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【Last Season Essay 2022 #2】 DB#28 森雅樹

昔から負けず嫌いとは程遠い人間だったと思います。
むしろ、勝負事に負けた時に、どのような気持ちでいたらそこまで精神的にダメージを受けずに済むかということばかりを考えていた少年でした。

中高の部活では、評価されないのが嫌で、評価されなくても仕方ないと考えるために露骨に顧問に反抗したり、顧問の前でサボったりしていました。チームが勝っても嬉しい気持ちは一切なく、引退までの期間が伸びたことを恨んでいました。大学受験でも、勉強自体はそれほど苦ではなかったものの、いつか受験日が来て積み上げてきたものに対してイエスかノーを突きつけられることに対して恐怖を感じていました。受験が近づくにつれて、落ちたら浪人を楽しもうと考えるようにし、受験の当日もイッテQと3年A組をフルで見て不合格の言い訳を作っていました。

運よく合格して大学に入り、ひょんなことからアメフト部の新歓に参加し、いいなと感じましたが、そこでも大学4年間を競争社会に身を置くことがネックで入部を迷っていました。(結局そんな気持ちのなか行った新歓イベントで、仮入部届と書かれたよくわからない紙に名前を書かされたことで今この文章を書く羽目になっています。)

1・2年のときは自分がチームの勝敗に関わっているという実感が全くなかったので、試合のときにはただ純粋にサイドラインから先輩を応援していました。3年になって少しずつ試合に出始め、秋の初戦の明治戦では先輩のけがもありスターターで起用されることになりました。実力に見合わない抜擢だったので、自分のせいでチームが負けることはあってはならないと思い試合に臨みました。結果、初戦には負けましたが大きなミスがなかったことに安心している自分がいました。その後の試合ではミスをして責められるくらいなら試合に出たくないとさえ思っていました。実際いくつかチームを負けさせるようなミスをしました。こんな中途半端な覚悟でチームを代表してフィールドに立っていたのは、本当にみんなに申し訳ない気持ちでいっぱいです。

4年ではこんな思いは二度と味わいたくないと思いました。自分の出来不出来に一喜一憂せず、チームの勝利だけを念頭に置いて考える人間になりたい、そう考えてやってきました。しかし、自己保身の考え方を止める具体的な対策は分からないまま時間は過ぎていきました。

そうして迎えた9月3日、ラストシーズンの初戦。正直、不安は残っていました。それは、一つは今の実力で中大に通用するのだろうかという不安、そしてもう一つは、また無意識に予防線を張っていて試合に負けてしまったときに心から悔しがれないのではないだろうかという不安です。そんな中、キックオフの時間は来ました。
試合の後半で自分はまた大きなミスをしてしまいます。



4Q終了の笛が鳴りました。そのときちょうど自分はフィールドの上にいました。立っていられませんでした。自然と目から涙が出てきました。ただただ嬉しかった。自分のミスなんてどうでもよかった。後でミーティングでなんと言われようとどうだってよかった。ただ嬉しかった。田上とハイタッチだってなんだってできました。

全部この部活のせいだと思います。この部活のせいで華々しい大学生活が失われました。この部活のせいで顔まわりがぶくぶく太ってかわいい顔が台無しになりました。この部活のせいで両親に心配もかけたと思います。この部活のせいで、この部活のせいで、誰かのために戦うことの力強さを知りました。本気で勝負に挑むことのカッコよさを知りました。

本当にありがとうございました。(4年 DB #28 森雅樹)

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