心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その49

 元奨励会員の筒美が、将棋指しになれなかった自分の人生を振り返り思い出すことを書いています。
※ 最初から読みたい方は、心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだすから読むことをおすすめします。 
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 イケメン証券マンと母

 都立の学校に勤めて、たぶん4~5年した頃だと思う。
 暑かったし、昼頃に実家の方にいたのでたぶん夏休み中だったのだろう。
 昼ご飯を食べていたら、インターフォンがなり母が出た。
「はい。今行きます」
 声が若々しい。
 玄関のところで応対している声が聞こえてくる。
 相手は、若い証券マンらしい。声やしゃべっている内容でわかる。
 何度か会ったことがあるが、年齢は20代後半くらいだろうか、背が高く銀縁のメガネをかけた優男で、今ふうに言えばイケメンである。いつもニヤニヤとにやけている軽薄そうな男だった。
「いやー、ホントすみません。どうも予定が狂ってしまいまして」
 なんだかわざとらしい謝り方だ。
「そんなこともあるわよ」
「今回の株は、全社挙げて勝負していて、途中まではうまく行っていたのですが、まだいけると思っていたので、そこで売ることをアドバイスできず、大変なご迷惑をかけてしまいました」
「もう済んだことだからいいのよ」
「次回は、必ずこの損を取り返せるような銘柄を必ず推奨させていただきます。本当に今回はご迷惑をおかけしました」

 母が食堂に戻ってきた。
「お母さん株で損したんだって」
「うん。まあ、仕方がないのよ。今回はあきらめて売っちゃった」
「いくらくらい損したの」
「100万円くらいかな」
「100万円も損したんだ」
「そのくらいかもしれない」
「どうして、その株を買ったの」
「山田さん(山田さんというのは仮名で、実際には違う名前だった)が薦めるからよ」
「ふーん、どうして薦められた銘柄をそのまま買うことにしたの」
「それは、山田さんが信頼できると思ったからよ」 
「ふーん、どうして信頼できると思ったの」
「どうしてかしら。なんとなく真面目そうだし。遼次郎(自分のペンネーム。本当は本名の下の名前を言っていた)も会ったことあるんじゃない」
「会ったことあるけど、なんだか軽薄そうな人だと思った」
「まあ、それはひとそれぞれの見方があるんだけど、わたしは信頼できそうだと思う」
「ふーん、でも結局損したでしょう」
「今回は損したけど、儲かったときもあった」
「それはいくらくらい儲かったの」
「5万くらいかしら」
「5万儲けて100万円損したら、差し引き95万の損じゃない」
「まあ、今の時点ではそうだけど。また、儲けさせてくれるわよ。山田さんだって全然悪気あるわけじゃなくて、一生懸命やっていて、たまたま今回はこうなっちゃったんだから」
「ふーん。ぼくはそうは思わないなあ。今頃は『あの頭がわりいくそばばあをだまして100万円貢がせてやった』なんて思いながらニヤニヤしていると思うよ。さっき、『全社あげて…』なんて言っていたけど、『全社あげて』っていうことは、証券会社の自己売買部門とかお金持ちのいいお客さんがあらかじめその銘柄を買っておいて、全社あげて一斉営業によってそれ以外の我々零細投資家みたいなお客さんに買わせて、値段をつり上げたところで、自己売買部門やお金持ちのいいお客さんが売って、われわれ零細投資家が損するという方式のことを『全社あげて…』というふうに言うわけで、『全社あげて…』というのは、『お宅みたいな貧乏なところはカモにしますよ』と宣言しているようなものだから、それを騙している相手に面と向かって言うのはすごい大失言なんだ。それをちゃんと聞いていて、信用できないことをちゃんと見破った方がいいんじゃないかな」
「そうかねえ。山田さんはそんな人じゃないと思うけど」
「まあ、証券会社の社員は、個人としてどんな人であっても、会社の方針に従って動くのだから、山田さんがどんな人かというのはあんまり関係ない。でも、『全社あげて…』という失言をしてくれたところが、あの人の意外と正直なところかもしれない。その失言をちゃんと聞いていて、それを投資に役立てればいいんじゃないかな」
「そんなものかね」
「それで、あの証券マンの人は、えーと、山田さんだっけ。山田さんは、今回の取引で何回うちに来た」
「うーん3回くらいかしら」
「3回来て立ち話しただけで100万円も貢いで、バカバカしいと思わない」
「貢いだわけじゃなくて、たまたま投資したのがうまくいかなかっただけじゃない」
「でもさ、さっき言ったように証券会社が自己売買部門で買っていたとしたら、証券会社に貢いで、それによって成績が上がる山田さんの給料も上がるかもしれない。自己売買部門じゃなくて証券会社のいいお客さんだとしても、証券会社の方でこのお客さんに儲けさせたい、と考えているお金を持っている人に貢いでいて、それが山田さんの成績に貢献しているんだよ」
「そんなことはないと思うけど…」
「3回の立ち話だけで100万円も使うんだったらホストクラブにいった方がずっと安いよ」と言いたかったが、それは言えなかった。
 しかし、母はなんであんなに馬鹿なんだろうなあ。
 あんな、頭の悪い女の言うことを受けいれた結果、中学時代にプロ棋士になるという自分の夢をあきらめ、目標をなくし、希望をなくし、居場所をなくしたのだ。
 自分は、中学時代に奨励会を辞めさせられた時に母に言われた「「私たち人生経験のある大人から見ると、もっと世間を広く見て考えた方がいいと思う」という言葉を思い出した。
 あんな程度の低い証券マンに騙されるような人から「私たち人生経験のある大人…」なんて言われたんだな。本当に情けない話だ。幻滅だ。ああいう箸にも棒にもかからないバカ女だからこそ、「私たち人生経験のある大人…」なんていうことが言えたのだろう。「女は無知だから怖い」「女は世間知らずだから怖い」「女は恥知らずだから怖い」「女は怖いから近寄らないのが一番」ということをしみじみ思った。本当は「女は~」と考えるのは過度の一般化なのだが。
 奨励会を続けることを反対されたあの時、一見父の方が中心人物だったようだけど、母の方が陰で糸を引いていたのではないだろうか。
「さえない話だなあ」
 自分は心の中でそうつぶやいて、ほおづえをついた。
 その時、突然ものすごい叫び声が頭の中に聞こえて来た。
「チクショー、あんであんなに馬鹿なんだ。なんであんなに頭が悪いんだ。どうしてあんな知能程度が低いんだ。あのニヤニヤとにやけて『いやー、ホントすみません』なんてわざとらしい謝り方をする軽薄そうな若い証券マンに100万円もくれてやる箸にも棒にもかからないキチガイ女のせいで、俺は中学時代に夢を捨てたんだ。希望を捨てたんだ。目標をなくしたんだ。居場所がなくなったんだ。全然戦ってもいないのに負け犬になったんだ。自分の一番大切なものを失ったんだ。中学生なのに終わった人になってしまったんだ。本当の人生が終わってしまったんだ。あんなひどい女が母親だなんて本当に嫌だ。本当に情けない。俺はどうしてこんなひどい親の下に生まれて来たんだ。チキショー。チキショー。チキショー」
 「チキショー、チキショー」と狂ったように怒鳴り上げているのは「元奨くん」に違いない。
 久々に出てきたなあ。と思った。本当に久しぶりだ。今でも相変わらず元気だ。
 まあ、感心していてはいけないのかもしれないが、でも、まだ「元奨くん」に脳や心をすべて乗っ取られているわけではないし、彼が言っていることが非常に主観的で一面的な物の見方であることもわかっている。100万円は、もちろん証券マン個人に「これやるよ。とっときな」などと言いながらくれてやったわけではなく、正確に言うならば、証券会社の自己売買部門かまたは金持ちの投資家の儲けになっていて、証券マン個人は多少成績が上がって給料とかボーナスが上がるだけなのである。
 でも、「元奨くん」の言っていることも心情的にはわかる。だからと言って、彼が叫んでいることをそのまま口に出して言う気にはなれないし、言ったからと言ってどうなるものでもないことも、もちろんわかっている。
 母は別に悪気があったわけではなく、本当に頭が悪いのだから仕方がないのである。
 もっとも、頭が悪いと言う見方も、株式投資に関しては正しいかもしれないが、奨励会のことに関しては、別の言い方もできる。「価値観が違う」、とか「情報の質や量が違うから仕方がない」とか「価値観や仕事のあり方の変化の激しい時代において、前の時代の考え方がすぐに古びて使えなくなってしまう時代なので仕方がないではないか」などという言い方だ。
 これら言い方の方が確かに一般的に言えばまともなのかもしれないが、どうも官僚の答弁みたいで嫌だ。やはり「頭が悪いんだから仕方がない」という方がはっきりしていて諦めがつきやすいので、そう考えておけばいいのではないか。頭の中で考えるだけで、面と向かってバカにしなければ別に不都合はないのである。
 自分は再び「さえないなあ」と心の中でつぶやき幻滅を感じつつ、どうしたらいいのかわからなかったが、とりあえず苦笑いをすることにした。

 その証券マンは、その後家に来なくなった。
 母の話だと、別の地域に異動になったそうだ。お客さんと何かトラブルを起こしたのだろうか。
 母はそれについて「あの人はどうも営業が下手だから、仕事がうまくいかなくなったのかもしれない」と言っていた。はっきりとは言わなかったが、もしかしたら、自分が騙されたことに気がついたのかもしれない。 
 お客さんとトラブルを起こすたびに違う地域に異動を繰り返し、いろいろな地域を転々とするタイプの人だったのかもしれない。母と話しているところを聞いていた印象だと、どうも言い方がわざとらしく、いかにも軽薄そうな印象で、ああいう人に騙される人はよほど頭が悪い人しかいないような雰囲気だったが、多少は騙されて後で気がつく人もいるのだろう。自分の母みたいに。
 その後母は、株はやらなくなったようで、証券マンが家にくるのを見かけることはなくなった。
 母は、「新老人の会」という団体に入って合唱やボランティアなどの活動するようになった。その会は「老人ばかりで、若い証券マンはいない」とのことであった。

※ 次の話→心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その50

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