幸せを計る2つの「ものさし」。安定と不安定。

幸せやモノの価値を計る「ものさし」は2つある。
それは「社会のものさし」と「自身のものさし」だ。

○社会のものさし
ドラマや映画など、メディアが教えてくれる幸せ。
マジョリティで共有された価値観。
受動的に受け入れたものさし。
その価値を計るのは社会。

○自身のものさし
ドラマや映画など、メディアが教えてくれる内容に左右されない幸せ。
マジョリティで共有されていない価値観。
能動的に見つけたものさし。
その価値を計るのは自身。

2つのものさしは、影響し合うし、重る部分もある。


人は、幸せを求める時、同時に安定を求めることが多い。特に、パートナーや家族を持つと、1人で過ごしていた時よりも、安定を求めるようになる。

しかし、ものさしが2つあると、ぶれて不安定になり、幸せは揺らいでしまう。不安定を恐れると、揺らがない何かに寄りかかりたくなる。

例えばそれは、神のような存在なのかもしれない。唯一絶対で、揺らがない存在は、不安の拠り所となり安心させてくれる。


それでは、安定を求める人に、不安は不幸せなのだろうか?

安定して揺らがない存在は、固定されている。つまり動けない存在なのだ。

人は、不安定だから動く事ができる。何かが欠けていたり、いびつな部分があって、不安定だから動けるのだ。動けるのと言うは、可能性や余白があると言う事だ。

果たして、動けなくなった時は、どうなるのだろうか。

幸せを感じる事はできるのだろうか。起承転結や喜怒哀楽、今まで大切にしてきた、ストーリーや感情はどこに行ってしまうのだろう。

つまりは、不安定であるからこそ人は幸せを感じられるのだ。

不安定は、自然な状態だ。不安になったり恐れたりする必要はない。天気や季節があるのと同じなのだから。


「豊かな人生が、感動に溢れた人生」であるのならば、不安定だからこそ人は、感動を重ね、豊かに生きていけるのだ。

僕たちは、安定した不安定の中で、自分たちなりの「幸せと安定」を探していくのだと思う。


未来の自分がこの事を忘れてしまっても思い出せるように書き留めました。自分の様な誰かが読んで少しでも参考になることがあってもいいな。

最後まで読んで頂きありがとうございました^^

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?