波の無い海

福祉施設には、ありとあらゆる人が集まる。偏りが多い人が集まる。でも、自分を知る、自分をカテゴライズというか判断する時に周りを基準にして、自分自身のことを障害者だと卑下するような姿を見ると、とても悲しくなって、やっぱり兎に角褒めて明るくするようにしている。気分がとても大切なのだ。

自分を俯瞰してみて障害者だとなんとなくわかっている程度ならいいのだが、障害があるからなんだっていうんだ。それと同じくらい別の場所で優れた場所を持っている場合が殆どだし、それを見つけられないのであれば、それを見つけるのが支援員の仕事だと思う。つまり、福祉施設で働く人はプロデューサーであるべきだと思う。

僕は、あまり感情が揺れない。LAで背中から銃を突きつけられたり、光回線の営業を無理矢理したヤクザの方に紐で括り付けられて泣くまで監禁させられたり、多分ちょっと死ぬかもなって思うことを味わせて貰ったからかもしれないが、ほぼ生きていて何かに動じる事がない。

障害が精神で1級の人だったりすると、まあ大変で、めちゃくちゃチャットワークが荒れたりする。その文章にスタッフはあたふたし、弊就Bをやめさせて生活介護の世界へ押し出そうとする。それが福祉であり、適正だと。確かにそうだろう。そして、勿論、同じ給料で大変な思いをしたく無いというスタッフの気持ちもあるだろう。でも、波の無い海のような感情を持っていたら、冷静に判断をする事ができる。そんな利用者に限ってめちゃくちゃ才能があったりするからだ。僕はどうにかして、そやつの環境を奪うわけにはいかないわけである。冷静にその利用者の人生を見つめなくてはならないわけだ。

福祉って何だろう?と僕は体験しながら学んでいる。楽しく人生の一部として、経験をさせてもらっている。それで分かったことは、その人の人生を豊かにする為に戦うことなんだなって。これは、音楽プロデュースであっても同じことだ。そして、その仕事を全うする為に大切にすべきことは、感情はいらないということに尽きる。

人は障害者であっても、学び変わらなければならない。そんな時、”障害”という言葉が、最も障害になっていることに誰も気づかない。人をカテゴライズする必要なんてないんだ。君は君、僕は僕。ただ人は人と、心で接して、フラットに関わってゆけばいい。それで変わって行けると思うのです。だから変わって行けると思うのです。

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