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コレクター福富太郎の眼 昭和のキャバレー王が愛した絵画(6月27日まで)@東京ステーションギャラリーにいってきました。

今年の東京ステーションギャラリーのラインナップが発表された時点で、かなりワクワクしていた展覧会。なぜかと言うと北野恒富展(2017)、東西美人画の名作《序の舞》への系譜(2018)など過去の展覧会で、「福富太郎コレクション資料室」という出展元のクレジットが気になっていて、いつかまとめてみれる日が来ないかなと思っていたところへのこの展覧会。よかった作品8点ほどの感想と解説をつらつらと綴りました。よろしければ最後までお付き合いを。

鏑木清方《銀世界》1924年 紙本彩色

西の松園、東の清方と言われるほどの近代美人画の第一人者。松園が凛とした女性の芯の強さを感じさせる美に対し、清方の方は女性らしさの美を感じさせます。この《銀世界》も横向き加減、首の傾げ具合などの仕草が絶妙。この可憐さが、清方が美人画で東の清方と言われる所以かと。

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もうひとつ、特筆すべき点が紙本と絹本の違い。同じ肉筆でありながら、描かれる側の素材によって、描線が違ってきます。この《銀世界》は紙本彩色、下の《今戸橋》は絹本に描かれたものですが、滑らかな線で、全体的な完成度は《今戸橋》の方が高いような気がします。が、どちらの線に表情が乗ってるかと言われると、紙本彩色しているこちらの方が高いです。例えるなら、ヨーロッパでいう滑らかな新古典と筆致の荒い印象派の違いかと。

鏑木清方《今戸橋》1935年頃 絹本彩色

ということで、絹本の方からよかったのを一枚《今戸橋》。清方が影響を受けていたと言われる勝川春章や、鳥文斎栄之を彷彿させるしなりが効いたすらっとした女性が立ち話をしている構図。先ほど言及した通り、描線が丁寧に描かれていてます。美人画における着物と傘、そして橋という黄金の組み合わせ、画面がしまってきます。

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鳥居言人(ことんど)《お夏狂乱》昭和初期

初耳の画家ですが、この方はあの鳥居家七代目を父に持つサラブレッド(後の八代目)。家業である芝居の看板絵を手伝いつつ、清方に入門し、美人画を手掛けるようになります。そう言われれば、少し清方と画風が似ているような気も。

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ちなみに、この絵の題材である《お夏狂乱》は、「お夏清十郎」という実話をもとにした文芸作品の一場面。物語は、旅籠の娘・お夏が、恋仲になった手代・清十郎と駆け落ちするが、清十郎は捕らえられ、濡れ衣まで着せられ打ち首となってしまい、お夏は狂乱して行方をくらませしまうというもの。場面はまさに、狂乱する場面ではありますが、狂うというよりもの悲しげな表情がそそります。はっきり言って、言人さんは家柄はよいもののバリバリ売れてたわけではないのですが、名前に左右されずに、絵のみを評価して蒐集したことがわかる「コレクター福富太郎の眼」のいい例かと思われます。

松本華羊《殉教(伴天連お春)》1916年

藝大美術館で行われた美人画の展覧会以来の再開。手を繋がれた鎖が印象的。信仰を捨てられず、処刑されることになった朝妻。せめて屋敷にある桜が咲くのを見たいと言う願いで、処刑が伸ばされ、桜を見てるところ。処刑を直前にし、悟りを開いた表情が秀逸です。

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描いたのは、松本華羊と言う女性画家で、同じ女性画家の池田焦園に師事。今回の展覧会で気になったのが、月岡芳年の門下が多いこと。芳年三羽ガラスとも言われる水野年方、右田年英、稲野年恒。年方からは、清方、池田輝方、池田焦園、松本華羊、(伊東深水、山川秀峰)が、年英からは、鰭崎英朋が、年恒からは、北野恒富、島成園などがそれぞれ巣立ち。福富太郎好みの系譜なのだと言うこともわかります。

山本芳翠《眠れる女》1893年頃

日本画以外の美人画も出展されていて、気になった美人絵を2点。まずは山本芳翠。五姓田芳柳に入門し、レオン・ジェロームに師事し、渡仏中の黒田清輝に洋画を勧め、藤島武二を育成した、そんな関係性を知っただけで、画風も想像できそうです。

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本作は眠っている女性。筆者は芳翠の描く西洋人の女性が好きで、着物は着ているものの、すらっとした鼻からそれかなと、起きてる姿を想像しながらも、寝てる女性の絵も悪くないなと思いました。

小磯良平《夫人像》1967年

東京美術学校在学中に帝選で特選を受け、学校を首席で卒業、その後、渡仏後に、戦時中は派遣画家として従軍、終戦後は、東京芸術大学で教鞭をとると言う経歴。わかることは、その時代の多くの画家が通るであろう道を歩んできたこと。

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見るポイントとしては、なんと言ってもその卓越したデッサン力。見たことをキャンバスに記すという純粋かつ最低限の仕事がしっかりできていることが、筆者がこの小磯良平を好きな理由で、海外の画家で言うと、ジョン・シンガー・サージェントと同格に値します。そう言われてこの絵を見てみるとサージェントに見えてきませんか。

吉田博《朝霧》

吉田博と言うと反骨の版画家っていうイメージが強いかなとも思うのですが、筆者の吉田博の推しポイントは水彩。切り取られた矩形の中で作り出す構図と世界観。人を描くことでストーリー性も感じられますし、もちろんデッサン力もなくては成り立たないです。その全てがうまくいった傑作です。

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吉田博展が今春に行われていましたが、吉田作品がたくさんあるときっと気づかないのですが、今回のように多彩な作品中にポツンとある吉田作品は、間違いなく展示室で異彩を放っていました。

向井潤吉《影(蘇州上空にて)》1941年

今展覧会のもうひとつの見どころは、東京都現代美術館に寄贈した戦争関連の絵も併せて里帰り的に見られるところ。その中でもインパクトが残った作品が、この向井潤吉の《影(蘇州上空にて)》。実際の空爆機を描かずに影だけで、その恐怖感、存在感を表現する一瞬で当時にタイムスリップさせる作品。プロパガンダの一環の戦争記録画でありながら、反戦の意味もしっかり持たせているのが、当時の画家のわずかな抵抗であったのかなと思ったりします。筆者は、この絵を見て、さだまさしの「フレディもしくは三教街」を思い出しました。いい歌なんで、よかったらググってみてください。

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まとめ

もっと日本画の美人画をたくさん見たかったよというのが7割、ノーケアの戦争画を見せられたけど、意外によかったよってのが3割ですかね。戦争画までラインアップに入れたのは、監修された山下裕二さんが親交のあった福富太郎のコレクションポリシーを尊重したものかと思いますし、そもそも福富太郎コレクションの美人画がまとめて見られた、いや、この展覧会が無事開催できただけでも、すごいことだと思いますし、10年後に行われるであろう、福富太郎生誕100年 福富太郎コレクションのすべて展をもう少し大きい箱で盛大にやって欲しいと思います。


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