学校警備員をしていた頃 その30
以前、学校警備の仕事をしてた頃のことについて振り返って思い出せることを書いています。
※ 最初から読みたい方は、学校警備員をしていた頃から読むことをおすすめします。
※ ひとつ前の話→学校警備員をしていた頃 その29
「授業すすめねえかなあ」
O小学校でもT小学校でも、いつも立哨している校門のところからは校庭が見えないが、1時間に1回くらい学校の周りを巡回するので、その時、休み時間に生徒たちが遊んでいるところや校庭で体育の授業をしているところなどを見ることができる。
休み時間中の子どもたちの動きはなかなか興味深い。
バスケットボールをしていた生徒たちはいつも同じメンバーだなあ、一人だけうまい子がいるなあ、と思って毎回見ていると、突然別のグループに変わっていたり、鉄棒のところにいた女の子たちがいなくなって別の女の子たちに変わっていたりする。
あの子たちはいなくなったけどどこにいったんだろう、と思って校庭全体をよく見ると、今までと全然違うことをして遊んでいたりする。いろいろと動きがあり、同じ遊びばっかりやっている生徒は少なくて、毎日見ていても、全然あきない。
でも、体育の授業の様子はもっと興味深い。
教員によって芸風と言うか授業の進め方が結構違う。
例えば球技だと、個人技重視というか、身体をうまく思ったように動かしてボールをうまくあつかえるようにする、ということを重視している先生がいる一方、人間関係を学ぶことを重視し、試合をどんどんやって、チームのメンバーによる作戦会議などチームとしての動きを考えることを重視する先生もいる。
また、鉄棒だと、最初は先生が笛を吹いて、全員横並びで、同じ技をする(できない生徒はやろうとして練習する)時間があり、その後、生徒たちが自主的に自由練習をする時間があるのが一般的である。が、「全員横並び」と「自主練習」の時間配分は先生によってだいぶ違う。
本当は、巡回なので立ち止まって校庭ばかり見ていてはいけないのだが、ついつい見入ってしまう。
「どういうやり方がいいのかな」ということがいちがいには言えないところが興味深く、しばらく見ていると「自分でも教えてみたいなあ」という気持ちになってくる。
ところで、ある日実績報告のために支社にいった時に隊員同士で雑談をしていたら、元私立中学・高校教員で30歳くらいの岩下(仮名)君という隊員が、体育の授業の話を始めた。なんで、30歳くらいだとわかるのかと言うと、以前話したとき「ボクの青春時代のミュージックは『モーニング娘』だなあ」と言っていたので、それでだいたい類推できた。
「今日門のところから、校庭で体育の授業をやってるところを見ていたんだけど、授業中先生が15分くらい授業やんないでお説教をしていて、『授業すすめねえかな』と思った」
この発言は、どうもあまりにも端的というか断片的で感心できなかった。
授業の進め方とか生徒の様子とかいろいろ話した後で、「中には、授業中にお説教を15分くらいしてしまう先生もいる。大変なクラスなのかなあ。でも、ああいうのはどうなのかなあ」というふうに進むのならそう悪くないと思うけど、一番最初にそれだけをぼそっと言うのは、どうも話が短すぎて、ものの見方が貧しいように思う。
小学校だと、同じ先生がほとんどの教科を一人で教えている。その前からいろいろな教科をそのクラスで教えていて、その流れの中で、その場面では少し時間をかけてお説教する必要があったのかもしれない。と私は思うが、岩下君は、端的に「授業すすめねえかな」と言っているだけ。そういったことはあまり考えていない雰囲気である。
自分で教員をやったことがあるにしては、「たまたま人がやっているのをちょっと見てこう思った」という表面的な印象が、短絡的に「こうやんねえかな」に結びついてしまっている。視点が一面的で、本当の意味で「自分が教員の立場だったらどう思うか。どう考えて進めていくか」と考えていない。言葉が貧しく、ほんのちょっとした印象を語るという段階に思考がとどまっていて、それ以上深く物事を考えようとしない。
こういうところが原因で、教員を辞めて警備員なんかやっているのではなかろうか。
と、どうも悪口のようになってしまった。
まあ、でも、自分も若い頃は、少しタイプは違ったかもしれないけど、ああいうところがあったと思うし、もしかしたら、今もそうかもしれない。それに、自分だって教員を辞めて警備員をしているではないか。
だから、人のことばかり言えない。というのは、もちろん、少ししゃくにさわることなのだけれど、紛れもない真実である。
※ 次の話→学校警備員をしていた頃 その31
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