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【連れ去り離婚 #3】過去の記憶

2014年07月xx日(日)
[連れ去りから2日後]

妻の家出

妻が子どもを連れて家を出る。
普通なら狼狽するところ、気持ち的には割と落ち着いていて、昨日、手がかりを探したり記録を取ったりと冷静に行動している。

その理由は、妻が子どもを連れて家を出るのは今回が初めてではないためで、今日はその話をしようと思う。

連れ去りの日から遡ること5年、2009年2月、私が33歳の頃の話。
仕事中に妻の幼稚園のママ友から電話があり、「奥さんが困っているので保護します」と言われる。全く事情がわからないまま、その夜そのママ友(2人)と会い事情を聞くことになった。

待ち合わせのファミレスに行くと、ママ友の2人が明らかにこちらに嫌悪感を持った態度で、最初に言われたのが
「もう旦那さんと一緒に暮らしたくないので家を出たいが行く先が無いと言っている。私(ママ友の1人)の旦那が海外出張中なので、しばらくウチで"保護"します」
妻からなんらかの話を聞いたママ友2人が善意で妻に協力してくれたようで、一人のママ友が家に招き入れてくれたよう。

それから、毎朝そのママ友のマンションの下にクルマで迎えに行き、当時小学生だった長女と次女をピックアップし小学校に送ってから会社に行く。次女はそのママ友が自分の子どもと一緒に幼稚園に送ってもらった。そんな状態が1週間くらい続いた。

その間も、そのママ友とはメールでやり取りしたり、ファミレスで会話をして状況を聞いていると、ママ友の家での妻の様子は、子どもたちをガミガミ叱ったり、ママ友が翌日も仕事なのに深夜まで話し相手させられたりして、心身ともに結構疲れてきたと言われる。いつまでもお世話になるわけにもいかないため、私は会社にすべての事情を説明して時短勤務を相談する。会社も全面的に協力してくれて、ちょうどプロジェクトの合間であったこともあって、3月からは時短勤務をさせてもらえることになった。

その後、数日経った頃、仕事中にママ友から携帯に「時短勤務はいつからできますか?」とメールが入る。会議中だったため返信できずにいると携帯が鳴り、それも出られないでいると、会社の代表宛に電話がかかってきて、会議に割り込み内線が入ってきた。急遽その日の夜にファミレスで会話することになった。

話を聞くと、もうギブアップだと言う。ずっと家にいるのに家事を手伝ってくらず、ママ友はパートから帰宅したあとにママ友とそのお子さん2人、妻と私の子ども4人分の食器を洗ったり、洗濯物を畳んだりと負担が増えていてかなり辛く、自身の子どもたちに「〇〇ちゃんの家族はいつまで家にいるの?」と聞かれたのが決定打となって気持ちが続かなくなったと説明された。また、子どもたちにキツく叱ったり手を挙げる妻を目の当たりにして「このままだと私が児童相談所に通報しないといけない」といって涙を流した。
その日はもう一人のママ友も同席してくれたが「ウチらも最初とだいぶ見方が変わってきた。(妻は)友達だから味方したいけどキツくなってきたと思う」と言われた。

もうこれ以上迷惑をかけるわけにはいかないため、時短勤務開始まで数日ほどだったが、会社に事情を説明して早めてもらうことになった。同居のママ友のほうは妻を精神科の受診を説得してくれることになり、病院へも連れて行ってくれた。その病院で"うつ病や育児ノイローゼ"と診断され、入院するための紹介状も書いてもらえたため、入院準備するという名目で、妻と子ども4人が家に帰ってくる事になった。帰り際、妻と子どもをクルマに乗せたあと、ママ友にお礼を言うと、ママ友からは「お気の毒です」と言われると同時に、表情が少し穏やかになったのが印象に残っている。

当時バタバタしてちゃんとお礼ができなかったけど、本当にこのママ友2人には感謝しかない。

妻の育児ノイローゼ

確かにその頃の家庭内は酷いものでした。
仕事から帰宅して家に近づくにつれ、妻が子どもを怒鳴る声が聞こえてきて、ドアを開ければ誰かが泣いていたり、別の子どもがトイレに隠れていたりという感じの事はしょっちゅうだった。殴られた子どもの両頬が腫れていたり、唇が切れていることも何度もあり、妻が子どもに包丁を向けたので子どもを連れて警察に駆け込んだこともあった。

そんな状況もあって精神科の通院や入院は私も必要なことだと思っていたけど、妻は私の言うことは聞かないためずっと無視されいて、そのママ友が説得してくれたおかげで少し進展することができた。

この時、長男、長女は小学生で、次女は幼稚園に入園、末っ子は未就園児だったので乳児院にお世話になることが決まり、会社を時短ではなく休職させてもらえることになり、専業主夫生活が始まった。

妻の入院中、医師や心理士の立会いのもと何度も面談をしました。入院中の妻の主張はこうです。
・旦那からのストレスが子どもへ向かってしまう
・旦那がお金を自由に使わせてくれず自分の貯金が無くなった
つまり、自分がこうなったのは旦那の責任だと。

事実、その頃の私は妻に酷く言っていたと思う。でも、シンクから溢れる使用済みの食器、壁を這い上がっていく洗ってない洗濯物、テレビの画面が見えなくなるほど積まれた干し終わった洗濯物。それでいてベランダが歩けなくなるほどの植物とペット飼育、6畳間の半分を占有する趣味の書籍集め。22歳で結婚して10年間。妻は専業主婦だったので経済的に大変ながらもなんとかやってきた。妻の「共働きの両親に育てられたから自分は子どもと触れ合って育てたい」という理想を叶えるため、働いて欲しいと言ったこと一度もなく頑張ってきた。そんな中で「みじめな生活」「触られるのも嫌」などと言われることもあった。そんな状況で、そんな主張をされてもとても納得できるものではなかった。

入院から2ヶ月ほど経ったころ、医師と心理士の同席のもと妻とも面談をした。心理士からは「お互い向き合うことが大切」とアドバイスされたが、妻は「10年かけてなった鬱は10年かけないと治らない」「その責任は夫にある」の一点張りで、自分の主張だけで相手を理解しようとしない態度に医師も呆れていた。
妻は「前に進むためには今までのことを今ここで謝ってほしい」と要求し、私も前に進むために関係者数名がいるところで妻に謝罪し、夫婦向き合って行くことを約束し退院することになった。

でもこの時、私の心は死んだ。


【有料エリア】その当時の家の状況

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