見出し画像

東京と地方の「教育環境」をみて

以前の記事で私が上京するに至った経緯をまとめたが、今回はその続きを書こうと思う。改めて書くと、僕の仕事は塾講師だ。塾と聞いて、どんなイメージをもたれるだろうか。小中学生の頃に通っていた方なら「勉強しなきゃいけないところ」かもしれないし、友だちとワイワイできる楽しい場所かもしれない。

https://note.com/tokyo_beta/n/n4268b864e7d9

外国からみると日本の「塾」という場所は奇異な存在だとも聞いたことがある。学校という勉強する場所があるのに、なぜわざわざまた別の学校に行くのかと。

いずれにせよ、「勉強する場所」であることは間違いないが塾の存在意義を考えると「居場所」ではないかと思っている。もちろん。通塾を決めるのは大方、親である。受験を控えているとか、家では勉強しないからなんとかしたいとか・・・
自分の意志とは関係なく通わされたにせよ、子どもにとって塾は家庭と学校とは別の「居場所」になる。そこでは親の意向通り、マジメに勉強するかもしれないし、相変わらず勉強には実が入らず友だちとおしゃべりすることが目的になる場合もあろうが、少なくても自分が身を置く場所になっていることは間違いない。

前述の記事で地方と東京の教育格差について触れた。どちらかというとこちらの記事では、東京に比べ地方の教育環境が劣っていて子どもたちが不利だといった趣旨で書いていた。

しかし、上京して一年になろうとする現在、これとはまた違う角度から考えている。東京では激しい中学受験から始まり受験に対する環境がそもそもある。地方、少なくとも私の出身地ではそのような土壌があるわけではないので、どちらが優れているとか劣っているかの話ではない。肝心なのは、それぞれの地域で過ごす子どもがどうであるかだ。

将来、高校や大学に進学するにせよ、進学しないにせよ人生の通過点で塾に通うということがあれば、講師にとって、ほんのわずかでも子どもに影響を与えていると思う。塾か子どもにとって居場所であるなら、どんな言葉を子どもにかけて、どんな話で子どもの豊かな想像を膨らませることができるかと。勉強ってこんな奥が深くて楽しいことなんだ。実生活でこんな繋がりがあるなどと話すことができる。勉強することに専念する場所だからこそ、伝えられることもあると思う。

コロナウイルスが猛威をふるって以降、至るとこころでオンライン化が進み仕事も学校も私生活も、直接人と会わずに事を進めることができるようになった。たしかに便利にはなったが、やはりどこかで直の触れ合い、繋がりも大切なのではないかと感じる人も多いはずである。大人はもちろん、心身ともに成長していく子どもならなおさらだ。塾という子どもの「居場所」で、彼ら彼女らにプラスの影響を与えられる存在でありたいと思う。

やはり東京に住んでみなければわからないことがあった。仕事以外でも今後、自分の中から”気づき”や新たな視点が生まれてくると思う。
せっかく上京したのだ。失敗を恐れず未知のことにもチャレンジしていきたい。

Written by たくみ

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!