猫のホッパーとオーケストラの夜
先日、1年ぶりに軽井沢を訪れた。
泊まったペンションの名前は「グラス・ホッパー」。
ペンションに向かう道中に、たまたま友人のチャーリー・ホッパー君から電話がかかった。
「今日、グラス・ホッパーというペンションに泊まるよ」
と伝えたら「ああ、バッタのことだね」と教えてくれた。
彼は何でもよく知っている。
チャーリー・ホッパー君との電話を終えて
グラス・ホッパーにたどり着くと、外で迎えてくれたのは
バッタじゃなくて1匹の猫だった。
何の警戒感もなくすぐに寄ってきたので、人懐っこくてかわいいなと思いそっと撫でていたら、いつの間にか僕の膝の上に乗って、ぼんやりと夜のしじまを見つめ始めた。
チェックインどころではなくなった。
僕は勝手にこの猫を「ホッパー」と名付けて、ホッパーと一緒にぼんやりと夜のしじまを見つめた。
その隣で宿泊客が次々と中へ入っていく。
僕は何とも言えない顔をしながら挨拶をした。
まだ玄関さえくぐってもいないのに長期滞在者みたいな雰囲気を出していた。
夜、テレビをつけると、エルレガーデンのドキュメンタリーをやっていた。激しいロック音楽で名を馳せたバンドだ。ボーカルの細美武士さんが「飼っていたハムスターが震えながら最後ぴたりと止まって亡くなった時、これまでの人生のなかで一番号泣した」というエピソードをきいて、一気に親近感が湧いた。激しいパンクロックを生き抜いてきた人が話すハムスターのエピソードはギャップがすごかった。
そのドキュメンタリーの中で、エルレガーデンを絶賛するBiSHが登場した。楽器を持たないパンクバンドだ。ハムスター効果が伝播して、BiSHさえも愛着を感じてしまい、気づけばエルレガーデンとBiSHの音楽をひたすら聴きまくる自分がいた。
特にボーカルの「アイナ・ジ・エンド」さんの歌うファーストテイクの「オーケストラ」には胸が打たれた。
さらにはその歌唱力を絶賛する解説動画も面白かった。
表現力豊かな歌唱力も素晴らしいが、歌詞も素晴らしかった。
なんて切ない歌詞なのだ。特に「今では繋がりなんてこの空だけ」というくだりは、もはや切なさを通りこして美しささえ感じる。冒頭の歌詞でさえも「切なさ」のアクセルを全開にふかして始まる。非常に映画的な歌である。
平気な顔をして歩いている人だって、かけがえのない人との別れの痛みを今もなお抱えているかもしれない。そして、それはなにも人に限った話じゃない。
あの猫のホッパーだってもしかしたら切なさを抱えて生きているかもしれない。人懐っこさはその裏返しかもしれない。人肌の温もりの上でぼんやりと見ていた夜のしじまにホッパーは何を見ていたのだろう。
いや、特に何も考えていなかったかもしれない。オーケストラ効果が猫にまで伝播して、切なさが感染ってみえるのだから音楽の力はすさまじい。
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