第8話「お風呂の中の話🛁」
1月に浸かるお風呂、おでんの大根。
東京の大学に通う学生ならではのブルースに、正面から向き合って行くこの連載。第8話は、お風呂に入ると想い浮かべるちょっとしたイメージについて。
浴槽。彩度が薄く、明暗の落ちた浴槽、2日目。皮膚から伝わる優しい温もりと剥がれ落ちる心労。瞼を閉じ、深く、ゆっくり、暗闇へと沈む。桶に湯を張り、顔をつける。鳴り響く、耳鳴りと間奏。満員電車で当たった荷物の感触。思い出す、綺麗な黒髪のロングヘアーを靡かせたあの子。黒色のコート、色白の肌と両眼の下にある黶。不意に浴槽の扉越しに聞こえるフィルターの掛かった母の怒鳴り声。気付く、息苦しさと時間のない日々への焦燥感。湯冷めをしたかの様な茫然さに丁度いい薄暗い照明。そしてまた、ふと思い出す。返信し忘れていたラインの続きの内容と、あの人の、か細い声の中にあったほんの少し暖かみ、そして奇麗な笑顔。どうせ、どうせ忘れるのだろう。酸素で頬を腫らす。
楽しそうに笑顔を浮かべ見合わせる大学生を見た記憶。果たして、それは本心か、はたまた偽善か。遠目から見下す烏。それを見て羨む人。否定しかできない人の後ろから僕は何を思う。それをまた笑う人。羨む人。ノイズキャンセリング。流れる間奏の余韻と電波の声。静けさの後ろから押し寄せる他人の目。後ろから僕はなんて言われ、思われよう。その後ろから僕はなんて言おう。自分から発せられた言葉の矢は、巡り巡って自分へと突き刺さる。その度にきっと脚がすくむ。考えれば考えた人にだけ、その矢は頭蓋骨を砕き、脳の血液を伝って、記憶の神経へと刷り込まれ保存される。
終えたはずの卒業論文と返信したメッセージに不安が残る。私から見たあなたとあなたから見た私。ビルの隙間から永久に絡みつき伸び続けるドクダミ。エフェクトと憶測、無駄な経験値。消し忘れたライトとあの日、自分に浴びせられた非。渋谷スクランブル交差点。下を向き携帯を見ながらサラリーマン。居酒屋に行こう、と意気喚く大学生。スケートボードを持つシティーボーイ。学校帰りで群れる高校生。高級そうなブランドバックを持った、綺麗なアイラインを引くキャバ嬢。でもその一瞬だけは、僕にしか見えない世界に、色をつける。まだ1月なのに、ビル群の隙間から覗く夕焼けと彼らに反射した朱衣色が、心に現像され、温もりをくれたことを思い出す。だから生き急ぐ。その一瞬を探し、意味もないのに、生き急ぐ。いつ終わるのか、人生。日沈み、月が顔をだす。時が消えていく。君といる幸せな日々の中でも、こうして書き記している合間も。だから生き急ぐ。
あともう少しで陽が出る。まだ部屋の明かりより少し暗い。目を瞑り、再び眼を開ける。眩しい日差しの隙間と朝の静けさの合間から顔を覗かせるのは、過去の虚無感。あの日の君へ。それすらも引っ張ってきた薄濁った碧い僕。錘。枷。折り目の入った紙。けれど悲しみは濡れるだけでいつしか乾く。この先に待ち受ける時代の波が僕を沈める。けれど、僕の中の変わらない事。僕の中で変わらない事。これがそのひとつ。それは誰にでもあるはずだ。
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