心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その48

 元奨励会員の筒美が、将棋指しになれなかった自分の人生を振り返り思い出すことを書いています。
※ 最初から読みたい方は、心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだすから読むことをおすすめします。 
※ ひとつ前の話→心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その47

 高校教員時代

 東京都立の高校及び養護学校・特別支援学校に11年間勤めた。
 この期間は、健康面では強迫性障害という病気を発症し、それが進行していった時期でそれについては、自分の場合は、確認障害という症状だった。これは、簡単に言えば同じことを何度も確認しないと気持ちが悪くなってしまうという症状で、授業をする時も自分が間違ったことを黒板に書いたのではないか、間違ったことを言ったのではないかという確認がひどくなって、授業をするのが辛くなり、そのため40代半ばで退職した。
強迫性障害を発症した原因がどうもわからない。
 わりあい心理的な要因で発症する場合もあるようで、もしかしたら、将棋をほとんど指さなかったのがよくなかったのではないか。という気もする。
「なんらかの形で、将棋を指すときのようなやり方で頭を使って考えることをしないと、それが別のことでおかしなふうに頭を使う方向に行ってしまう」ということもあり得ないことだとは言い切れない。「『将棋くん』に多少は活躍の場を与えないと拗ねてしまう」といったところだろうか。
 もちろんこれは、医学的に証明できるようなことでもないし、あまり根拠がある話ではないのだが、完全に否定することもできないと思う。
 それと、すこし違った要素を考慮することもできる。
 例えば、自分は英語の教師になったのだが、もともと学生時代は英語よりも数学が得意な理系タイプだった。時々「左利きを右利きに矯正すると脳に障害が出る」と言うが、「英語ではなく数学の先生になっていたら、それでも強迫性障害になっていただろうか。という疑問もある。要約すると、矯正という言葉が合っているかどうか不明だが「理系を文系に矯正したのがよくなかったのだろうか」という見方である。
 強迫性障害というのは、まだまだ原因が解明されていない病気なので、いろいろ考えてみても結局よくわからない。考えれば考えるほど疑問だらけになってしまう。
 将棋の話に戻るのだが、今までの経験を振り返ってみると、浪人時代に「と金の会」に入ってほどほどに将棋を指していたら、東大・早稲田は駄目だったけど慶応大学に入れた。これはまずまずの成果だ。また、大学院時代にも古豪新鋭戦という平和な棋戦に出るくらいで、将棋はほどほどにしか指さなかったら、大学院修士課程を2年で修了できた。プロ棋士になれないのであれば、そうした「将棋をほどほどに指す」という方向性が自分の心身にとってはいいのかもしれない。
 この頃の生活の場は、親の家が2世帯住宅になっていて、前の予備校時代に続いてその狭い方で親に家賃を払って住んでいた。それと実家の方に食事をしにいっていたので、食費も払っていた。結婚はしていなかったし完全な一人暮らしをしているわけではなかったが、一応それなりに経済的には独立したような気分だった。
 将棋は、数えるほどしか指さなかったが、北園高校という中堅校の上位くらいの学校に勤務していた時に担任をしているクラスの生徒と指したことがあった。
 北園では、当時ホームルーム合宿というのがあった。これは1学期の期末試験終了後に、1クラスずつ、学校が所有している宿泊施設に一泊二日で担任・副担任とクラスの生徒全員が泊まる行事である。
 行事日程は、行った日の昼に山道を散策し、夜はバーベキューを食べてから肝試し大会をし、次の日の朝山道を散歩してそれで帰るというものだった。
 肝試し大会が終わって宿舎に帰ってくると、メガネをかけ、やややせ気味で中背の生徒が教員の部屋に将棋盤を持ってきて、「先生将棋を指しましょう」と言った。
 自分が将棋を指すということをどこかで聞いたらしい。
 その子が、当時奨励会員だった門倉啓太君で、別に断る理由もなかったので1局指すことになった。
 戦型は自分が居飛車、門倉君がごきげん中飛車だった。
 角交換するとわけのわからない将棋になると思い、角道を止めて右銀を進出させていく形を選んだら、序盤から中盤にかけて少し優勢になった。門倉君は少し不利になったと思ったのかうんうん考えて勝負手ふうの手を放ってきたが、落ち着いて対処し、そのまま勝ってしまった。
 門倉君は、「あー、こんなに強いとは思わなかった」などとぶつぶつ言いながら悔しがっていた。
 門倉君が将棋盤を抱えて部屋から出ていくと、その一部始終を見ていた副担任のベテランの男性の先生が、感想を述べた。
「あいつはプロを目指しているらしいけど大したことねえな」
 その見立てが正しかったかどうかが、どうも微妙だ。と思う。なにをもって「大したことある」「大したことない」と呼ぶのか、というところは人によって違う。
 その後門倉君は、23歳で4段になり、つい最近C級1組に上がった。自分は大したものだと思うが、将棋をよく知らない一般に人から見れば、タイトルを取ったりA級八段になったりしなければ、「大したことねえな」ということになるのかもしれない。

※ 次の話→心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その49

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?