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日記15(no rain no rainbow)

 全然日記って書けないですね。書けないことは幸せか不幸か。まぁ今日は書きます。家族でUSJへ行きました。とても幸福で美しい日だったといえばそれまでなんですが、この美しさや幸福がとても儚いものに思えたのです。

 仕事と家庭のバランス。たとえば社用電話に休みの日に連絡が入る。いわゆるビジネスチャットから、各種グループ、個人にもたくさん入る。まぁー気になるんですわ。私。見ちゃう、休みでも。見ちゃうというか、意思をもって見る。なんだったら返信もする。気になるんですよね。ああ、これぱぱっと返せるなと思うと返しちゃう。するとすっきりするんす。ひとつ肩の荷降りた気分になる。私の立場は中間管理職なので、ここに私の決定があれば部下も動きやすいだろうなとか思っちゃう。上司の要求にも早く答えた方が嬉しいだろうなとか思っちゃう。するともう会社も私も休みの日にチャットでやりとりするのが当たり前になってしまう。何が休みだって話です。そういうムードが当たり前の自分になる。他の人にもそれをもとめ、家族にもそういう光景を見せるのが当たり前。そして会社もそういう会社になる。

 サービス業だからとか、お客様がとか、給料のためだよとか、みんなやってんだよとか、中間管理職よ、とか色々そうする理由は言えるし、言って来た。でもなんかこの感じこのムード、子供たちの時代に引き継ぎたくない。とことんない。休みの日って仕事を忘れて楽しんでいいんだよ。単純に業務をしないとかっていう話ではなく、これは革命の話だと思っている。

 今のシステムの主流は自己犠牲だ。特に日本を支えている多くのサラリーマンは自己犠牲が血肉化されている。巨大なシステムが自己犠牲を求める。出世、顧客の満足、上司の評価、もっと大きな話でいうと結婚、出産、親の介護、幸せの対価のように、お金を媒介させて自己犠牲を求める。結果日本の賃金は先進国で最低ランクになった。いやいや笑えん笑えん。そしてコロナ、この精神は加速してるでしょう。いやいや笑えん笑えん。からこそ笑うけどね、私は。笑って革命を静かに実行できるように虎視眈々とチカラをつけたい。まずは休みの日のビジネスチャットをみないように仕事をするにはどうすればいいか、心のありようや実務レベルのやり方を考える。頭を使い、心を燃やせ。

 今日の日がだれかの犠牲の上に成り立っていて、その犠牲の等価交換のように今度は自分が自己犠牲をする。そんなシステムの上で成り立つ子供の笑顔であってはいかんのです。今日めっちゃくちゃ楽しかったから、余計にそう思わずにはいれない。

ただ美しいだけで、虹は雨の対価じゃない。



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