築コレ〜オツな若ぇの生け捕ってきやした66 入船亭小辰
本日の取材場所は王子・飛鳥山。遊具の周りは子どもがいっぱい! 写真撮って大丈夫かなあ…
地元が大塚なので、飛鳥山はよく来ていました。この滑り台、もっと大きかった気がするけどなあ。高校の時は夜中にここまで走ってきたり、初めての稽古で師匠に「声が小さい、はなしにならない、稽古付けられない」って言われた時は都電側のがけの上から大声で演ってみたり、広場にある舞台に正座して稽古もしました。
実家は酒屋なんですけど、三代目は潰すっていう言葉の通りです。落語との出会いは大学の落語研究会で、女の先輩に「入ったらええやん、落語演ったらええやん」て言われて。初めて寄席に行った時に円丈師匠の『ランボー怒りの脱出』を見て「落語って何やってもいいんだ」って思いました。
大学は四年で中退して、二年ほど実家を手伝ってる間もずっと噺家になりたかったんです。国立演芸場で師匠を出待ちして、駅でやっと声を掛けられたんですけど、歯列矯正をしていたので「二年後に弟子にして下さい!」って言ったんです。その話を知り合いにしたら「今行かなきゃダメでしょ!」って言われて、今度は馬込沢の「念々寄席」まで行ったんですが、帰る途中で見失ってしまって。なんとなく師匠の家は知っていたので学芸大学で降りて、飲み屋を覗いてみたり人に聞いたり。携帯電話のライトで一軒一軒表札を照らして、ついに見つけて入門をお願いしました。
前座になってはじめた一人暮らしは風呂トイレなし五畳、クーラーもテレビも冷蔵庫もありませんでした。初めてちっちゃい冷蔵庫を買った時に、冷えてるってことに感動しました。貧乏話になると師匠と盛り上がります。
一蔵兄さんと市弥兄さんと同期なのは財産だと思ってます。この順番もよかったんです。他は考えられない。心を許してますね(笑)。
今のあたしは落語に遊んでもらってる…そうじゃないな、落語って振りまわす人と乗っかる人がいると思うんですけど、あたしは乗るタイプだと思うんです。あと、落語ってもっともっとすごいものになると思うんですよ。あぁ、こんなこと言ったら偉そうだから書かないで下さい(笑)。
師匠に似ていると言われるのは嬉しいですけど、師匠と違わないと本当に胸を張ることは出来ないです。一〇年後、今と同じペースで落語会をやって一〇倍のお客様を集められてたらすごいなと思います。でも今は目の前のこと、ご飯を食べること。来年はネタ下ろしの会もやるつもりです。もっと目立たなきゃなあ。