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サブカルと歴史好きが選挙権を語る

さてさて、7月7日(日)は東京都知事選挙なのです。久々の更新なのに政治の話で恐縮ではあるのですが、、、。

今回言いたいのは一言。そう!
選挙いきましょ。

今回の都知事選はおもしろい

筆者は当日野暮用があるので、期日前投票を終えてきました。誰に投票したとか書くと、喧々諤々となりそうな予感が漂うので伏せさせてください。ただ「この人に当選してほしい」ってのは強めにあるからこの記事を書いてはいます。

筆者は特定の政党支持とかはないので、選挙のたびに立候補者の公約やらバックグラウンドやらで投票先を決めるワケですので、割とちゃんと候補者とかチェックする方だと思います。
さてさてそんな目線で今回の都知事選挙見ると、今回の都知事選挙はおもしろい、べりーべりーいんたれすてぃんぐでさらにはふぁにーです。
まぁもう候補者の多様性(無茶苦茶さというニュアンスを含めて)はそれだけエンタメです。

「あんなんが立候補していいのか」とか「選挙の悪用だ」なんて意見も聞こえてきます。筆者的には、あれもルールのうちだから仕方ないですよ、って思ってます。少なくとも立候補する人が制限されるような国や時代よりは、無茶苦茶な候補者が乱立の方がまだマシとは思っています。

普通選挙って、ふつーの事ではないのだ

さてさて、今回はどっちかというと”立候補する側”の話よりも、”投票する方”の話をしたいのです。

現代に生きてると投票に行く行かないが話題になりますが、そもそもこの「投票しようと思えばできる(=選挙権がある)」ってことは、歴史的にみると
とてもとてもめちゃめちゃがちぼこにスゴいことなのですよ。

この「基本的には誰でも投票する権利を持ってるような選挙」を”普通選挙”と言います。これテストにでるやつです。
この”普通選挙”ってわりと実現できたのはわりかし最近の出来事です。

”普通選挙”じゃない選挙ってなんだよって言うと、例えば下記みたいなことです。

①貧乏人には選挙権がなかった。

昔からずっとあった選挙権の制限がこれ。一定以上の税金納めないと、投票する権利を与えられなというやつ。日本でも1925年に普通選挙法が成立するまで税金による制限がありました。普通選挙法が成立する直前だと選挙権あったのは全国民の5%位らしいので、貧乏人には選挙権がなかったではなくて、金持ちにしか選挙権がなかったってのが実情ですね。
今の感覚でいうと年収1000万円以下の人は投票する権利がない、、みたいなね。

②女性には選挙権がなかった

1925年に普通選挙法が成立しても、25歳以上の男性に選挙権が与えられただけで、女性に選挙権が与えらたのは1945年終戦の年のこと。ほんの80年前のことです。
ちなみサウジアラビアとかだと2015年まで女性の参政権はなかったみたいです。
日本で女性が投票できるようになるまでには、それだけで記事何本もかける位の歴史がありました。

③現代でも、、、

現代の日本では18歳以上の男女の参政権は認められていてとてもいいこと。でもいろんな意見はありますが、日本に居住する外国籍の方は投票できなかったりします。
今回の都知事選挙においては、千葉や埼玉に住んでいて東京で仕事している人とかは投票する権利がありません。
実際には上記の人々も、都知事選挙の結果が影響はもろに受けるのにね。

投票すること自体がとても重みのある行為

簡単にまとめてみましたが、僕らが投票できること自体が当たり前のことではないんです。
自分達の行く末にも少なくない影響があるのが選挙です。しかも投票できるのは先人達の社会変革の努力のおかげ。投票する、できるということはとても重みのある行為だと思っています。

もうだから選挙いきましょ。選挙いきましょ。選挙いきましょ。選挙いきましょ。選挙いきましょ。選挙いきましょ。選挙いきましょ。選挙いきましょ。選挙いきましょ。選挙いきましょ。選挙いきましょ。選挙いきましょ。

入れる人いないと思うんなら何も書かずに投票したらいいんです。それだけでも投票率が上がるから。
投票率が上がるだけでもいいんです。高い投票率は政治をやる側にいい意味でのプレッシャーをかけるから。
人口1200万もいたら自分の1票では変わらない?←これ言ってる人ってたぶん学校のクラス委員選挙でも同じこと思ってたんではなかろうか。ただ単に自己重要感が低いだけじゃなかろうか。

筆者は歴史好きだが、世界の歴史は政治と戦争によって出来ています。その大事な政治に意見を反映できる場が選挙。僕らも歴史の一部です。

みなさん7月7日(日)は選挙に行きましょ。なんなら期日前投票でいいんです。

投票率があがることを織り姫と彦星に祈っておきます。


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