COLUMN:東京オリンピックのオルタナティブとしての東京ビエンナーレ/吉見俊哉(社会学者)

私は普段、社会学者として大学で教えていますが、市民委員会の委員として東京ビエンナーレにも関わっています。総合ディレクターの中村政人さんとは東京都心北部のまちづくりを目指す「東京文化資源会議」(https://tcha.jp/)で長年ご一緒しています。東京の未来、日本の都市の文化的未来について議論を重ねており、目指すところを共有している同志だと感じています。また、東京ビエンナーレが展開されるエリアと東京文化資源会議の対象とするエリアは非常に重なる。それについては後ほどご紹介したいと思います。

東京ビエンナーレではテーマを「見なれぬ景色へ」と掲げており、それを市民レベルで「私たちの」景色として共有することを目指しています。

「見なれぬ景色」という言葉を聞くと、すぐに思い浮かべるのはヨーロッパやアメリカといった異国の風景やアジアや中南米等のエキゾチックな風景といった、日本の「外」を対象としたものでしょう。かつて現代アートの現場では、「見なれぬ」という言葉は対象を「異化」するという前衛的な実践と結びついていました。しかし今回、東京ビエンナーレで「見なれぬ」景色を考える時に、それは外から来るものではなく、また異化とも少し違い、私たちの中にある無意識の風景をもう一度発掘する。あるいは忘れてしまった太古の風景を掘り起こして具現化していくというようなモメントが大きいと思います。逆に言えば、私たちはそのような景色を、過去何十年も捨て去ってきてしまったとも言えるでしょう。

1960年代の高度成長から80年代のバブル、そしてその後の都心再開発のプロセスで東京はとても激しく開発され、風景はすっかり変わってしまいました。今の時点からすると、かつての東京に眠る記憶の風景や、かつて当たり前だった風景の方が見なれぬ風景になっている。そうした逆転が起こっている。それに気づくことや、逆転の意味を問い返すというのも東京ビエンナーレの狙いの一つなのだと思います。

「東京オリンピック」の話に移ります。
もともと東京ビエンナーレは2020年の東京オリンピックと同じ時期に開催されようとしていました。延期後もまた同じ時期に開催しようとしています。オリンピックの方は開催されるかはわかりませんが。しかし、「東京オリンピック」と「東京ビエンナーレ」の間には微妙な緊張関係があるのではないか、と私は思います。

東京は言うまでもなく、世界最大の都市です。東京、神奈川、埼玉、千葉を合わせていわゆる東京圏でみると人口は3600万人。こんな巨大な都市は世界にも例がありません。人口密度も高い。1億3千万人近い人口の約4分の1が東京に集中しており、資本、情報、学校の集中度は50%を超えています。「人口」「富」「情報」「活動」の半分以上が、東京に集中しているのです。

その一方で、日本の経済力は90年代以降頭打ちで経済成長をしていません。どの地方や都市を見ても人口は低下の一途を辿っています。しかし、東京だけ人口が増え続けている。現在も続いている東京の拡大は、地方を犠牲にして成り立っていると言えます。

そんな他の地方都市を犠牲にして大きくなり続けている東京という都市で、オリンピックを、しかも「東日本大震災からのの復興」を銘打ってやろうとしているわけです。そもそも、何かがおかしいですね。そして、新国立競技場の問題やエンブレムの問題、様々なスキャンダルと、これまでもいろいろな問題で全然うまく事が運ばず、最終的には昨年から、コロナが世界中を襲ったことで、オリンピックは瀬戸際に立たされています。東京が他の都市を犠牲にしてまで経済成長一直線でやってきた歪みが2020〜2021年にかけて連続して起きています。それはどういうことなのでしょうか。

多くの日本人は1964年の輝かしい東京オリンピックの記憶が強く、同じようなものをもう一度という気持ちが強いのだと思いますが、それは大きな誤りです。64年の日本、そして東京は、「より速く、より高く、より強く」経済成長をする国であり、そうした成長する国の成長する首都を目指し、大改造がなされていきました。しかし、21世紀に入り、私たちが都市の未来を描く際に、「成長」や「発展」という言葉の意味や価値観を根本から考え直さねばならなくなりました。未来の都市は、「より愉しく(quality of life)」「よりしなやかに(resilience)」「より末長く(sustainability)」ということを考えて仕組み作りを行なっていかなければなりません。成長する東京への固執は、もう終わらせなければならないのです。それは東京ビエンナーレが掲げているミッションとも重なると思います。

高度成長期を通じ、東京オリンピックで起きた様々な歪み、様々に失ってしまったものがあります。その問題点を反省し、そこからの価値転換が十分にできていないうちに、「もう一回東京オリンピックを!」と邁進してしまったことが、実は今回のオリンピックの間違いの根本で、その結果、現在のような状況に至りました。

これが開催されるかどうかはわかりませんが、もし開催されたとしても、経済効果どころかマイナスの方が大きい。そこで、都市には東京オリンピックに対するオルタナティブが必要なのだと思います。東京ビエンナーレは、決して東京オリンピックを盛り上げるためのアトラクションではありません。東京ビエンナーレ、中村さんを始め市民委員会やたくさんのプロジェクトが目指すのは、オリンピックとは違うオルタナティブなのです。その距離感覚を、まずはしっかり共有していただきたいと思います。

先ほどお話しました「見なれぬ景色へ」というのは、もちろんより発展、成長した輝かしい未来ではありません。私たちが忘れてしまっている見なれぬ景色、私たちの記憶の底にある景色です。それは個人の記憶だけではなく、社会全体、都市が持つ様々な集合的な「私たち」の記憶の底にあるものを、もう一回「見なれぬ景色」として浮かび上がらせていこうという試みでもあるはずです。

吉見俊哉(社会学者)
1957年、東京都生まれ。東京大学大学院情報学環教授。同大学副学長、大学総合教育研究センター長などを歴任。社会学、都市論、メディア論、文化研究を主な専門としつつ、日本におけるカルチュラル・スタディーズの発展で中心的な役割を果たす。

東京ビエンナーレ2020/2021
見なれぬ景色へ ―純粋×切実×逸脱―

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