「なんで日本なんか行くんですかね」旅行中、ガイドのベトナム人に尋ねられた
「お客さん、日本からでしょ?いい国ですよね。でも、なんでわざわざ日本なんかにベトナムの田舎の子達行くんですかね。よっぽどやれることがないんだろうな。違いません?」
30度のホーチミンは気温の割に汗をかかない。
湿度が低く、カラッとしているからだ。
8時、ガイドの男は私達のホテルに颯爽とやってきた。なんとその姿は長袖のジャケット姿。ホーチミン子には今日は寒いのだろうか。
そしてヘルメットを外して世間話を始めて次のセリフがタイトルの一言だった。
私達はベトナム最大の街、ホーチミンにいる。
ホーチミン、スラムツアーに参加して
事の始まりは、ベトナム旅行で面白いツアーはないものかと探していて、「スラムツアー」なるものを発見したことだ。
どうやらこれはベトナム最大の街、ホーチミンの最もリッチなエリアと貧乏なエリアをガイドが運転するバイクの後ろにまたがって疾走するというプラン。なかなか面白そうにも関わらずお値段たったの3800円だったため即決でポチッてしまった。
そしてその結果やってきたのが、冒頭の男である。仮称としてHondaのスクーターに跨ったやけに饒舌な男をAと、Suzukiのオールドタイプのバイクに乗った寡黙な坊主頭をBとしようと思う。ちなみに、Bは常に鼻水を垂らしていたのでほとんど「ぼーちゃん」だと思っていい。
スラムツアーは非常に刺激的で面白かった。そもそもバイクが走りすぎているホーチミンでは大気汚染が深刻な問題になり始めていて、風邪が治りかけのワタシの喉も刺激していたのでスリリングなことは間違いない。咳をしすぎてバイクのバランスが崩れそうだったくらいだ。いや、死ぬがな。
まぁ、それは半分冗談。
実際にネズミが這い回る場所で寝っ転がっている家族ホームレスから、フェラーリのチューニングを待っている金持ちおっさんとまで出会える経験はなかなかない。同じ街でここまで生活が違うものかと驚かされた。
ちなみに、そのフェラーリおじさんはトミーのポロシャツに、またもやブランドのチノパンでキメていたナイス・ガイだったが、何故か靴だけ便所スリッパであった。
これに関しては後日別のベトナム人に「あそこまでファッションキメてるのに、足元には興味がないのはなぜなんだ??」と質問したところ「う~ん、暑かったんじゃない?」との返答が帰ってきた。
可愛らしいぞ。おっさん。
さて、ツアーも終盤。我々はフラワーマーケットなる市場にバイクでツッコで行きカフェで休憩ということになった。ツアーとはいってもガイド二人に私達は夫婦二人の四人組であるので、まるで友人たちと久しぶりにあったような雰囲気だ。ざっくばらんに色々質問してみることにした。
いまさら、日本に行く子なんて馬鹿ですよ
ベトナム人は今でもアメリカ人を憎んでいるのか?むしろ植民地支配をしたフランスの方が憎き敵なのか?そんなディープな話を突っ込んでも正直に答えてくれるガイドには正直感嘆の念を覚えた。
しかしそんな話よりも、もっと意外だったのがガイドが持っている在日ベトナム人へのイメージだった。
なんせ、はっきりと「日本に行く子はよっぽどやれることがないんでしょうね」と言っていたからだ。
確かに、実はベトナムの労働条件はそれほど悪くない。
失業率は脅威の2%台でそこら中に仕事が溢れているし、街の熱気はまさに1960年代の日本。
イメージしてほしい。東京並みにでかいホーチミンに地下鉄がないのだ。そこに地下鉄を通して、ビルを作り俺たちの国を作るんだ!という熱気を感じた。そんな国をわざわざ捨てて日本で働く理由もたしかにないイメージである。
もう、「Always三丁目の夕日」をそのまま現実に持ってきたような街だった。
にも関わらず、なぜわざわざベトナムから日本に行くのだろうか。
ガイドのAからすれば「単純に頭が悪いんだ」とのこと。
日本✘(日本人)の未来はベトナムにあるかも
なんて話を聞いてると暗い気持ちになってきたが、ホーチミンの町並みを見ていると明るい未来も見えてくる。驚異的に日本の文化とブランドが街を侵食しているのだ。
そこで私が目にしたホーチミンの市街地にあふれる日本ブランドを列挙していこう
ホーチミンメトロ(建設中):清水建設・前田建設工業
焼肉屋:牛角・安楽亭
牛丼屋:すき屋
牛乳:明治
マヨネーズ:キューピー
乳飲料:ヤクルト
お茶:サントリー
お菓子:シャトレーゼ・ビアードパパ
洋服:無印良品・UNIQLO
自動車:HONDA、TOYOTA、MAZDA
デパート:高島屋
もはや、生活のほとんどに日本メーカーが突っ込んできている。
しかもベトナムの何がいいかといえば強烈な反中国家ということで、中国企業がベトナムに入ってくることを毛嫌いしている。なんなら一世紀以前には100万人以上いた華僑を追い出して現在10万人程度にまで減らしているので中国の影響なく伸び伸びと日本がビジネスをできる環境が揃っているのだ。
しかも、驚いたのは日本食レストランのバリエーションの多さ。ヨーロッパなどに行けば例えば寿司屋で唐揚げやお好み焼きまで売ってしまうものだが、この国では「北海道寿司屋」、「仙台牛タン+ずんだシェイクセット」なんていう日本の地域料理屋が成立しているのだ。
ここまで日本文化が浸透している海外の市場もそうそうない。飛び込むならベトナムだなぁと感じたのはこれが理由だったのだ。
私もピチピチの20代、そしてベトナムの人口ボーナス期はあと15年続くと言われているので、ここでベトナムに飛び込んで一旗上げるのは全然ありだな。と思った次第だった。少なくともジリ貧の日本よりも正攻法でビジネスができそうな気配なのです。
しかし、そこまで予想すると日本の未来は、少ない若者がどんどん発展途上国に飛び出し、帰ってくるのは50代過ぎてからなんじゃないかとも思ってしまった。まるで地方の県から若者が東京に飛び出し年寄りになってから帰郷してくるあの現象と同じである。
結論、日本人の未来は全然暗くない。世界に飛び出せば戦い様がいろいろあると思う反面、日本という土地自体のジリ貧感は否めないと再確認してしまう旅行だった。
ありきたりな結論を私の実際の経験をもって皆さんにシェアできると幸いだ。
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