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TALK: 畠山直哉×宮永愛子×福住 廉

東京ビエンナーレの参加作家3名に話を伺うTOKYO BIENNALE TALKシリーズ。第3弾は、写真家の畠山直哉さん、アーティストの宮永愛子さん、美術評論家の福住廉さんに登場いただいた。畠山直哉さんは2011年の東日本大震災から故郷の陸前高田の写真を撮り続けており、宮永愛子さんはナフタリンや塩といった時間の経過とともにかたちが変化していく作品を通じて目に見えない「時」を視覚化する作品などを制作している。福住廉さんは、批評という立場で美術の現場を多く取材しており、東京ビエンナーレでは文字を扱う職人を育てる「アートライティングスクール」というプロジェクトのディレクターを担当している。今回、全員が初めましてからの鼎談となった。写真家、アーティスト、評論家というそれぞれの立場で、コロナ禍の近況から、「見る」とはどういうことなのか。話は多方面に広がった。
(対談日/2021年2月 聞き手・文:上條桂子、編集協力:岩井美景)

畠山直哉のプロジェクトページ
https://tb2020.jp/project/rikuzen-takata-2011-2020/
宮永愛子のプロジェクトページ
https://tb2020.jp/project/praying-for-tokyo-aiko-miyanaga/
福住 廉のプロジェクト「アートライティングスクール」note
https://note.com/artwritingschool

全世界的にストップした
コロナ禍での作品制作

──コロナ禍で作品制作にいろいろと不具合があったかと思いますが、それぞれどんな影響があったのかお聞かせいただいてもよいでしょうか?

畠山直哉:僕はやっぱり海外に行けなくなったっていうのがまずあります。それから展覧会が延期になったって話は普通にありますね。フランス・パリ郊外の団地を撮影して、あちらの小説家と一緒に本を作るという計画もあったんですが、ストップしてしまいました。でも、ロンドンやパリからなんとか東京に来た人たちに話を聞くと、東京はなんて素晴らしいんだってみんな口を揃えて言ってますよ。

──そうなんですね、それはどんな理由で?

畠山 もちろん制限はかかっていますが、東京では美術館が開いてる、映画館が開いてる、劇場が開いてる。それから夜間に出歩いても誰にも何も言われない。レストランが開いてる。ヨーロッパではこれらがすべて出来なくなっているのが現実ですから。それに比べたら東京は素晴らしいって言いますね。しかも感染者の数がヨーロッパの国ほどは多くない。

仕事がいくつかなくなって何をしていたかというと、僕は怠け者なので、部屋に籠ってぼんやりしていたり、あとは原稿頼まれているからそれでネチネチと時間を費やしてしまったりという風に過ごしていて、少し反省しているところはあります。

今、故郷の陸前高田に行こうとしたら行くことはできますからね。でも歓迎はされませんよね、やはり。昨年の7月末までは感染者ゼロという場所でしたから。そう思うと腰が重くなって。自分の気持ち次第で続くか続かないかというようなことをやっているわけですから、やはりモヤモヤしちゃいますよね。自分は怠け者なんじゃないかとか、サボってるんじゃないかって思ったり。

──コロナで止まってしまった時間で、怠けているんじゃないかと思っている人、いますよね。

畠山 でも、こんなものが今日でき上がりました。陸前高田市役所から去年の夏に電話があって、市内に5カ所ある「震災遺構」の内部記録を撮っておきたいというので、二つ返事で引き受け、それを自費で本にしました。


京都のNISSHAというところが少部数でも刷ってくれるというので、今回は15部だけつくったのですが、今後どこか版元がついたらいいなとは思っています。

陸前高田市東日本大震災遺構Ⅰ・Ⅱ

写真集《陸前高田市東日本大震災遺構Ⅰ・Ⅱ》(2021年)

あとは「津波の木」のシリーズを岩手から福島までまわって撮影していました。今年は3.11から10年というので、あちこちからインタビューをさせて欲しいとか原稿を書いて欲しいという依頼があって、今はその対応に追われています。

2019年10月6日陸前高田市_撮影:畠山直哉

シリーズ《津波の木》より「2019年10月6日 岩手県陸前高田市」

──宮永さんはいかがですか?

宮永愛子 私は昨年横浜から京都に家族で引っ越しました。引っ越しをしたのは、家族の仕事の都合でコロナが理由ということではありませんでしたが、どうせ関西に住むなら実家の近くがいいなと、なんと今現在は実家から自転車で4分のところにいます。横浜の仕事場はそのままにしているので、頻繁ではありませんが関東と関西を行ったり来たりという感じです。

ちょうどコロナ禍に入る前に大きな展覧会(編注:2019年7月17日(水)~9月1日(日)に高松市美術館で開催された『宮永愛子:漕法』)があり、それを思いきってやり切った後コロナがやってきたんです。どこにも行けない、誰にも会わない暮らしは辛いとかどうしようというより、家族で小さな宇宙船にでも乗ってるみたいな感覚といいましょうか、なかなかこんな時間もいいなと思っていました。次の作品に向かう自分にとっては、アートから離れているような感じですね。

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《waiting for awakening -chair-》2017、ナフタリン、樹脂、ミクストメディア 写真:木奥恵三 (c)MIYANAGA Aiko / Courtesy Mizuma Art Gallery

コロナだからそれに反応して何か作らないと、とか今こそ何かを生み出さないと、と慌てるわけでもなく、鬱々とはしているけど、今はその感じに落ちていればいいんだと思って。うん、落ちているっていう感じかな。

──落ちているって言っても、後ろ向きな感じではなかったということですね。

宮永 そういう感じではありません。発酵することこそが自分にとっては、やっぱり大事なことだと思います。横浜にいた時の時間もよかったんだけれど、この時期に自分が生まれ育ったところに引っ越してきて、新しい時間を始めてみるのもいいことかなと思っています。

ここでの時間は、2004年に東京藝大に行った時間からがまるでなかったかのように、京都時間に引き戻されている感じで。京都って怖いところだなと思っています。(笑)それは京都が、ということなのか、育った町や故郷がということなのかはわかりません。自分が通っていた保育園に自分の子どもが通っていたり、近所でよく会うおばさんがおばあさんになっていたり。不思議なことがたくさん起こるんです。そんな感じで、今は自分自身を京都の故郷の時間に放っているという感じですね。

畠山 いいですね〜、その話! まさに「故郷」って感じ。

宮永 今まで一生懸命この場所を去りたいと思って、違うところに行きたいと、例えば外国に行ったり、東京で何かしたいと考えてきて。そういう思いは今もあるんですが、でもこれからどうやっていくのかを改めて考えるには、いろんなものから切り離された、今の時間もこれでいいって思える自分がいます。その方がきっといいものが作れる気がするんです。

──なるほど。それはやはり大きな、集大成的な展覧会をやった後だからというのは大きいでしょうか?

宮永 そうかもしれません。2019年に高松で展覧会をしたり、ドマーニ展(『DOMANI・明日展2021』2021年、国立新美術館)で2011年に制作した「景色のはじまり」っていう作品を展示したのも大きかったです。あのとき「景色のはじまり」を東京の美術館であんなふうに展示できるなんて想像してなかったので本当にいい経験でした。

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《漕法 Ⅱ》2019、四世代で採取された13トンのサヌカイト、ミクストメディア、写真:木奥恵三 (c)MIYANAGA Aiko / Courtesy Mizuma Art Gallery

一方で去年(2020年)に展覧会予定していた人たちはどんな気持ちだっただろうかと考えると、心がざわざわしてしまいます。自分にとって展覧会というのは、崖の一番端に立って飛びこんでいくようなもので、そんな時にあるんだかないんだか来てくれる人がいるのかどうかなんて言ってる場合じゃないなと。なので、その気持ちを想像すると胸が苦しくなります。それもあってあんまり他の展覧会にも行っていませんし、アートの世界の人にもほとんど会ってないです。伏見稲荷大社と若冲のお墓の間で漂っている感じです。(笑)。あ、そうだ。でもこのインタビューのお話しをいただいて、畠山さんのインタビューを読みながらちょっと泣きました。

畠山 どの話かな?

宮永 生活は、生きていくってことは続いていくんだっていうようなことが書いてあったもので。

畠山 ああ!アートサポート東北-東京ですね。(http://asttr.jp/feature/ima/hatakeyama/

宮永 まさに私が今話しているようなこともきっとそうなんだと思うんですけど。どんなことがあっても生活は続いていくし、やるしかないっていう状況が私にも誰にでもあることで。でも、そうして世界が巡り巡ってる中で自分たちが何に向かうのか、何に向き合うのかをやっぱり作家として、どうするのか見ていなきゃいけない。まあそんな偉そうなことは言えないんですが、見ていかなきゃいけないんだなって自分も思っている。そういうようなことを読みながら改めて感じていて。。畠山さんときちんとお会いしたことがなかったので、この機会に畠山さんの文章をゆっくり読んだのですが、いいお話をされる方なんだな、と文章もとてもよかったです。

畠山 僕、実際に写真撮ってると「あ、やっぱり写真撮るんですね」って言われます。あまりにおしゃべりだから(笑)。

──確かに。畠山さんは『話す写真』っていう著書を出されているぐらいですもんね。では福住さんにもお聞きしたいのですが、批評家の立場で様々なアーティストの姿も見てこられていると思います。どういうふうにこの1年をご覧になっていましたか?

福住 廉 僕は展覧会を見て文章書くという仕事をしているんですが、この1年を振り返ってみると、最初の緊急事態宣言の時は割と美術館がクローズしていましたが、最近は美術館も普通に開いているような状況でしたよ。だから、仕事の影響があったかというと、担当している連載で1回展覧会を見ることができなくなってアート関係の書評に切り替えたというのがあったくらいで、あんまりそこまで影響は大きくはありませんでした。でも、アーティストにとっては発表の場所である展覧会や芸術祭が延期になったり、プロジェクトそのものが中止になってしまったりといろいろ大きな影響があるという話は各方面から聞きます。

書く仕事というよりは、非常勤で教えている大学の方がむしろ影響が大きいですね。端的に、対面授業は一切出来なくなったっていうのと、リモートの授業に変わってしまったので、そもそも大学のキャンパスに1年以上行けていません。皆さんがどうなのかはわかりませんが、僕の講義は大半がリモートでオンデマンドでした。前日までに一人で収録して、当日の授業時間になったらURLを学生に配るという。だから学生の顔は知らないし、質問も全部チャットで、文字ベースでやりとりをすることになっているので、そっちの方がショックが大きいというか、リアリティが大きかったです。

顔が見えない学生に僕がしゃべったことが果たしてどれくらい伝わっているのかという不安もありますし、もちろん機械的に講義はできるんですが、学生のリアクションを通して細かく修正するという機会がないわけです。リアクションをもらって、それに対してアクションを返すという自分にとっての学びが失われてしまったのが一番辛いですね。学生から対面やらせてくれっていう声が上がるのも当然だと思います。一方で、通勤しなくていいというメリットはあるんですが。

先ほど宮永さんが時間のお話をされていましたが、この1年で時間の感覚が全然変わってしまったような印象です。通勤がなくなったので時間は余っているはずですし、効率的になったと言えばそうなんですが、その実質的に余った時間で僕らはいったい何ができているのかということを考えると、この1年は他の1年とは比べ物にならないくらい無駄に早く過ぎてしまったような気がします。果たして自分は何を生産できたのかということを振り返ってみると、全然自信がないし、怖いような気にもなります。ポストコロナ、ニューノーマルと言われますが、この時間の流れにどう向き合っていけばいいのか、体と時間の流れがうまく一致しないようなところがあって。そこが今考えている、悩ましいところだなと思います。

──なるほど。畠山さんと宮永さんは、今まであったスピードの早い時間がパッタリ出来なくなってしまったっていうので、どちらかというと内省の時間というか、静の時間になっている。一方で、福住さんみたいな、私も割と福住さんと近いのかなと思うんですけど、オンラインで効率化されたような日常を生きているんだけど、他にあるべき、あるはずの時間っていうのが飛んで行っちゃったような感じで、なぜかあくせくしているような毎日を過ごしてしまっている。職業に関係なく、きっと両方のタイプの方がいるような気がしますね。

畠山 僕も。去年があっという間だったっていう実感はあります。「時計の時間」と、それから「心の時間」っていうのは多分、ちょっと違うもので、僕らが体験するのは「心の時間」のみなんですよね、きっと。カレンダーとか時計の運針とかいったものは、それに尺度を与えてるだけで。僕らの生活とか人生そのものが変化すれば、時間経験も変化してるってことなんだと思うんですよ。

思い出すと、子どもの頃の時間って今より長かったような気もするでしょう。などなど。そこら辺はちょっとかなり深い話になってくるから、あんまり足を踏み入れたくないんですけど(笑)。

一同 (笑)。

畠山 1年が短かったってのは本当にそう。あとはね、例えば家族が別の国に住んでて、この国とあの国を半々で暮らしてるみたいな人たちがいるでしょう。ああいう人たちは、人の2倍生きてるように見えるけど、その土地に降りてしまうと記憶が前の滞在からすぐ繋がってきちゃう。つまり、ダブルの別の時間を過ごしてるっていうだけなんですよね。だから1カ所における人生をすごく短く感じたりする。

人生を振り返って、「どこ」に立ってるかというのは結構大事なんですよね。今、日本にいるのか、別の国にいるのか。そこで人生を振り返った時にやっぱりその土地の記憶が繋がって出てくるのはしょうがない。そうすると、いわゆる時計の時間とは全く違う時間っていうものを僕たちは過ごしているんだなっていうことがだんだんわかってきますよね。宮永さんが、京都に帰ったら育った頃の時間から地続きになっちゃって……という話をしていたけど、あれこそがまさに時間の経験っていうことだと思うんです。

宮永 実感の体験の仕方っていうのは本当に難しいですよね。私も講義をいくつか担当しているんですが、オンラインで授業をやるというのを聞いたときにどうしようかと悩んで、オンライン授業はやりません、手紙交換にしましょうって手紙交換にしたんですよ(笑)。結果的にはすごくいい課題だったなと自分でも思っています。

手紙で自己紹介してくださいということと、もうひとつルールを決めて、手紙を書いている時に聴こえてきている音を文字で記録して送ってくださいとしました。そうしたら会ったこともないみんながどんなところで暮らしているのか、何を聴いているのかを想像しながら手紙を読むことができて、その上でその人ごとの課題を考えてやってもらって。結構それは面白かったです。

みんなが時間に対して不安になっているので、作り手側の視点としては、そんなことをする方が新たな発見があるんじゃないかと思っていて。

畠山 学生って何人くらいいたんですか?

宮永 10人くらいです。

畠山 それはちょうどいいですね。これが100人とかになっちゃうと、ちょっと手紙も困っちゃいますよね。

宮永 笑。そうですね。学生さんこそがいろいろな気持ちを本当に抱えながらコロナ禍を過ごしてると思いました。自分の未来もあるし、自分の今。、払ってもらってる学費の中で生活しているのもあるし、抱えているものがたくさん見えて、応援したいような気持ちになりました。

福住 宮永さんは手紙に返事を書くんですか?

宮永 書きます! 部分的に同じ内容を書くこともありますが、個別に書いてましたね。

──いいですね。そうやって個別の課題がどんどん作品に発展していくというのは。一人の時間が増えてしまうと、どうしても今だとSNSにかじりついてしまったりしがちですが、そうやって一人の先生と手紙をやりとりするというアナログな方法で相手のことを想像するのは面白い体験だなと思います。

宮永 でも確かに100人いたらできないですね(笑)。会う予定だったのに会えなかった10数人の学生対象で、結局最後まで会うことはありませんでしたが、次にあう日が楽しみになりました。

──畠山さんも先生をされていると思いますが、授業はどうでした?

畠山 去年の春、5月に遠隔でやった演習では「あなた方の部屋をカメラに見立てて、そこで映像をつかまえて見せてください」っていうのを課題にしました。みんな実家からアクセスしている人も多くて、新潟とか金沢とか、神奈川の田舎の方とかもいましたね。それはそれで積極的というか、なんと言いましょうか、諦めないで何か熱中できるものをそこに見つけるということですね。

よくマスメディアとかで「ピンチをチャンスに変える」とか言ってるでしょう。あれ、ちょっと何かが違うって、聞きながらずーっと思ってるんですけど(笑)。「チャンスになるわけないじゃん」って思う。そうじゃなくて、逆境の中であっても、何かこう、心がちょっと大きくなるみたいな。何かに打ち込んでその時間を充実させることが出来るような、そういうことってあると思うんです。あの課題から得た体験は多分、これから日常に戻ったとき、きっといい経験として生きてくると思います。

──確かに、オンラインで受ける授業でなければそういう課題にはならなかったっていうことですもんね?

畠山 そうですね。自分の部屋全体を黒い紙とか、あとはアルミホイルとかで覆って全部真っ暗にして、それで窓に穴を開けると、外の光が入ってくるでしょう。例えば、ダンスが得意な学生は自分のボディに外の畑の景色を映して踊ったりして、それをビデオで撮ったり。面白い作品がたくさん出てきたんですよ。対面でそういう課題をやると、校舎の中とか、あと近所の道路とか。そういうのばっかり出てくるんですけど(笑)、遠隔でやると否応なく自分が暮らしてるところの風景がどんどん出てくる。全国バラバラですから、遠くから何かが届いてるみたいな、すごく楽しいことになるわけですよ。結構面白かったですね。

──面白いですね。部屋がカメラになるということも大きな気づきだと思いますが、いろんな日常というか、自分が今立っている場所に気づくような部分がありそうですね。

畠山 たまに家族が出てきたりしますからね。一緒に住んでるお母さんが出てきちゃったり。まさに日常ですよ。


今の東京に思うこと
東京と自身の距離感について

──ありがとうございます。では、皆さんに「東京」についてのお考えをお聞きしたいと思います。畠山さんは大学出られてしばらく東京にずっと暮らしていらして、でも東京に出てきた頃は東京が撮れなかったと著書にも書いてありました。今はどうなんでしょうか?ということもお聞きしたいです。また、福住さん、宮永さんにも東京とご自身の距離感のようなものをお伺いできればと思います。まずは宮永さんにお伺いしますが、宮永さんは東京に住まれたことはありますか?

宮永 母の実家が東京なんですが、自分自身が東京に住んだ経験はありません。東京という街は、幼い頃は母に連れられて祖父母の家に行くところだったり、親戚がいっぱい住んでいる町というイメージ。自分が大人になってきたら、東京っていうのは華やいでいて、京都とは違った時間で物事が動いているように感じました。自分がいた京都のアートシーンはすごく小さな世界だけど、東京というところに行くと世界に繋がっているんじゃないなみたいなイメージがありました。、東京に行ったら新しい出会いや展覧会があるんじゃないかとか、京都にいるときはそう描いていました。。きっと焦ってたっていうのもあると思います。何かに追いつきたいとか、そんなふうになりたいというような思いがたくさんあったのかな。

──畠山さんは最近の東京についてどう思われますか?

畠山 これはね。加齢、つまり年齢のせいかもしれないなって思うこともあります。例えば、渋谷などにはちょっと寄り付けなくなっちゃいました。よっぽど約束が無い限り、自ら行こうとは思いません。まあ昔はカメラ持って、渋谷川を撮りに行ったりしてましたけど。最近、石川直樹さんが渋谷で夜中にドブネズミの写真を撮っていると聞いて、ちょっと面白そうだなと思っていて早くまとまらないかなと思っているんですが、何かそういうものがあったら僕も渋谷に行くのかも知れませんが、なんて言いますか、渋谷の街が観念的なものに思えてきていますね。街や他の歩行者の動きに、こちらの知覚がフィットしない感じ。あとは、東京って一言で言ってもサイズが馬鹿でかいですから「街」っていうふうには把握できない。あるサイズの中にいる感じがしないんですよ、全然。

その点、パリとかロンドンなどのヨーロッパの街は、人口が多くても、何かこう、いわゆる街っていうか、都市っていうか、そういうまとまりを感じることがあるんですよね。例えば、中心が何となくわかるとか、そういう特徴がありますよね。あとはドイツやイタリアみたいに都市ごとに歴史を形成してきた、都市ごとが国のような場所と比べると、東京は茫漠としていて都市というプランが見えない。そこに何か新しいものを作ろうと思うと、個別の建築やデザインに頼むということになってくる。そうすると、表面にそれぞれの情報が露出してきているような、細部のみの環境が現れる。物理に何か観念的なものが合体したような、幻のような街が現れてるなって思うんですね。

──それはこう、地下と地上がちょっと離れて、チグハグだ、みたいなことでしょうか?

畠山 というよりも、あの敷地にあの体積はないでしょうって思うわけですよ。ありえないですよ、あんなの。特に最近の渋谷はひどいと思います。六本木ヒルズが出来たときの圧迫感にも、ものすごいものがあったんですが、今の渋谷の駅周辺はさらにすごいことになっていますね。渋谷の「や」はまさに「谷」だったみたいな話で。谷底というかなんというか、地下世界に近くなってくるわけです。地下世界っていうのは、都市の比喩としてずっと昔から文学では考えられてきましたけど、それが完成してくるっていうことになると、新しいけどゾッとする、そんな風になっていくんじゃないでしょうか。

僕の今の東京に対する印象はかなりネガティブです。「アイラブ東京」みたいな感じのセリフは僕からは出てこない(笑)。ひとつ言っておきたいことがあるんだけど、特にヨーロッパあたりから人が来る時、東京の第一印象を尋ねるとなんて言うと思います? これはまあ、かなりの確率でね、こんなに静かな街だと思わなかったって言うんですよ。

一同 ええー!

畠山 いや、アジアの街の一つと思って来るからかもしれないんだけど、例えば、人の声とか自動車の騒音とか、あとは何かこう、物がぶつかる音とか、掃除する音とか。パリとかロンドンでも、行くとけっこう音がするんですよね、ニューヨークもそうだけど。でも東京は静かなの。まあクルマがまず静かってことがある。あとは人が黙って歩いてるでしょう。たいへんな人口がそれなりにちゃんと活動してるんだけど、とにかくシーンとしてるんですよね。ふだん全然意識してませんけど、外から来た人にそう言われるとハッとするところがあるわけですよ。そうだよな、確かに静かだよなって思うわけ。

人が目を合わせないとか、ちょっと知らんぷりしすぎみたいな、そういう感じもありますよ。例えばニューヨーク、ロンドンとかパリとか、いわゆる西洋の都市に行くと、歩いてると意外に声をかけられたり時間聞かれたりするでしょう。こういう体験を東京でしたことは、僕にはないです。だけど満員電車では、みんな肌を密着させて乗ってる(笑)。そういう、普段は言われてみないとわからないようなところが東京の特徴になっているのかな、と思うところはありますね。

東京で都市計画らしきことをやってるのは不動産企業だけでしょう。建築家たちはもう、東京を都市として把握して、その計画をすることは難しすぎるっていうふうに、匙を投げてるところがあるように思います。

街を巨視的に見たら建物の一個なんてただのディテールです。そこにエネルギーを注いで非常に洗練されたものを作っても、街全体としては非常に不定形で混沌とした、掴みどころのないようなものになる。でも一方で、よく見ると面白いっていうことも起きてくる。京都なんかもそうです。これも外国人観光客からの意見ですけど、古都っていうからフィレンツェみたいな所だと思ってたって、最初はみんながっかりする。だけど、2週間くらいいるとだんだん楽しさがわかってくるみたい。例えば地面とか壁とか、ああいう細かいところに面白いものがいっぱいある訳ですよ、京都は。それでだんだんとディテールに意識が集中してきて、醜いビルやホテルが目に入らなくなってくる。自分の目がチューニングされてきて、ファンになっちゃうと、そのディテールのギャップすら楽しめるようになる。

──なるほど。東京には何かチューニングを合わせるところってないんでしょうか?

畠山 3331(3331 Arts Chiyoda)じゃないですか? 素晴らしいプロジェクトだと思いますね、本当に。僕なんかにはわからない苦労もいろいろとおありなんでしょうけど。

──それは3331という、昔の学校を改装した場所で何かいろんなことが常に起こってるという意味ででしょうか。

畠山 そう。あとは神社とか、お祭りとか、そういったものも招き入れちゃってるでしょう。あの考えはやっぱり素敵だと思います。

──なるほど、ありがとうございます。では、福住さん東京についてをお聞かせいただいてもいいですか?

福住 僕は東京生まれ、東京育ちで。途中福岡に5年くらい行ったんですけど。でも故郷を愛するみたいな感覚は全くなくて。それは何故かということを、今お二人の話を聞きながら考えていました。多分他の人も言ってると思うんですが、東京には地域というのがあるにはあるし、最近の若い人が自分たちでローカルコミュニティを作っていこうという動きもありますが、ほとんどの人が地域に所属してるっていう帰属意識がない。そもそも東京の街の成り立ちを考えると、そういうローカルコミュニティが嫌で逃げてきた人たちが作った街だという背景がある。人と目を合わせないとか、人と世間話をしないとかは東京の大きな歴史的な特徴だと思うんですが、そこで「東京ビエンナーレ」という芸術祭をやるっていうときに、そういう芸術祭をやることによって逆に地域が出来ていくんじゃないかってところに期待していますね。

北川フラムさんがやってる芸術祭は、もともとある地域をアートによって盛り上げたり、作り変えていくような感じで東京ビエンナーレとはまったく逆のベクトルなんだけれども、芸術祭をやることによって事後的に新しいコミュニティが出来ているところがとても面白い。そこで重要なのはやはりどういうアート、プロジェクトをやるのかとかだと思うんですよね。

で、アートの可能性はいろんなかたちがありますが、中でも大きいのはポジティブな理想を具体的な物質として表現できるという展で、そこにみんなの心が揺り動かされるんだと思います。だからその新しいローカルコミュニティをつくり出す一番の大きな原動力は、そういうアートが醸し出すポジティブなイメージの力だと思うんですね。

お二人の話を聞いて中国を思い出しました。最近全然行けてないんですが、何年か前に中国の重慶に芸術祭の仕事で通っていて、中国人の街の作り方や使い方を目撃して大きな衝撃を受けたんです。それは2つあって、ひとつは“北京ビキニ”って言われているもの。向こうは夏が異常に暑いから、おっさんがみんなシャツをめくりあげて腹を出して街を歩いてるんですよ。昔の東京ではあったのかもしれないけど、最近はちょっとそういうのはお目にかかれないので新鮮な驚きだったんです。で、現地の友達に聞いたら、あれは合理的なんだと。要するに気温が40度くらいになっちゃうんで熱を体から放出させるには、Tシャツ1枚でもめくり上げていた方がいいと。昼間からみんな火鍋とか食って汗をかくのもやっぱりその場所で生きていくための体の維持の仕方だった。だから、自分の時間軸で考えると古い時代の風習のようにしか見えないけれど、実はその場所に最適な行き方だったんです。

もうひとつは、“広場ダンス”っていうのがあります。だいたい夕食が終わった18時〜19時になると街の広場におばちゃんたちがラジカセを持っていって、そこで好きな音楽を流してダンスをして、健康増進を図るという。もともとは行政が仕掛けた健康維持キャンペーンのようなんですけど、それが今や中国の全土の街並みに根付いている。で、いろんなサークルがあるんですが、サークルによって音楽が違うんですね。だから参加する人は、好きな音楽のところに行ってダンスを踊る。それがある種のストリートカルチャーとして根付いているんです。

僕が面白いなと思ったのは、おじいちゃんおばあちゃんたちが広場を有効に使っているところです。そこが街の使い方としてすごく健全だなと。要するに、若者を消費者として想定して街づくりがなされているように、年齢によるセグメント化が頻繁に行なわれているが東京ですよね。若者のために設計された街に行っても、お年寄りは全然楽しめない。でも中国の“広場ダンス”の場合は全然そうじゃなくて、例えば広場で若者がバスケをしていたら、ダンスのおばちゃんたちと喧嘩になるらしいんですよね。場所の占有を巡って。ちょっと日本では考えられない感じ。

若者は若者、お年寄りはお年寄り、と空間的にお互い干渉し合わないようにセグメント化されていて、それこそ目も合わせないみたいなことが当たり前になっているんだけど、そうじゃない街の使い方、つまり、歳いってもちゃんと街をうまく使うことができる。あるいは、人の目を気にせずお腹を出して街を歩くことができる。それが東京にはない大きな街の魅力だなと思ったんです。それは共産主義体制だからできることなのかもしれないし、資本主義では難しいのかもしれない。でも、街は人がつくるものですし、どんな街が人の幸福を実現するのかを考えたときに、僕はたとえ人と目を合わせないとしても、お腹を出して歩ける街の方が良いなあと思ったし、もっと自由な、フレキシブルな街の使い方が出来るような東京であって欲しいなと思ったんです。だから東京ビエンナーレでは、アートを通して、そういった具体的で理想的なイメージを見せることができたら面白いことになるんじゃないかという気がしました。

畠山 東京は江戸時代から百万都市って言われてましたけど、実はどうも、農家の次男、三男たちが寄り集まってきた町だったらしいんですよね。それで、独身者の率が非常に高かったことから、それに相応しい商売も生まれたりしたと聞きました。で、今の日本では単身で暮らしてる人たちっていうのはすごく多くなってますけど、この人たちの伝統みたいなものは、ひょっとしたら江戸時代の東京から始まっているのかもしれない。変なSFみたいな空想かもしれませんが、そんなことも感じます。目を合わせないことや他人に対してプロテクティブな感じが、そうなのかどうかはわかりませんが、大阪や福岡では絶対に感じられない、東京特有の感じですよね。

──福岡はわかりませんが、関西だとすぐ人に話しかけられてしまいますね。

畠山 でしょう? だから日本全部が東京みたいだと信じたり、日本の都市というと東京だけが思い浮かべられるのって、間違いだと思っているんですけど。そんな東京の伝統、あんまりよろしくはないかもしれない伝統を、発掘して対象化できないかなと思っていますね。老齢人口が増えているし、一人暮らしの割合がどんどん高くなってきてますから、先ほど福住さんが話されていた、広場に集まる高齢者たちのような層を、アートを用いてどうにかできないかと思いますよね。

どんな方法かはわかりませんが、例えば昭和のアーティストをリサイクルする──その人たちの記憶を扱ったり、作品をあらたに掘り起こすような、そういうことも大事になってくるのかなと思うんです。写真の世界では、もちろん若手も一生懸命頑張ってますが、一方で昭和、いわゆるポストウォーの世代の活動が、記念碑的なものとして、世界的に輝きが増しているんですね。この不思議をどう考えたらいいのかと思っていて。その時代に大活躍してあとは何もしなくなっちゃったような人もいるんですが、それでも今見るとアクチュアルに見えることがある。その時は熱気だけで行なった仕事がそのまま棚の中にあって、50年くらい経って見たら何か得も言われぬ魅力が出てきているという。

──確かに、当時の評価ではなくて、熟成したからこそ何か新しい魅力が生まれたみたいなことなのでしょうか。

畠山 そう。そしてこれは写真特有の出来事としても考えなくちゃいけないんですよね。もちろん、時間が経ってもゴミみたいなまんま、っていう写真も中にはあるんですよ(笑)。でも、当時はあんまり目立たなかったけど、時間が経ったら注目すべきものになっちゃってるような。曜変天目茶碗みたいに、窯から出したら「すげぇ」みたいな。写真ってもとからそういう性格のあるメディウムですけど。それに時間が加わったことで、とんでもなく絶対的なものに変化しちゃっていることがある。でも、それと写真家の人生はまた別の話なんです。その写真家に対して「昔の写真、素晴らしいですね」と言ったとしても、その人はあまり嬉しくないかもしれない、きっと。

写真の世界にもモダニズムというものがあって、美術の世界にグリーンバーグ(編注:クレメント・グリーンバーグ/美術批評家。代表的な著書『アヴァンギャルドとキッチュ』などで現代美術に大きな影響を与えた)がいたように、ニューヨークのMoMAにジョン・シャーカフスキー(編注:MoMA写真部門の初代ディレクターとしてエドワード・スタイケンにより抜擢され、以来30年近くキュレーターを務めた人物)というイデオローグがいて、彼の影響力ってものすごく大きかったんですよね。その周辺に写真の歴史が形成されて、90年代くらいまで続いていたんです。でも、その考え方じゃうまく現実をとらえられない、とするようなムーブメントも起きてきて、今はその後なんですよね。

過去の作品を、シャーカフスキーが用いたモダニズムの尺度で素晴らしいと評価するのではなくて、その歴史が終わってしまった後、つまり個人の時間や人生までが歴史といっしょくたになった時に、一枚の写真から何か否定できないほど芸術的なパワーが出てくることがある。うまく言えませんけど、そういうアクチュアルな感じの出来事がいっぱい起きていて。だから、新しいものにはあんまり興味が無いって言う人も、結構出てきているわけですよ。

そんなことを言われてしまうと、今活動している人間としてはがっかりしてしまうわけなんですけど。でも、やはり写真をメディウム本位に見てみると、何か今までよりもうちょっと大きな議論として、写真の魅力が語られ出してるっていうところがあるんですよね。でも、これはシビアな話ですよ。だって、活動している人間はどうしたらいいかわからなくなるし、おじいさんおばあさんたちだって、何で褒められるのだかよくわからないでしょう。ちょっと難しい話になってます。

福住 今の畠山さんのお話に繋がるかどうかちょっとわからないんですけど。さっき大学の授業の話をしましたが、僕は講義の他にゼミもやっていて、ゼミはだいたい今の鼎談と同じような感じでオンラインでリアルタイムにやっているんですが、最近の学生は顔を出さないんです。だから僕もビデオをオフにしていて声だけのコミュニケーションになっているんですが、それって実感としては電話に近いんですよね。

畠山 いま話題の「クラブハウス」っぽいね。

福住 クラブハウスは僕はやっていないんですが、あれも電話の盗み聞きみたいな感じですよね。だから、メディアが今インターネットで発達しているんだけど、そこでされているコミュニケーションの形式は、結局電話だったり先ほどの宮永さんの話の手紙だったり、結局オールドメディアなんですよね。インターネットに駆逐された旧来のメディアが今ぶり返しているというか、オールドメディアでしか伝えられないようなコミュニケーションの質が改めて求められているような気がするんです。

例えば、今東京ビエンナーレではAR技術を使った作品などを推し進めていますけど、僕はあんまりピンとこなくて(笑)。むしろ手紙や電話とか、直接的に言葉を交わすようなすごく古臭くて、いまさら感のあるようなコミュニケーションの形式の方が今の僕らのリアリティに近いように思うんです。

畠山 手書きの手紙の意義に関しては、画家のゲルハルト・リヒターも話してますが、Eメールでは伝わらないような膨大な情報が入っていて、それが相手に伝わっていく。そういうことの面白さは各時代のメディウムのなかにあって、しかも未来から振り返るとそのことがよく見えるようになる。例えば写真の世界で若い人たちがわざわざフィルムカメラを使っていたり、音楽の世界でレコードやカセットテープが売れてたり、といった話は、まあ確かにありますね。

レトロとかノスタルジアとかの「昔はよかったなあ」というあの感じ。でもそれとは別に、知覚の話がまたあるわけで、ここをちょっと峻別して考え始めると、古いメディウムの面白さみたいなものを科学的に考えることができると思うんです。

──確かに。扱うメディアはアーティストの技術によっていろいろ自由選べる時代にはなってきている。けれど、そのメディアが本当に与えうる印象みたいなものをうまく扱えているかどうかは疑問だということでしょうか?

畠山 戦後のメディアアートみたいに、こんな面白いことができるよと、新しい技術の可能性を差し出してみんながびっくりする、そういうやり方はほぼ伝統になっていて、それはそれでいいと思うんです、VRだろうとARだろうと。ただ、今福住さんがおっしゃったのは、ちょっと違ってて、もっと根っこの問題ですよね。

福住 そうですね。そもそもなんですけど、都市の適正な規模というか、端的に東京って人が多過ぎるっていう問題があります。地域っていうのはもうちょっとギュッと絞った人口構成の共同体のことですよね。だから、そのオールドメディアを活用することを考えた時に、さっき宮永さんの授業の学生が10人程度だったって話はやっぱり示唆的でした。東京みたいに過剰に人口が多い都市で古いメディアを生産したり流通されても、先ほど畠山さんがおっしゃっていたようなノスタルジア、懐古主義的な方向に流れがちだと思うんです。つまり、消費してそれで終わりみたいな。そうではなくもっとコミュニティの数を絞って、そこで流通するコミュニケーションの在り方としてオールドメディアを活用するというのは有効なのかなと思います。

最近話題になった展覧会で「ダークアンデパンダン」(https://darkindependants.web.app/)というものがあって。Chim↑Pomの卯城竜太くんやアーティストの松田修くんが企画したもので、見る人を予め限定して内容も一切他言無用だという秘密の展覧会だったんです。僕も行きましたが、内容を公言しないと誓約書にサインしたので内容をお伝えすることはできません。その直接的な目的として考えられるのは、「あいちトリエンナーレ2019」における「表現不自由展・その後」への検閲に対するカウンターアクションで、公共性なんていうものはもはや相手にせず、そこから完全に切り離されたクローズドな世界をつくるということだったと思います。そこで面白いなあと思ったのは、展覧会というのはできるだけ多くの人に見せるものというのが当たり前だったところを完全にひっくり返したところ。それは退行とかネガティブな意味ではなくて、クローズドにすることによってしか表現できない、クローズドにすることで初めて伝わる表現というものがあるんだと。それは、越後妻有とか瀬戸内とか、東京ビエンナーレといういわゆる“芸術祭”がやろうとしてる方向と全く逆の方向かもしれません。でも、一つの可能性として、何かコミュニティの規模や構成人口を予め限定するとか、何人以上には見せないとか、というのはこれからの表現の在り方としてあるんじゃないかなって気はしましたね。


畠山 「Don't Follow the Wind.」(http://dontfollowthewind.info/)もそれに近いんじゃないでしょうか。結局、アートがどこに生まれるか。見る人の心の中に生まれるってことだとすれば、それはリアリティのある物語ひとつで十分だという考え方ができる。僕は「Don't Follow the Wind」には行ったことがありませんが、彼らだって見に行って欲しくてやってるわけじゃないですよね。でも、それが行われたっていうことははっきりしてる、非常にリアリティがある。

こういうことに気がつかされると、ひょっとしたらこれは古典的な芸術の話なんじゃないかなって思うわけです。世の中が、例えば平等とか人権とか、それからジェンダーバランスとか言って、だからオープンにオープンにって、みんな言う訳ですよね。でも芸術作品っていうのは、もともと個々人の心の中みたいな、クローズドなサーキットの中で誕生してるものだとも思うんです。卯城さんは、彼のいつものスタイルで、その古典的な話を忘却している状況を、カリカチュアライズされたっていうことなんじゃないかと思います。極端なかたちでそういうことをしてもらえると、気持ちがスカッとしますね。

福住 そうですね。

畠山 自分の作品への反応なんて、期待しているほどは聞こえてこないものですよね。たまに誰かに、あの本のあれが好きだったとか言われますが、その瞬間にしかわからないわけです。見てくれる人がいるだろうとは思いますが、こちらからはその人の顔も数も分からない。芸術作品の伝わり方というのは、オープンに見えているけど、コミュニケーション的なものではなくて、もう少し摩訶不思議な伝わり方をしているんだと思います。

それは決して閉鎖的だということではありません。芸術作品とは本来的にオープンなものだから。でも、例えば発表や鑑賞の場を誰にでも開放するっていう意味での、最近言われているような民主主義的な意味でのオープンネスじゃないんですよ。ここがやっぱり僕は、芸術作品の独特なところだと思うんですよね。

──芸術祭自体がダイバーシティを重んじるかどうかということと、作品個々がその人の心にどれだけ刺さるのか、どういうところが伝わるかは全然違う話っていうことですよね?

畠山 そうです。でもこれを言っちゃうと何か、議論のタガが外れちゃいますから、全然話がしづらくなっちゃって。

──でも、東京ビエンナーレっていうのが芸術祭としてどう存在するかということを考えるひとつのきっかけにはなるのかなと思います。キーワードとして「開かれた」とは言っていますが、コロナで海外からは人が来られない状況になっていて、じゃあ「開かれた」というのはどこに向かって開くということなのかという議論にもなりますよね。今回TALKのコーナーでいろいろな方からお話を伺っていますが、皆さん芸術祭としての姿勢やプラットフォームの在り方について、それぞれのお考えをもっていらっしゃって、すごく興味深いなと思って聞いています。ここでどうしたらいいか話をするというよりは、ディレクターも交えてきちんと今後議論していかなきゃいけないことだと思います。でも、こういう話がディレクター側からだけではなくて、アーティストの方から出てくるという状況がすごくいいなと思うので、今後もそういう機会を作っていきたいなと思います。

畠山 期待してます(笑)。キュレートリアル側にとっては、その辺もきっとテーマになってるんでしょうから。

宮永 「Don't Follow the Wind」には私も作品を出しました。そういう時の作家それぞれの考え方や見せ方というか、どういうところに軸を置いてるかで全然見せ方が違いますよね。例えば「Don't Follow the Wind」では、現地に自分で足を踏み入れて素材を持って帰ってきて作品を作る作家の方もいましたし、私は現地には行かないと決めて制作をしたんですが、そういうやり方もあります。でも、その時に作家がどこを見ているのかということが重要。だから東京ビエンナーレの場合も多分「開かれた」とは言ってますが、作家がどこに立って何を見ているかがしっかりしていれば、どのように振る舞ってもいいのかなと私は感じています。「Don't Follow the Wind」に誘われた時も何を自分が出すのかすごく試されているなと思ったのは記憶にありますね。

ちょっと話は変わるんですが、最近、京都でお茶会の席主を頼まれたんです。お茶会というのは、日常と離れて一回きりの体験をみんなで共有するというのが一番いいところ。でも、そのお茶会、全部オンラインでやって欲しいと言われたんです。普通の考え方でいくとただのカルチャースクールみたいになる可能性がありますよね。その時にどう考えていけばいいか、どういう意志を持って取り組んだらいいのかという“視点”を考えるのが、そうした問題に取り組む楽しさでもあります。私は作品を作る側なので、私自身がその展覧会に誠実に向き合って、こんな考え方なんですよということを提示することが誰かの思想のひろがりにつながったらいいなと思っています。最初の手紙もそうですが、私はそっちのやり方が好きなので。茶箱の設えを開いたら物語や本の中に旅できるような装置にしようと考えたり。オンラインを有効に使った方法を考えました。

東京ビエンナーレでも、展示をする場所に人が集まれるようなことをやれたらという話もあったんですが、わざわざいまの時期にそれをしなくても、違った意味での集まり方や体験の仕方というのがあるかなと思っていて。どういうメディウムを育てていくか。同じ素材であっても、違う開き方ができるんじゃないかという気がしています。

──ありがとうございます。面白くなりそうですね。イベントというと、やはり今は人が集まれないということがネガティブなイメージになってしまいますが、集まり方を変えるという、ある時間を共有するという意味ではオンラインでも十分に集まれる、そういう手法はあるということですよね。

宮永 オンラインをどう使うかということでもありますが、逆にオンラインだからこそ感じられるものだったり、オンラインでありながらものすごく時間のつながりを体験できるようなこともあるのかなと、考えているうちに自分のなかで盛り上がっていますオンラインで映像を介する体験とリアルで手元に距離を測れるものがあるということを組み合わせる体験とか。それは先ほど畠山さんがおっしゃっていたことに繋がるかもなと。

畠山 素晴らしい。そういう考えは僕のような写真家の頭の中からは、なかなか出て来ない。

宮永 本当に新しい何かを作ろうと思ったら、いつも崖から飛びこんでいくような気持ちでとにかく一人でいくしかない。。もし美術館のキュレーターの方が一緒に行こうって言ってくれたらそれはとても幸せ。で、さっきのお茶会のようなお題がきたときに、自分なりの解答方法というかメディウムをどうとらえているかを再度思考し直す。すると、これはこういうサイズ感でいいんだとか、それが大きなものに繋がるということが見えてきて、全然不安ではなくなってきました。これは楽しいからもうちょっと引っ張ったり膨らませてみようと思ってやっているうちに、どんどん自分がやってみたいなと思うことが大きくなって。私自身は、結構淡々としちゃってるんですが、そんな感じです。

畠山 作家だね〜。

“見える”ものと“見えない”もの
にどう対峙していくか

──ありがとうざいます。宮永さんの作品って、それ自体ももちろん素晴らしいんですが、今お話いただいたような鑑賞者とのコミュニケーションやメディウムのお話などはうかがったことがなかったので興味深かったです。ちょっと話題を変えますね。最後に皆さんにお伺いしたいんですが、例えば畠山さんの著書のタイトルが『話す写真:見えないものに向かって』というタイトルだったり、宮永さんの作品もナフタリンが揮発していくものだったり、目に見えづらいものを扱っているような気がしていて。最後に皆さんに、目に見えないものについてどうお考えになっているかを聞かせていただいてもいいでしょうか?

畠山 本のサブタイトルについてなんですけど、あれは僕が「ちょっとやめようよ」って言ったにもかかわらず、編集者が「ぜひ入れたい」とつけたサブタイトルだったんです。確かに僕が以前、どこかで頼まれて書いた言葉ではある。でも結局僕は、見えるものと見えないものを峻別することは無理だ、と思っていて。だから「見えないものに向かう」っていう言葉が僕の中で成立しないんです。だって、見えてると信じられているものが誰かには見えてないし、実際には見えてないものを見えてるようにして暮らしているのが、普段の僕らの生活なわけですから(笑)。僕には見えているけど、隣にいる人には見えていないといったようなことって当たり前にあるし、見えないものを見た気になるという条件のなかで僕らは暮らしているわけで。僕はそれを前提にして写真を撮ってますから「見えないものに向かって」っていう言葉自体がちょっとね、何かカッコ悪いなって思ったの。

──なるほど。いまさら感があったというか(笑)。でもちょっとその編集者さんの気持ちはわかるなと思っていて。読者が改めて畠山さんの本を見た時に、「写真を撮ってる人なのに『見えないものに向かって』って、どういうこと?」って思って開く、その「?」を導くための言葉だったのかなとも思います。

畠山 人なら誰でも直観的に理解してることが、あまり言葉にはされてなくて、だから敢えて言葉にしちゃったってことはまあ、編集者の考えだったんでしょうけど。で、見えないものについてどう思いますかっていう質問なんですが、どうなんでしょうね。あまり考えたことないなあ、見えないものって。例えば目の見えない人たちにとっての「見える」ことや「見えない」ことって、どうなんでしょうね。目の見えてない人でも「見える」っていうふうに感じることってあると思うんですが、そういうレベルで言葉を交わさなければ成立しないような話があって、それを芸術っていう分野は長い間扱ってきたと思うんです。何も特別な話じゃないような気もします。

でもいま「見えない」という言葉は、実際の困難として話題になっていますね。例えば、放射線の問題とかもそうだし、今回のウイルスだって目には見えないわけです。「目に見えないけど存在する」って誰かが言ってるわけでしょう。それはテレビかもしれないし、政治家や医者かもしれない。ああいった他人の発言で僕らは恐怖しているわけです。見えてないけど、ぼんやりしてたら死ぬよって言われているわけです。手を洗う時だって汚れが見えないんだから、まるで儀式みたいな気がしてきて、これは人間にとっては屈辱だとも思うんですよ。そういう屈辱的な時代を僕たちは送っているっていうことだと思うんです。その鬱憤がいま世の中に溜まっているところだと思っていて。だから、アーティストにはスパーッとその鬱憤を切り開いてくれるようなことを期待したいですね。

──畠山さんが撮影されてる写真って、例えば震災の風景だったり立ち枯れた木だったり、そこにある見えるものが映っているんですが、でも実際に写真を見る人にはそれぞれ全然違うものを見ていますよね。それは見えないものという話にも通ずる気がしていて。

畠山 そうですね。写真の面白さは、そう言った「見えないこと」を話題にしつつ、目の前に確実に「見えてるもの」が提示されているってところにあるわけなんです。僕らの生活というのはすべてがもやもやしていて、頭だけがぐるぐる回ってるような状態だと思うんですが、写真の前に出ると、まさに「見えてる」っていう感じ、つまり僕らの視覚の体験が、反芻されるように再生されてくるわけです。この絶大な安心感が写真の魅力だと僕は思っているんです。みんな直観的に、それが理由で写真を愛してるんだと思うんですよ。

福住 僕は普段から文章を書く仕事をしているんですが、文章の人というのは、アーティストの方や写真の方とは物の見方が少し違うんだと思います。文章の人っていうのは、わりと目に見えるもの勝負というか。目に見えないものを文章から感じさせるということは、文学や小説のなかではされているテクニックなのかもしれませんが、こと批評に関して──、批評といってもいろいろなやり方があるとは思いますが、僕の場合はわりと意味がクリアに読者に伝わるような書き方をしているつもりなので、なんというか、書いたものから直接的に目に見えないものを連想させるようなことはあまり狙ってなくて、むしろその目に見えるものをこうクリアに伝えたいと思いながら書いています。

宮永 先ほど話をしたことに繋がってくるので、改めてということはないんですが、畠山さんが仰ってた写真のお話は、改めてうんうんと頷きながら聞いていました。写真というメディアもそうだと思うんですが、作家が選ぶさまざまな素材を起点にして別の世界──それは時間かもしれないし場所かもしれない、にどこでもいける。どんな作品もそうだと思うんですが、目に見えている目の前の作品という「何か」はきっかけでしかない。その作品から開かれている景色と、見る人それぞれの景色が繋がって、いろいろな世界に飛んでいける。それが人間がもともと持っている想像する力だと思うんです。私はやっぱりそのきっかけづくりをするのが好きなんだと思います。自分の仕事というのは、それがいろんな人の思考の始まりになったり、何か別のものと繋がったりするきっかけ作りでしかないんだと思っています。

──見えるものから見えないものを想像する。これは東京ビエンナーレの作品でも先ほど宮永さんがお話されていましたが、作品がきっかけになって東京のまちの歴史が見えたり、違う場所や時間にジャンプできるようなものがあちこちに現れるのかなと思います。皆さん、ありがとうございました。

東京ビエンナーレ2020/2021
見なれぬ景色へ ―純粋×切実×逸脱―
チケット発売中!
https://tb2020.jp/ticket/

会期:2021年7月10日(土)~9月5日(日)
※会期は変更になる場合があります。


畠山直哉のプロジェクトページ
https://tb2020.jp/project/rikuzen-takata-2011-2020/
宮永愛子のプロジェクトページ
https://tb2020.jp/project/praying-for-tokyo-aiko-miyanaga/
福住 廉のプロジェクト「アートライティングスクール」note
https://note.com/artwritingschool

cover photo
《waiting for awakening -chair-》2017、ナフタリン、樹脂、ミクストメディア 写真:木奥恵三 (c)MIYANAGA Aiko / Courtesy Mizuma Art Gallery

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