東京百景

29歳。京都出身、東京在住。日々のきろく。

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最近の記事

暫定大人論

もうすぐ30歳だし「かっこいい大人」ってなんだろう?と、数年前に考えた「暫定大人論」を再考すべく、自分の中にある「ステキ大人要素」の棚卸しをした。 そしてその中に「いつ何時でも非の打ち所がないペペロンチーノが作れる」というのが浮かんだので、最近僕は週4でペペロンチーノを作る練習をしている。 しかしこれがめちゃくちゃ難しい… はじめは熱々のフライパンにニンニクと唐辛子を放り込んでしまって焦げまくり&催涙ガスレベルの煙が発生して調理を中断。 咳が止まらなくて死ぬかと思った

    • 取るに足らない不幸

      今日は何の取り柄もない1日だった。 朝には不本意な相手から不本意な手紙が届いた。僕はまずそれを素早く一度読んだ。そしてそれから一文字ずつ注意深く目を通し、合計で12回読んだ後、力の限り握りつぶし、勢いよくゴミ箱に放り込んだ。 次は昼過ぎに洗濯物を干している時に不注意で植木鉢をひっくり返し、床を土まみれにした。せめてもの償いとして片付けるついでに床を磨いた。 それから気分でも変えようと飲みに出かけたら目当ての店が2軒連続で臨時休業だった。 そして挙げ句の果てにはネットで

      • 昔の雑誌を読むのが好き。

        雑誌って分かりやすくその時代を表しているから、バックナンバーを読むと今との違いが感じられて面白い。 当時としては最先端のトレンドや価値観も、いま見ると色褪せて見えるし、それどころかずいぶん未熟だなとすら思える。 まぁ、これ(この記事のヘッダーに設定した雑誌)は1983年に出版されたもので、今から40年も昔だからそんなの当たり前なんだけど。自分が生まれる10年も前だし。 でもそんなことを思うと今度は翻って、40年後にはきっと僕たちがいま必死になって追いかけている物や、しが

        • 東京3周年記、そして誕生日。

          東京に来てもう丸3年が経った。 信じられないスピードで日々は過ぎていく。 毎年、毎年、あのありきたりな「今年ももう終わりか」という言葉がやってくるスパンが短くなっているような気がする。 何はなくとも日々は平和に過ぎていく。 特に大きな不足もなく、だからこそ目がくらむような欲望に心を支配されることもない。 満たされているようで、どこか退屈な日々。 贅沢な悩み。ないものねだり。 ・・・ 最近のこと。 毎年恒例の丸の内で東京マラソンを観戦した。 久しぶりに密度1

          『陰翳礼讃』 - 谷崎潤一郎

          『陰翳礼讃』とは、もう少し簡単な言葉にすると「闇を称えること」である。英語にすると"In praise of shadows"だからもっと直接的にわかりやすい。 この本の中で谷崎は急速に西洋化を遂げた近代日本の生活から失われてしまった闇の価値について書いている。 本当に素晴らしい本だったし、名著と称され西洋でも広く読まれているというのは納得だった。特に僕の中で印象に残っているのはこの部分。 美についてここまで的確に、なおかつ美しく描写した文章を今まで見たことがない。

          『陰翳礼讃』 - 谷崎潤一郎

          10日後の自分を変える

          この前一緒に飲んでた子が酔っ払いながら言った 「10日後の自分を変えたい」 っていう言葉がなんかずっと残ってる。 これってすごくいい言葉というか「あぁ、たしかに」って感じ。 今この瞬間、今日の自分、明日の自分を変えるのってそんなに難しくない。 何か良い映画を見た後とか、ライブもそうだし、本だって。 それに触れた瞬間が最大熱量で、とにかく何かをしなくちゃ、自分を変えなきゃっていう気持ちになる。 でもその気持ちは時間が経つごとに確実に減っていく。 「10日後の自分

          10日後の自分を変える

          Waves - DYGL

          仕事終わりに携帯を見たらDYGLの新譜がリリースされていた。 帰りの電車に揺られながら聴いた。 なんだかこの曲はその瞬間の感情や景色とこれ以上ないくらいにマッチしていた。 春の始まりにありがちな冬の寒さが戻った一日。 山手線の車窓から眺める雨の東京。 途中停車した渋谷駅のホームで仲良さそうに体を寄せ合って歩くカップルを見つけた。その2人の跳ねるような歩き方があまりにも幸せそうで、こっちまで幸せな気持ちになった。 あんな素敵な光景は久しぶりに見た。 言葉では言い表

          Waves - DYGL

          東京2周年記

          2020年の3月1日に東京に出てきて2年が経った。 コロナが流行り始めたのとちょうど重なるタイミングでの上京だったけれど、あれ以上に最適な時期はなかったと今では思う。 あの瞬間を逃していれば、おそらく僕はいまだに故郷の京都で肥大した自尊心と自意識を抱えてぐずぐずと世間に悪態をつきながら部屋の隅で丸くなっていたことだろう。 だからある意味では東京行きに救われた。 「東京に行こう」と思ってからは早かった。思い立ったらすぐに行動するタイプだから後先は考えていなかった。 衝

          東京2周年記

          「最愛の人の他者性」

          これは、この前読んだ平野啓一郎さんの『本心』に出てくる一文だ。 読後から一月ほど経つが、どうしてもこの一文が頭から離れない。 僕は小説家の力量というのは、たった一語、一文だけでもいいから読者の心に刻み込めるかどうかだと思う。それも可能な限り長い期間に渡って残るように。 そうすれば読者が物語という装置をくぐり抜け、この現実の世界へ戻ってきた後も、彼ら彼女らの生活に何かしらの影響を与えうる。それは大概の場合、無意識的な形で。 そして、そのような物語に出会えることはかなり稀

          「最愛の人の他者性」

          1954年のパリ、街角に立つ

          目黒区に住んでいる僕はある日、通勤路の区民情報掲示板に貼ってあるこのチラシを見つけた。 一目で心を奪われた。 写真内の建物の際立った赤色も目を惹いたし、チラシの字体や配色も好みだった。そして何よりこの写真の構図がすごく好みだった。 奥にいるベージュのジャケットを着た男性が階段を降りていて、手前の男性がそちらを振り返る。 たったそれだけの写真なのに何故か強く惹き込まれた。撮影者はたまたまその瞬間その場に居合わせただけのはずなのに、それはまるで映画の撮影のように全てが念入

          1954年のパリ、街角に立つ

          人に見せられる文章

          今年は「人に見せられる文章を書く」というのを密かに目標として、いつの間にか丸2ヶ月が経とうとしている。 そろそろ書き出さなければと思う。 日々、頭の中にいろんな言葉が渦巻いていて、それはすれ違う誰かが残した何気ない言葉だったり、街で見かけた広告のキャッチコピーだったり、本当にいろいろ。 とにかく僕は頭で考えて、言葉にしないことには物事を理解できない質で、だからこそ得をしてきたこともあれば、損をしたこともある。 いや、おそらく損をしたことの方が多いだろう。それもけっこう

          人に見せられる文章