INTERVIEW: リー智子
土の中や水の中、空気中にいる「見えないもの」。アーティストのリー智子は、畑を耕し、玉川上水近辺で虫や木々などの生き物観察会や講座を企画する「ちいさな虫や草や生き物たちを支える会」=「ちむくい」を主宰している。自身も「シンプルな暮らし」を実現すべく生活の中で様々な取り組みをしている。東京ビエンナーレでは、「玉川上水46億年を歩く」と題し、玉川上水の起点である羽村市から皇居までの46kmを歩くプロジェクトを開催予定。リー智子が考える、地球環境へのまなざし、そしてアートへの思いを伺った。聞き手:上條桂子、森田裕子
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大量生産大量消費への疑問から、
電気もガスもない村へ。
東京ビエンナーレ(以下、T)
リーさんは今回「玉川上水46億年を歩く」というプロジェクトを予定されていますが、東京ビエンナーレに参加されるアーティストの中でもわりと異色のプロジェクトのように思います。まずは、リーさんのプロフィールをお伺いしたいです。リーさんは、もともとは武蔵野美術大学で彫刻を学んでこられて、美術教育の基礎がありながらも世界を旅されて現在の活動がおありなんだと思います。まずは、その経緯を教えていただけますか?
リー智子(以下、L)
九州出身なのですが、1978年に大量消費の国アメリカに留学し、便利でものの豊かな憧れの生活を体験しました。大学で東京に出てきて原宿や新宿に行くと,洋服でも何でもものすごい量のものが売られ、消費されていく。そんな光景を見て、ものが多すぎるのではないか、と疑問を持つようになり、それらにうもれていると大切なものが見えなくなるんじゃないかと思いました。「ものが溢れた世界」から、逆に「シンプルな世界」に行けば大切なものがわかるんじゃないかと思い、電気も水道もガスもないインドの村に行き、数千年前から続いているというドクラという真鍮の鋳造を学びました。
T:どうしてその村に行ったんですか?
L:兄と企画した石彫シンポジウムのためにインドに行き、タゴールがつくった芸術大学の先生と知り合いました。大学のあるサンティニケタンを訪ねてみると、タゴールの影響か、かなり古い生活をしているところで、車がなく人力車のみの静かな街でした。偶然に出会ったアーティストが、普通ならいけないような、英語も通じない奥地に案内してくださり、ものをほとんど持たずに生活している村と出会いました。帰国後「どうしてもあそこにもう一度行ってみたい!」と再訪しました。
T:インドは強烈な体験だったんですね。ものが溢れた世界となにもない世界、その二つを体験されたということですね。それまではご自身で彫刻を作っていらしたんですよね。
L:そうです。大学では彫刻科だったので、普通に木彫をしたり彫塑したりしていたんですが、だんだんものを作る方向から離れていって。中村(政人)さんと初めて一緒に仕事をしたのは、2003年に行われたコマンドNの「サステナブル東京」というプロジェクトです。
T:どんなプロジェクトをされたのでしょうか?
L:子供時代、親戚が集まると戦争の話になったりするんですけど、その話がめちゃくちゃ面白かったんです。戦争は破壊するものだし、もちろんよくないことですが、極限の中での人々の行いが、突拍子もなく想像を超えていて面白い。同時に戦争の理不尽さが見えてくる。そのことを中村さんに話したら、「それをやろう!」とおっしゃって。私がプロジェクトリーダーにさせられてしまったんです。茶の間をつくり、そこにお年寄りを招待して戦争体験を聞くというプロジェクトでした。
T:「サステナブル東京」に参加するまでは、人を集めてワークショップをしたり、場を作るというような活動はされていたんですか?
L:よく考えてみたらそういう活動はしていなかったかもしれません。その頃、環境に配慮した生協・生活クラブの食材を食べていました。そこでは、「生き物環境調査」という活動があり、そのチラシと出会った時とても不思議な気持ちがしたのを覚えています。あれが私の人生を変えたと言ってもいいくらい、今の動きにつながっています。それまで畑と生き物のつながりについて考えたことがありませんでした。18年前のことです。自分でちいさな自然観察会を始め、そこから一連の環境系活動につながっていきました。
T:観察会ではどんなことをされていたんですか?
L:昆虫や樹木など科学者から話を聞いたり、一緒に玉川上水へ行き、観察したりしています。子供ワークショップでは、たとえば5mmくらいの小さな生き物たちを、大きく絵に描いて林のあちらこちらに配置します。その林にいるのに、気づきにくい生き物を可視化するという試みで、「いきもの次元」と命名しました。また、手ぬぐいに、見つけた生き物の絵を描いて頭に巻くというものを「ききみみずきん」と命名しました。生き物のささやきに耳を傾けようという試みです。勉強会、観察会をやって、影絵にすることをいくつかの切り口でやり「影絵次元」と命名しました。
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昆虫観察会(上)、水生生物の観察会(用水路がさがさ)(下)の様子。
玉川上水と地球の歴史を
体感しながら歩くプロジェクト
T:「玉川上水46億年を歩く」のプロジェクトを始めようと思ったきっかけを教えてください。
L:2013年に始まった「ちむくい」では、玉川上水での観察会や、「玉川上水ラムサール条約の可能性を探る」というシンポジウムなどを開催してきました。玉川上水はJR中央線とほぼ同じところを流れているのですが、本来は水がなかったところに人力で掘削し水を通しています。今ではそれに沿って樹林が続き、山と都心を一直線に結ぶ水と緑の大動脈になりました。武蔵野台地の他の川は、荒川を経由し、あるいは直接東京湾に流れていきます。つまり、東の山から流れる川の中では、玉川上水だけが山からまっすぐ都心に向かっていることになります。玉川上水は、生き物たちの通り道になっているのではないかということに気づき、ラムサールのシンポジウムを開催してみたら、かなりの注目が集まりました。
T:「46億年を歩く」というのも面白い活動です。1kmを1億年と捉えて、46億年の地球の歴史をなぞりながらみんなで一緒に歩くという。それはどこから始まったのですか?
L:「サステナブル東京」のプロジェクトの際に、1mmを1年、1メートルで1000年、で茶の間に歴史を描きたかったんです。それをずーっと辿っていき46億年を描き、連綿と続いてきた生き物や地球の進化の歴史があって、ここまで生物の多様性が豊かになるまでにどれだけ時間がかかったのか、それを人が破壊するのが、どれほど短いのかを可視化したかったんです。そんなに途方もない時間をかけてできてきたものを、戦争で壊してしまっていいのだろうか、というメッセージです。しかし、お年寄りから戦争体験を聞き出すことに集中しました。なので、地球の歴史を可視化することをいつかやりたいという思いが残っていました。
T:その46億年を歩くプロジェクトを玉川上水で実施することになるわけですね。
L:そうです。玉川上水のプロジェクトを進めている時、玉川上水の距離って「43」kmなんですけど、地球の歴史の「46」億年と同じだったらいいなとぼんやり考えてました。玉川上水の最終地点は四谷大木戸ですが、そこから皇居半蔵門までの距離がもし3kmだったら46kmになると、google mapに定規当ててみました。驚いたことにちょうど3kmだったんです(笑)。本当にびっくりしました!!!「1kmを46億年とすると、100年は1mm。この1mmで人類がいろんなものを破壊したり地下資源を使ったりしている」それを歩くという事で体感できるかもしれないと中村政人さんにお話ししたら、面白い!と言われて。
T:100年くらい前のことだと少し想像つくかもしれませんが、スケールが大きすぎるとなかなか理解しにくいですよね。でも別の単位に置き換えてみると分かりやすくなりますね。
L:自然との関わりという事でいうと、私はH・D・ソローの『森の生活』にかなり影響を受けました。例えば、1本の釘にしても、彼は大切なものだから何度も大事に使うと書いていて、まねをしました。引越しのたびに釘を抜いて、それを次の家で使うなど。生ゴミは、20歳くらいの時から土に埋めるようになって、それから一切生ゴミを出したことがありません。畑をしている人はわかるかもしれませんが、肥料になるので宝物なんです。「生ゴミはちきゅうのごはん」というプロジェクトをやったことがあります。土の中には目に見えない微生物がたくさんいて生ゴミは循環していく。そういう目に見えない世界を想像する力を大事にしています。ちなみに、私が大学卒業後に初めてやった個展のタイトルは「目に見えないものたちのために」でした。
森で観察した生きものの絵を森に展示する「生きもの次元」(上)、夜の林で行った影絵(中、下)。
毎日の生活の隅々から、
目に見えないものを想像する。
T:昔から「目に見えないもの」がテーマになっているんですね。
L:「目に見えないものたち」は微生物だけでなく、子どもの頃から母親に聞かされた、かまどの神様「荒神さん」などもそうです。現代の生活では、そういう神様を感じにくくなりました。東京ビエンナーレの「計画展」(2019年)では、干からびたミミズの糞をブロンズでつくった台に乗せていたんですが、あの糞は目に見えないもののアイコンです。ミミズだけではないですが、土の中にいろいろな生き物がいて食べて糞をし、細菌が分解し、最後には植物が地上に生命をもたらします。どんなにお金があっても、豊かな大地がなければ人や生き物は、生きていくことができません。
T:最初は人糞からつくられた肥料も展示するという話だったと聞いてびっくりしました。でも、微生物=目に見えないものがあって人間がいて、という循環を知る上では人糞でもよかったのかもしれません。
L:糞は臭くてみんな嫌がるけど、全ての生き物は糞をしますよね。人間以外の生き物は糞も死骸も土にかえしていきますが、人間だけがそれをしていない。それを続けていってよいのだろうか、人間の糞も死骸も自然界で循環できるといいのにと思います。汚いというイメージを変えていけるのは、アートの力かもしれないです。
T:インドでは遺体をガンジス川に流すことが、人間として徳が高いと言われているそうです。人間中心ではない考え方だと、人間の方が違うことをしているのかもしれません。では、リーさんの活動とアートのつながりについてお話を聞かせてください。
L:端から見るとただ畑をやっているように見えるかもしれませんが、自分としてはやっていることは全てアートだと思っています。人は食べ物がなければ生きていけません。食べ物はほとんど全て生き物でできています。世界は生産者(=植物)消費者(=他を食べる生き物)分解者(=菌など)で循環しています。それらのつながりを、生き物観察会、畑、で体験して欲しいし、なによりそういうことが「楽しいということを伝えたい」がコンセプトの一部分です。「アーティストは生命維持のために必要だ」という声明がありましたが、私も本当にそう思います。1990年代、アジアでは政府に対して批判的な作品を作るアーティストが多くいました。その時代ごとに人々が生きていくために必要なものがアートだったのではないかなと思っています。今私たちが直面している問題は、食べ物や水がこの先どうなるのかということです。それを考えていかないと人は滅びると思います。医療や福祉のような直接的なものと同時に、アートとして人々の意識に働きかけるもの、人々の意識が変革するものがなければ世界は変わらないと思います。その意識に働きかけるものをつくっているつもりです。
リー智子さんが行う畑(上)とその収穫物(下)。
T:確かにアートに見えないような、境界的な作品が多かったですね。
L:物質的にも資源的にも枯渇してきていて、今のような消費型の生活は、持続できません。消費することは、明らかに自然を壊し、資源を枯渇させています。新しい種や地下資源は人間には作り出せません。時間を操ることはできないのです。「時間の流れ、人の歴史が一瞬でしかないこと」「いのちは作れない、かろうじて生きている多様ないきものたちがどんなに大切で、人が生き続けていくためには欠かせない。」ということを感じ、考えるために歩きたいというのがこのプロジェクトです。
T:もともと美術を学んでいらしたからでしょうか、スケールを変えて物事を見せることや、展示の方法や視点を変えて印象を残していくような術がとても多いですよね。年月を距離に置き換えたり、アイデアを生み出していますよね。人に物を伝えてわかってもらうにはその人も変わらないとわかってもらえないと思うんですが、それってコミュニケーションの一つでもあり、アートの力でもあると思うんです。多くの人に伝えていく手段としては効果的なことをされているんじゃないでしょうか。
L:あまり話をするのが得意ではないので、こういうこと(アート)をやるしかないのかな。伝わる人には伝わるけど、伝わらない人には伝わらないです。
T:ネットで調べただけではリーさんの活動やアートとの結びつきがよくわからなかったのですが、今回直接お話を聞いていろいろ納得できました。東京ビエンナーレのプロジェクトは、きっと目に見えないことを考えるきっかけになると思います。昨今のコロナウィルスだったり、人の感情のようなものも目には見えませんが、確かに存在していて、それを想像するということは、今の時代を生きるすべての人に重要なことですよね。また、自然や歴史といったことからものを考えたり、シンプルな暮らしのなかで研ぎ澄ませた生活を送るというリーさんの姿勢も学ぶべきところがたくさんあるように感じます。すごくクリエイティブな暮らしですよね。プロジェクトも楽しみです。ありがとうございました。
トップ画像:photo by 青木計意子
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