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近所にジャニーズ事務所がある僕は、日食なつこさんの歌を聴く

家の近所にジャニーズ事務所がある。
正確には事務所が「あった」場所だ。

今は看板が取り外され、古代文字みたいな土台フレームだけが残っている。

連日のようにニュースが報道されているが、
事務所の前には人の気配がほとんどなく、
時折僕みたいな一般人が通り過ぎていくだけだ。

事務所前の小道には、無数の落ち葉が秋の訪れをひっそりと教えてくれる。

思えばジャニーズとは縁のない人生を送ってきた。

これまでジャニーズに入ろうと思ったことはなかった。
(当たり前だ)
これまでジャニーズにスカウトされたこともなかった。
(以下同文)

学生時代、SMAPの「夜空ノムコウ」「ライオンハート」を気に入り、友人とカラオケに行く時には、誰から求められるわけでもなく、ひっそりと歌いあげ、ひっそりとマイクを置いた。

あれから時が経ち、僕はジャニーズ事務所の近くに引っ越した。正確には引っ越した場所がたまたまジャニーズ事務所の近くだった。

引っ越した当初は心のどこかで「ご近所さん」的な感覚があった。しかし相手からしたら、単なる通りすがりの「通行人A」でしかなかった。「ご近所さん」という呼称はお互いがそう思ってない限りは使うべきではないことに気づいた。

報道が加熱していく最中、嵐の二宮和也さんが、Xに投稿した1つの記事がとても気になった。

とても心に響く内容だった。ひっそりといいね♡を送った。しかし僕は「日食なつこ」さんを知らなかった。そして「開拓者」という曲も知らなかった。

すぐにYouTubeで検索した。
最初のフレーズを聴いた瞬間から、大きな衝撃を受けた。

それから彼女の色々な曲を聴いた。

そして、昨夜、僕は有楽町に行って、日食なつこさんの生歌を聴いた。

クリエイティブディレクターの箭内道彦さんが、ゲストを迎えて贈るトーク&ライブイベント企画「うたいびと、であいびと」。そのゲストが、日食なつこさんだった。

「水流のロック」で始まり、それまでの二人の交流の歴史、日食さん秘蔵のヒストリー写真などがスクリーンに写し出されて、軽妙なトークや歌が繰り広げられた。穏やかな笑いと歌に酔いしれる時間。

「あぁ、もう今年もあと3ヶ月か」なんて言葉がついこぼれてしまいそうなほど、泡沫のごとく過ぎていく川の流れに、1本の杭を打ちつけてくれたような気がした。僕はゆっくりとその杭につかまった。

あぁ、立ち止まっていいんだ。

生で聴くピアノの演奏と唄は格別で、深い呼吸を何度も味わった。

多くの人から「自分への応援歌のように感じる」と言われることが多いらしいが、彼女は迷わずこう言った。

日食さん「でも、私は人のために曲をつくっていません。それはもう、ずっと若い頃にやめましたね」

媚びもなく、忖度もない。だからこそ、どこまでも伸びやかで、自由を感じるのかもしれない。そして次の言葉も心に残った。

日食さん「自分がどうありたいかって、私はそれを考えないようにしてるんです。それを考えてしまったら、その考えられる範囲で限界がきてしまうから」

彼女は訊かれたこと一つひとつに対して、自分の言葉で、自分の本当の気持ちを選びとっているように思えた。まさに「開拓者」という曲をつくる作者らしい念持に心を奪われた。

二宮和也さんの投稿を見て、どうして、あんなに心を打たれたのかと考えたら、多分、彼もまた、自分の言葉で、自分の本当の気持ちを選びとっているように思えたからだ。

僕もまたジャニーズの「ご近所さん」でも「通行人A」としてでもなく、自分の道を、自分のペースで歩みたいと思った。

結局、ジャニーズとは最後まで縁はなかったけど、二宮和也さんの投稿のおかげで、日食なつこさんの曲に出会えた。それだけで十分だ。僕はひっそりと心の中で、二宮和也さんの投稿に二度目のいいね♡を送った。

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