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『モナ・リザ』の名声を飛躍的に高めた世紀の絵画盗難事件とは?

1911年8月22日、画家のルイ・ベルーは、ルーヴル美術館に行ったとき、『モナ・リザ』が飾られている場所が空っぽだと気づきました。はじめは、写真撮影のために絵が別の場所に移されていると思いましたが、盗難されていたことが1日遅れで判明します。盗難事件の調査のため、すぐにルーヴル美術館は一時的に閉鎖され、事件現場で見つかった親指の指紋を元に、捜査官は美術館の全従業員から指紋を取ります。しかし、この手がかりだけでは犯人は見つかりませんでした。

ルーヴル美術館のサロン・カレの空いた壁

フランスの詩人ギヨーム・アポリネールと、彼の友人だった画家のパブロ・ピカソが、『モナ・リザ』盗難事件に関与していると疑われて誤認逮捕されてしまいます。アポリネールは、別の美術品盗難に関係がある人物とのつながっていたため疑われ、ピカソも盗難に関与していると疑われますが、後の調査を通じて二人が事件と無関係であることが確認され、釈放されました。

この『モナ・リザ』盗難事件が起こる前までは、『モナ・リザ』は広く一般に知られてはいませんでした。しかし、盗難事件の捜査が進むにつれて、『モナ・リザ』の名声は飛躍的に高まっていきます。

盗難事件の真犯人は、以前ルーヴル美術館で働いていたイタリア人、ビンセンツォ・ペルージャでした。月曜日に閉館することを知っていた彼は、清掃用具のクローゼットに隠れて夜を過ごし、翌日、職員のスモックを身にまとい、目立たないように美術館内を移動します。『モナ・リザ』のエリアが無人であることを確認したペルージャは、絵を壁から取り外し、保護していたケースと額縁を外し、スモックの中に隠したまま警備をすり抜け、『モナ・リザ』の外へ運び出しを成功させました。

余談ですが、美術品の窃盗をテーマにした『おしゃれ泥棒』というオードリー・ヘプバーン主演の1966年の映画でも、クローゼットに隠れるという手法が使われていて、『モナ・リザ』盗難事件が間接的に映画のシナリオに影響を与えた可能性も考えられます。

ペルージャは盗んだ後、2年間『モナ・リザ』を自宅に隠していましたが、フィレンツェのウフィツィ美術館の館長、ジョヴァンニ・ポッジに絵を売ろうとして逮捕されます。ペルージャが『モナ・リザ』を盗んだ背景には、彼のプロフェッショナルな技術と深い愛国心がありました。ガラス職人としてルーヴル美術館で働いていた経験から、作品のガラス張りや額縁からの絵の取り外しには慣れており、これが盗難を容易にした要因の一つでした。ペルージャの動機は、「ナポレオンによる誘拐からの復讐」としてのイタリア愛国心に根差しているとされます。彼は『モナ・リザ』のイタリアへの「奪還」を通じて、レオナルド・ダ・ヴィンチの作品がイタリアの文化遺産に属するという事実を世界に示そうとしました。この行動はイタリア本国で英雄視され、裁判では彼の愛国的な動機が考慮され、刑期はわずか6ヶ月にとどまりました。

モナリザが見つかった時の新聞

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