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HSPの投影
子供の頃から、いじめられたりバカにされている子の気持ちを考えると、いじめたりバカにしたりはできなかった。
そんな場面を見ると可愛そうで、
辛い思いをした分、その子が喜んだり安心できるようにと思って、声をかけていた。
その子の気持ちや、その子の親の気持ちを想像すると、いたたまれなくなった。
だから声をかけた。喜んでくれることで安心した。
でも、
正義感が強かったわけではない。
その子が好きだったわけでもない。
自分が辛い経験をしたから気持ちがわかったわけでもない。
ただ、その場面を見て、色々想像して自分のことのように辛くなった。
もしかすると、その子に優しい声をかけることを通じて、辛さを感じている自分を癒してたのかもしれない。
なんで、皆は人が嫌がる事をできるのだろう?
なんで、自分の子供がいじめを受けている事を知った親や、
自分の親がいじめられている事実を知った子供の辛さを考えないのだろう?
なんで、相手が喜ぶ事を言わず、嫌がる事を言うのだろう?
と思っていた。
でも一方で、いじめられたり意地悪をされた子が、その後親しくしてくると煩わしく感じた。
私はただ、「その場に居合わせた自分」が辛いのであって、「あなた」を助けたかったのではなかったのだろうか?
だとしたら、自分のような中途半端な優しさは、人を傷つけるだけなのでは?
と良く考えた。
そして、人は嫌なことを言い合う仲でも、私なんかとよりもっと、仲良くなっている人達は沢山いる。
私はなんで人とこんな関わり方をするのだろう?
なんでこんな関わり方しかできないのだろう?
そして私は何を恐れているのだろう?
大人になってもあまり変わらない、変われない自分がいる。
でも、HSPの事を知って、仕方ないなと少し楽になった。
そして、多分自分と同じような人がいるのだろうと思うと、
少しだけワクワクした。
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