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国際化というけれど、今日も横須賀は分断の中
外国人と交流したいなら何も外国に旅行する必要はない。ここ基地の街、横須賀に行けば自分たちとは全く異なる生活をする米軍の人々と出会うことができる。
でも、行ってみて気がついたのは、国際化の中にある静かな分断だった。
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あれ、見られてる?なんとも厳しい視線
12時、お昼時に横須賀に我々、国際結婚夫婦は到着した。横須賀に来るのは妻が初めてで、私は2回目だ。妻はJR横須賀駅を出てすぐ目の前に現れた軍艦達に驚いていた。やはり、ここ横須賀は戦前から続く軍隊の町だ。何もかも他の神奈川県の街とは違う。
JRの駅の真横にはヴェルニー公園というバラが咲く庭園があり、公園沿いには多くの米軍関係者がジョギングや買い物に興じていた。ざっと計算したところ通行人の3割くらいがアメリカ人だろう。
それもそのはず、人口約50万人の横須賀市に住む米国軍人関係者は約1万人ん。街の人口の2%がアメリカ人の計算だ。そんなわけでこの街では米軍向けにバーを営む人や住居を貸し出すなど米軍ビジネスを営む人もいる。横須賀にとって米軍はなくてはならない経済の一部だ。
しかしながら、経済の一部として、そして安全保障の観点でも米軍人が横須賀で活躍してくれているが、日本人と軍人達がまるで友人の様に気さくに交流すると言うことはない。
私達にも彼らにも異なる常識があり、私達の間には目に見えない壁があることには早々に気が付かされた。
見られている
そう、例えば私達自身がやけにアメリカ人達から見られた。正確に言うと男性の米国人から私に対して目線が飛んでくることが非常に多かった。
久しぶりの感覚ですぐにピンと来たが、白人の妻と一緒にいるアジア人が目に付いたのだと思う。そして目が合う人の顔つきがなんとも険しい。私をいぶかしんでいるんじゃないかと疑ってしまう様な視線なのだ。
不思議なことに、この視線に妻は全く気がついていなかった。後で「なんか俺達睨まれてない?」と話したところ「そんなことあった?珍しいだけじゃない?」と興味なさそうに返事してきたが、珍しいものを見た人間の表情の様には見えなかった。
どこか、「なぜお前が白人の女と歩いてるんだ?」みたいな無言のメッセージを受け取った気がしたのだが、真相は不明だ。ちなみに記憶に残る視線を送ってくれたのは皆アフリカ系の軍人で、なにかこの横須賀にもアメリカから根深い人種差別の伝統が持ち込まれているんじゃないかと疑ってしまった。
アメリカ人が入らない店、日本人が入らない店
さっきの様に不審な視線を喰らう経験をすると、「相手は自分に敵意を持っているんじゃないか?」と疑うが、相手が明確に敵意のある行動や言動をしていない以上、自分の思い過ごしかもしれない。
しかし、それとは真逆にアメリカ人と日本人が行くレストランはここ横須賀で明確に分かれている。
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お昼ご飯に我々がやってきたのはここ、「横須賀海軍カレー本舗」、帝国海軍から伝統のカレーを食べれる観光レストランだ。
この日は2200円で4種類のカレーと小松航空基地名物の唐揚げなどがバイキング形式で食べられる様になっていた。
カレーは王道の味わいで、最近のインドカレーブームで入っている現地のスパイスっぽいものは何も入っていなかったが、安定のうまさだった。
しかしながら、この店もまた日本人ばかりだ。デパートの中の入っている店なのでアメリカ人達も店の外を通り過ぎるが、入ってくるのは皆日本人。まぁこれは観光客用だから仕方ないのかもしれないがカフェやバーなんかもどうやら日本人が多く集まる店と米兵が集まる店が自然と分かれている様だった。
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特に面白かったのがほぼ隣にある二軒のハンバーガー屋だった。一軒はビリヤード台完備のバーもやってる店で証明は暗め、もう一軒はライティングバッチリの綺麗めなハンバーガー専門店だ。ここはくっきりと前者がアメリカ人、後者が日本人達で占領されていた。
人種のサラダボウルがまさかここ横須賀でも再現されているとは...。街並みもアメリカっぽいが社会も状況までアメリカをそのまま持ってきたんじゃないかと思ってしまった。
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結局多様性って理想論?
結局私が横須賀にもったイメージは「秩序のためにお互い適度に無視する社会」だった。米国人と日本人、お互い違うことは理解していて、尊重もしているので関わらない。
店を分けて、スーパーの買い物とか最低限のビジネスの付き合いはする。ただし積極的には関わらない。
ある意味多様性のある社会が唱う「他者を尊重する社会」ではあるが、話で聞いていたよりは温かみのあるものではなかった。どちらかというと無視して分断してるだけの社会で、尊重しながら交流し合う...みたいな雰囲気ではない。
うーん、やっぱり多様性のある豊かな社会に温かみを求めるのが理想論者すぎるのだろうか?
米兵「俺と価値観が同じ日本人の友達が欲しい」
ちなみに私が横須賀観光を楽しんでいる丁度その日、私の外国人の友人が横須賀の軍人と食事をしていたらしい。この軍人は彼の日本人の奥さんの友人の彼氏なのだが、日本で友達ができないので彼女が心配して同じ外国人同士友達になれないかと食事をセッティングしたらしい。
しかし結果は全く上手くいかなかった。
私の友人曰く、彼は基地と軍の仕事の時だけ質問に答えるが、日本のことには全く興味がなく、日本語も話せない状態。そしてそもそも、私の友人もヨーロッパ人なのでアメリカにそれほど詳しいわけでもない。結局価値観が合わなさすぎて気まずい夕食会になった様だった。
夕食後、わかったことはこの軍人さんは日本人の友達は欲しいと思っているが、アメリカの価値観を共有できる人じゃないと嫌だったらしい。
しかも本人は自分がアメリカの価値観の中だけで生きていることを認めたがらず、「みんな友達をアメリカなら簡単に作れるのに、ここ日本はあまりフレンドリーじゃないね」と愚痴っていたようなのだ。
この話を聞いて、日本人とアメリカ人の文化や価値観は何がどのように異なっているか気がつけない人もいる。そして彼らが日本社会に溶け込んでいくのは難しいだろうなと思った。
多様性は素晴らしい理想だが、一体何割の人間が教科書通りに多様性を認められる人間になるのか?そもそも多様性を認めないことも多様性だという意見すらあるわけで、やっぱり学んだ理想は現実離れしていると思わざるおえなくなった。
余裕のある多様性こそ私が目指すべき姿
横須賀を回って、結局「余裕のある多様性」が自分には一番合っていると感じた。
それはつまり、好きな時だけ異文化を楽しめて、ちょっと疲れたらそこから逃げられる環境だ。
横須賀で刺激的な体験をしても面倒くさい視線を毎日浴びたくはない。そう考えたら日本人と外国人家族が住んでいる移民団地に住み続けることは私にとってとても居心地がいい。
これが仮に海外に住んでしまったら疲れていても、逃げたくなっても逃げれないわけだから海外移住はやはりめんどくさいなぁと思ってしまうのだ。
学生時代にはそれでも海外に挑まなければいけないという謎の義務感があったが、ここのところそういう精神がコスパを求める自分に打ち負かされて消えていっている気がする。
これが老化なのか、それとも大人になったのか?それは読者に判断してもらいたい。
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