりで来てくれるかなぁ~なんて考えてたのに…全部夢で終わっちゃうのか~
そんなことばかり考えていた
告知の時
先生に叔母と従姉妹を紹介して、では検査の結果ですが…
どーんと映ったお腹の画像 パチクリ😲😲😲
大きい物が2つ見えるんですけど…???
先生は淡々と「これが癌ですね。大きさは大体6.5㎝かな」マウスでカチカチ定規みたいなの示して説明してくれる📏
かなり大きいので手術が難しいと。
私はそれより横にもう1個あるものが不思議でならない😲笑笑笑
これはなんですか?
「こっちは子宮筋腫ですね。これもかなり大きい」またカチカチと定規で計って7㎝!私のお腹はほぼ癌と筋腫でパンパンに埋め尽くされていた。。。😨「筋腫は悪さしてる様子ないので今のところ放っておいても大丈夫です。」ホントにぃぃぃぃぃーーーー⁈筋腫こえぇぇぇ😭笑
ここで治療の話になるんだと思っていた。手術できないのは怖いけど、少しホッとしてる自分もいた。
先生が画面を変えて腹膜に「リンパ節も腫れているので転移が疑われました。腹膜にもこのように転移がありますね」
え?待ってまってまってまって…
腹膜に何箇所にも見えるこの画面、お母さんが亡くなる一か月前に見せられた画像と同じ…母は姉の余命を宣告されて一気に落ち込み動けなくなった。母の熱が下がらないので近くの総合病院に行くと、何日か後にその腹膜の画像を見せられて、たぶんもう体中に広がっているだろうということ、大きい病院に移しても治療は出来ないと思うからこのままここで最後まで緩和処置して良いか?ということ、黄疸もでてきたので持って2週間くらいかもしれないということ。
あの日の場面がウワーーーと蘇る。。。
続けて私の胸から鎖骨、首のあたりの画像。リンパ節は子宮のまわりから順番に全部腫れ上がっていて、鎖骨あたりのリンパは左右対称に鹿の角のようにブワッと広がって見える。その鹿の角の先に肩のラインにかけてモヤ~っと癌が飛び散っているのが見える。
先生「これも…このあたりも…癌ですね。」
え?待ってまってまってまって…partⅡ笑
これ、お姉ちゃんが死ぬ二か月前に見た画像やん。。。
もう死ぬやつやん…? 死ぬの????
ぜ………全身癌。。。
もう『無』など通り越した。生活の心配など消えた💸💸💸笑
死ぬ寸前やん…もう先無いやつやん…😨
涙が止まらなかった。
「抗がん剤治療イヤって言ったらどうなりますか?」
先生「緩和ケアになるかな。これから痛みがでてくると思うから、放射線で痛みを取ったり、痛みを和らげるケアをしてって…なっていくかな。でも○○さん、若いから!治療にも耐えられる体力があるし、何も諦める必要はないと思う。やってみないと。」
ここで、手術という選択肢は完全に無くなった。他に転移してるのに、子宮を取ったところで安心など無い。
お姉ちゃんの悔しい思い、ここで私が晴らす!!! ?
違うか…笑 でも子宮は切り取ったら解決じゃないこと、大切な子宮を守ること!それで死んでもいいのか?
私のこの状況なら、もう初見で死んでいる 笑
何を拒否しようが、それで死に繋がろうが、私の自由だ!!(`・ω・´)b
散々悩んだけど、もし、子宮を取った後に姉のように他の臓器に再発して死んだら?????
想像でしかないけれど、私は死んでも死にきれない。こんなに大事な臓器を失ってまで、悔しい思いをして頑張って、それでも70、80まで生きられないなら意味が無い。これから女性に対して感じる劣等感も、いいなと感じる男性に出会えたとして、感じてしまう引け目も、新しい価値観を見出す前に死ぬかもしれないと考えると悔しすぎて成仏出来ない。言い切れる😁笑
それに、ここで手術しない道を示してもらったことが、なにかお告げのように感じたのだ✨ あの時感じた違和感はここで正せ!と。
抗がん剤治療のほうは、しないという選択をしてあと何か月、もって一年とか生きられたとして、死ぬときどう思うやろ?今の私の選択に私は納得してくれるだろうか?…いや、後悔する。「あの時抗がん剤してたら少しは長生きできる可能性もあったかな…」絶対一瞬でも頭によぎるその言葉がハッキリ聞こえた。
抗がん剤は、やってみよう。やってみてダメで納得して死のう。やってみて違う方向が見えてきたら、それはワクワクするし、素晴らしい✨✨🥰
あと『僕は死なない』という本をネットで見つけて、買って読む時間は無かったのでYouTubeで検索すると、著者の刀根さんがサクッと内容をお話しされているものがあったので見てみた♪
だいぶ端折るが、最初に受診した先生に「あなた死にますよ」と言われて病院に頼る道をシャットダウンしたらしい!これは本当によくわかる心理で、先生との相性一つで治療に対する姿勢が変わるのである。
刀根さんは自分で癌を克服すべく、いろんな代替治療などを調べて試した。そして病気のことを心配してくれるひとに「大丈夫ですよ。僕は死にませんから!」と言い放っていたと😌でも時間が経つと、片目の瞼が落ちてきて、宅配便のサインを書こうとした時、自分の名前が書けないことに気づいた!これはダメだぁ~と大学病院に行くと、脳に癌が転移していた😱即入院となり、そこの先生との相性も良く、病院に任せることにしたのだ✨全てを観念して、「できることはやった!神様、あとはお任せしまぁ~す!!」と全てを手放したら、刀根さんの癌にピッタリの抗がん剤が見つかって助かったという話だった✨✨✨
がむしゃらにやり切った刀根さんだからこそ訪れた神様のお導きであって、私には何も当てはまらないかもしれない。でも思った!
【執着】の怖さ、嫌ぁーー😫と感じるものを手放すこと。私の、手術イヤ!抗がん剤イヤ!も、過去の癌治療の苦しさからくる執着に思えた。
でも手術はイヤだYo!笑
そんなこんなで、抗がん剤を打つ前日まで泣いてわめいてイヤイヤ!ハゲたくない!ハゲて死ぬのはイヤなのぉ~~~😭😭😭←←←笑笑笑
と病棟看護師さんやソーシャルワーカーさん、がん治療専門の看護師さん、いろんな人の大切な時間を私の愚痴に付き合ってもらって、当日コロッと「抗がん剤うけます!」と、決心を伝えた😂本当に鬱陶しい患者だと思う。みなさん聞いてくれてありがとう♡
15年前の私
こんな経緯で始めた抗がん剤。知っているつもりで、当人側の気持ちなんて全然理解していなかったことを日々思い知る。
姉が抗がん剤でハゲた時、「死ぬよりマシやろっっ!また生える!」と平気で言い放った私。
違う。生える前に死んでしまうこともあるのだ。
お母さんが抗がん剤なんてしたくないと言った時「死にたいの?!」と言い放った私。
違う。最後の最後に苦しい治療をして死んで行くなら、動ける今を思いっきり楽しんで、早めに緩和ケアに切り替え、少しは苦しい最後かもしれないけど、穏やかに一番好きな自分の姿で死にたいと思うのだ。
ごめん、姉ちゃん母さん、ほんまごめん。今二人に話したいことがいっぱいいあって、誰にも言えなくて、言っても聞いてくれる人もいなくて、寂しいよ~ツラいよ~😭
でも、私はどう死にたいか?を考えつつ、それに向かって今何ができるか?
どう生きるか?
を、今までと全く違う視点で捉えて生きていくっっっ😎見てて♪
来年の春
また桜の咲く季節が迎えられたら、その時は思いっきり動き回っていられる体でいたい♪ 願わくば治療を終えて笑顔で桜祭りっっ🤗😍🤗
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