教育改革を改革する⑥

(前回の続きです。今回も寺田拓真さんの著書『教育改革を改革する』から引用を中心に。)

「理想はわかったけど、いったい何をすればいいの?」
この問いについて寺田さんは、こんな答えを書いていました。
先生方にやっていただきたいのは、次の二つのことです。
第一に、「ラーニング・コミュニティ」のメンバー、生徒たちの学びに関わる大人たちと、積極的に対話してください。その中に「学びをつなぐ」ヒントはたくさんあるはずです。
二番目は、生徒たちに対する小さな声かけと働きかけ、そして彼ら、彼女らの小さな声を拾っていくことです。学校の中ですべてを完結させようとするのではなく、可能な限り、それを広げ、紡ぎ、つなげていってください。学習内容につながるものが地域にあるのであれば、授業中や授業の最後に「実はこの町にはこんなものがあるんだよ」と紹介する。専門家や詳しい人がいるのであれば、「実はこんな人がいるんだよ」と伝える。
もちろん、そのように伝えたからと言って、実際に動いてくれる生徒はほんの一握り、ゼロから数名の間でしょう。でもそれでよいと思います。なぜなら、文化や価値観、興味・関心、アイデンティティは、生徒一人ひとり異なるからです。

「『答えは一つ』という行動主義に支配された社会システムの中で行われる、社会構成主義への転換を目指した学校のチャレンジに、さらには、学校の価値観の多様化を目指したチャレンジに、果たしてどの程度の価値があるだろうか?」
この問いには以下のように答えています。
こうしたチャレンジは、子どもたちに学ぶ意義と達成する喜びを与える可能性があると信じてはいます。
しかし一方で、入試、就職という社会システムが変わらないままでは、彼ら、彼女らはそこで脱落していく可能性がある。その結果、本当の意味で、苦しんでいる子どもたちを救うことにはつながらず、むしろ、格差を維持、あるいは拡大することにつながるだけなのではないか。つまり、目の前の子どもたちを一時的に満足させるだけの、単なる「対症療法」であり、抜本的には、何の解決策にもなっていないのではないか。
その上、仮に必要性について確信を持てたとしても、変革は一筋縄では進んでいきません。
Evans(2001)は、変革は教師に対して、一つのLと三つのC、すなわち「1L+3C」をもたらすと述べました。変革がどんなに正当性を有するものであったとしても、半ばシステムとして、教師たちに「1L+3C」をもたらすのです。
Lはloss、「喪失感」です。教師たちは、変革によって、教師として積み上げてきた人生、生徒としての人生も含めて、これまでの自分自身を否定されたと捉え、喪失感を味わうことになります。
そして、一つめのCはChallenge to Competence、「能力への脅威」です。これまで自分が磨いてきた力(教科指導力や生徒指導力など)とは全く異なるように見える、ファシリテーションやコーチングカなどの新たなスキルが求められます。その結果、彼らは自らが無力であるかのような気持ちに苛まれます。
二つめのCは Confusion、「困惑」です。特にトップダウンの変革においては、十分なスキルアップの機会は与えられません。何をすればいいのか、どうすればいいのかわからないまま、変革に立ち向かうことになり、路頭に立ち尽くします。
そして最後は Conflict、教師たちの間の「衝突」です。変革に賛同する者、賛同はしないまでも従う者と、変革に懐疑的な者、変革に反対する者の間で、分断や対立が生まれます。
管理職は、変革の中で、社会システムというマクロな問題と、教師の内面というミクロな問題の双方に向き合わなければならないのです。
しかし、それでもなお、社会構成主義への転換を目指した学校のチャレンジ、そして、学校の価値観の多様化を目指したチャレンジは、必要だと信じています。
社会システムの側がおかしいのに、それに学校が合わせなきゃいけないなんて、本末転倒です。このままでは、今苦しんでいる子どもたちは何も救われません。どれだけ可能性があるかはわからないけれど、新しい教育のもとで学んだ子どもたちが将来、社会システム自体を変革していくかもしれない。それに賭けてみたいと思うのです。なぜなら、僕は「教育の力」を信じているから。

「Festina lente」という言葉があります。ラテン語で、「焦らず、急げ」。
学校のチャレンジは、ある種の「社会変革」です。簡単ではないし、逆風も吹くし、時間もかかるし、特に管理職は不安にもなる。だけど必ず、子どもたちの「よりよい学び」と、「よりよい未来づくり」につながるはず。
「教育の力」を信じる皆さん。焦らず、急ぎましょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?