外国に行けば、生きづらくないはずと思ってるあなたへ
私はこんな排外主義を全面に押し出した選挙演説を国内で聞くことになろうとは想像もしなかったです。それ以上に驚いたのはその聴衆達の反応でした。
そうだそうだと言わんばかりにうなづいているのです。高校生の頃、先生が語っていた「世界がつながるグローバリズム」ってやつはやっぱり幻想だったのかと落胆しました。
私が見てきた現実では外国人は社会のスケープゴートになりがちです。高校の先生はそんな事実は教えてくれなかったなぁ。海外に行けば自由が待ってると思ってたのに、まさかスケープゴートとはなぁ。
ところで振り返ると、私の青年期はグローバル化礼賛の時代だったのに、どんどん世界は国境を閉じる方向に動いています。やっぱり海外に行くのは今後どんどんリスキーになるんじゃないでしょうか。そしてもし海外に行きたい理由が「今が生きづらいから」って思ってる若者の方がいたら、場所を変えるより重要なことがあるよと話したいです。
学生時代: 自由になりたくて海外に憧れた
今では完全に若気の至りだったと恥いる次第ですが、私は学生の頃もっと自由になりたいと考えていました。
よく言う、「生きづらさ」ってやつを感じていたのかもしれません。理由は当時在籍していた自称進学校の教育方針にあります。
この学校に入る意味、つまりゴールが国立大学入学に初めから設定されていて、それ以外の行動は全て悪と断じられていたからです。
自称進学校で許されなかった自由意志
自称進学校っていうやつは学生に「国立大学入学」というゴールしか与えません。「学生が学びたい事を自由に学びなさい。進路なんてなんだっていいじゃないか」みたいな事は許さないのです。
大人になればわかるのですが、そんな本物の自由を子供に与えてくれる学校ってのは東京なら麻布、関西なら灘みたいな神童たちの集まる世界だけなのです。それ以下の偏差値60くらいの私立学校は会社と同じで「他社との差別化」をしないといけません。
うちの学校の場合はそれが「国立大学への進学数」だったんですよね。それで先生たちは随分と私に国立大に行け、見栄えのいい学部に行けと押し付けてきました。
ところが、私の一族は祖父の代から皆反社会的で、権力に噛み付く人間ばかりだったので私もしっかり教師に噛みついていました。
逆張りで共産主義を勉強したり、イスラーム主義を勉強したかと思えば、学生政治団体に入って議員事務所で集会も開いたりしてました。これだけ書くとど左翼に見えますが、家はゴリゴリの自民党員の家で私も自民党の運動に参加してたのです。矛盾の塊です。
思想に一貫性がなかったのは恐らく根っこには社会への反抗心があったからでしょう。親に反抗せずに社会に反抗している学生時代でした。
とはいえ、自分は天才でもなかったのです。事実麻布でもなく、灘でもない、ただの自称進学校に私はいました。でもそんな事実を未熟な私は受け入れられませんでした。反抗して社会に勝てるほど自分が優秀じゃないとどこかでは気がついていたのです。
そして結局、私は無難にある私立大学に入学しました。途中までイスラーム法学を海外の大学で学ぼうと思っていたのにこのザマです。
結局振り切れてイカれた人材になる勇気はなかったのですね。それでもやっぱり自由と混沌の象徴と思っていた海外に留学する思いは捨てられず欧州に留学しました。
確かに海外は自由だった。平等ではなかったけど。
渡航した海外は実に自由な世界でした。
見るのも全てが新しくて面白い。様々な意見を持った多様なバックグラウンドを持つ人々が行き交う大都市で暮らすと日々刺激がなくなりません。
ゲイが理由で自国に居られなくなったロシア人、麻薬を製造してたらマフィアに兄が処刑されたアフガニスタン人、欧州最貧国から人生変えるため海外留学してきたモルドバ人。こんな彼らと交流することで私の純粋な知識欲は日々満たされていきました。
もっと知りたい。もっと刺激的な人に会いたい。いっそこのままこの欧州に住み続けられないだろうか。だってこの世界なら日本で教育されてきた「こうあるべきだ」みたいな押し付けはないじゃないか。素晴らしい!
社会の知識がない浅はかな学生だった私には世界がそう見えていました。
変わったのはある日ミラノのメトロに乗ろうとした時のこと。
排水溝が設置されてる通路の端にベッドが置いてあるのです。それも数十台。よく見てみると子供や若者が寝ていました。当時戦争から逃げてきたシリア人があまりにも多すぎたのでシェルターに収容できず、しかたなく駅にベッドを置いて寝かせていたのです。
驚いた私はホームステイ先の家に帰って下宿先のファミリーに見たことを話しました。すると彼らの答えはこう。
この言葉にヨーロッパ人の本音を初めて見た自分は驚きと同時に、「そりゃそうか...」という気持ちになりました。
私がいい外国人なのはちゃんと毎月家賃を払ってくれるし、言葉が話せるし、悪いことしないからです。彼らの利益になるから彼らもwelcome。それに対して金も払わないでお恵みだけ求める難民は公言はしなくてもウザいと思っていたわけです。
理想では人間は皆平等であってほしいですが、現実は周りに利益が与えられる人が受け入れられる。特によそ者はそうなのだと勉強させられた出来事でした。
恵まれた地位で生まれて、気がつかなかった特権
その日から「なんでこんな簡単な事実にこれまで気がつかなかったのだろう」とよく考えるようになりました。
それは自分が恵まれた環境で生まれ育ったからだと答えを出すのに時間はかかりませんでした。
人並み以上に稼ぐ父親に惜しみなく本を買ってもらい、教育を施されたから母国である日本で蔑まれるような立場になったことがなかったのです。
しかし、外国に行って自分が日本で持っていた「特権」を剥奪されてみればそこには金だけ持っている無能な若者がいました。
今、ここで金を失ったら自分は相手されなくなる。。。この事実に気がついて初めて自分はぬるま湯の中で刺激を求めていたことに気がついたのでした。
ということで、このことをきっかけに私は日本に帰りました。自由になりたいならまず権力と金が必要だと思ったからです。表面上自由に発言できますが、金もなくいざとなったら駅のベッドで寝ることになる外国人ではなく、日本企業でしっかり金を稼いで自由に生きる権利を勝ち取ろうと思ったのです。
個人的にはこの決断はよかったと思っています。あのまま緩い理想論にすがって海外大学院とかに進学していたら私の人生はだいぶ変わっていたでしょう。現実味のない理想論ばかり言う学者タイプの人間になっていたと思います。
ここまで過去の自分のぬるさを書き連ねると恥ずかしくなりますが、もし自由に生きたかったら力が必要です。もしこれを読んでる学生の方がいたら、これを覚えておいてください。そして現代では力とは金です。面白くない話ですが稼ぎましょう。稼いだ先に自由があります。
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