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崩壊した軍命令説 ―内なる日本を取り戻すこと、沖縄の人々を取り戻すこと―

【1】 三大歴史捏造事件
本日の朝刊の一面には「河野談話」を検証する報告書に関する見出しが踊っていました。読売、毎日は「文言調整」があったことを取りあげ、産経は「『強制連行』河野氏の独断」と踏み込んでいました。慰安婦に聞き取り調査する前に談話の原案が出来上がっており、聞き取り調査は、儀式にすぎなかったというのです。火付け役だった朝日が、「河野談話」はもともと政治文書なのだから調査が杜撰でも正当性は揺らがないと強がってみせていたのが笑えました。

ところで、米国のグレンデール市に性奴隷にされた朝鮮人女性20万人を象徴する少女像が設置されたことで再び火がついた従軍慰安婦問題。事実から遠くかけ離れた歴史の捏造が日本人の心を傷つけ、貶めています。思うに、この問題は、そもそも在日朝鮮人が強制連行されてきた被害者の子孫だという根拠のない神話の延長上に拵えられたものです。在日の強制連行が事実なら、慰安婦が強制連行されても何の不思議もありません。嘘は元から絶たなければだめなのです。

ところで、日本には従軍慰安婦の外にも、組織的な人権侵害に関わる捏造された歴史認識問題を抱えています。
その1つは、南京大虐殺です。2人の将校が南京城周辺で人斬りを競ったという荒唐無稽な「百人斬り」の嘘のエピソードが付随していました。南京の虐殺記念館は入口に犠牲者数30万人を掲げ、「百人斬り」の嘘を展示しているそうですが、この記念館は日本社会党の田辺誠元委員長が中国に進言して作らせたといういわくつきのものでした。
そしてもう1つが、今日これからお話する沖縄は慶良間諸島での住民集団自決に関する軍命捏造事件です。

【2】 戦後民主主義の図式
これら3つの歴史問題に共通するのは、いずれも戦後民主主義がその正当性を主張するステレオタイプな《図式》をなぞっていることです。「残虐非道な日本軍」がそれです。戦前の日本と軍隊を徹底的に貶め、日本人から戦前を切断し、日本人としてのアイデンティティを剥奪するための反日イデオロギーです。それゆえ、その図式や3大歴史問題に疑問を呈する者に対し、極右のレッテルと激しい人格非難が浴びせられました。朝日新聞、日教組、弁護士会などがその代表格です。
ところが、このところ、この状況が大きく変わっています。ネット言論です。これまでマスメディアが排除してきた言論がネットで展開され、ネットでは、むしろ、反日イデオロギーによる歴史の捏造に対する批判のほうが優勢です。

【3】 沖縄集団自決冤罪訴訟
いよいよ3大歴史捏造の最後、沖縄集団自決の軍命令説のことをお話します。
沖縄の慶良間諸島では、米軍が上陸作戦を敢行した昭和20年3月末頃、座間味島で234名、渡嘉敷島では329名の住民が手にした手榴弾や棍棒、カミソリなどで集団自決するという凄惨な事件が起きました。占領中に発行された『鉄の暴風』は沖縄戦を描いたノンフィクションですが慶良間で起こった集団自決はそれぞれの島で部隊をひきいていた赤松嘉次大尉と梅澤裕少佐の両隊長から発せられた自決命令によるとされていました。事実が検証されないまま、命令によって自決を強制されたという軍命令説は流布され、やがて定説とされていったのです。この軍命説は、疑問を抱いた作家の曽野綾子氏が徹底した調査に基づいて著した『ある神話の背景』によって証拠のない神話であることを明らかにしました。生き残りの誰も軍命令を知らなかったのです。そもそも『鉄の暴風』はGHQによる宣撫工作を目的とするものでした。更に、自決が軍命によるものだとすることで遺族に「援護金」が給付され、荒廃した沖縄の戦後復興が進められたというという裏の仕組みがあったことも明らかになりました。昭和の勧進帳です。両隊長と日本軍の名誉は沖縄復興の犠牲とされたのです。

しかし、そもそもなぜ、軍命令説の風説が唱えられたのでしょうか。当事者の気持ちになって想像力を働かせることが必要です。自決の後、生き残った者は上陸した米軍から医療や食料の提供を受けました。無差別爆撃を受け、上陸すれば間違いなく虐殺されると思い込んで妻子を手にかけた住民からすれば、拍子抜けです。騙されたように思い、軍に責任を押し付ける気持ちになったとしても無理はないでしょう。更に、戦後、出征した家族が復員して戻ってきます。生き残ったものたちは、彼らにどう説明すればよいのでしょうか。ある人は軍のせいにし、多くの人たちは口を閉ざしました。

想像して下さい。仮に軍の命令があって銃を突きつけられたとしても、誰がそれに従うのでしょうか。大江健三郎の『沖縄ノート』は、両隊長らを「慶良間の集団自決の責任者」と呼び、その心の声に「あの渡嘉敷島の『土民』のようなかれらは、若い将校たる自分の集団自決の命令を受け入れるほどおとなしく、穏やかな無抵抗の者だったではないか」と語らせています。これは軍人に対する差別というだけではなく、沖縄人に対する侮蔑でもあります。人間理解の貧しさそのものです。

しかし、平和勢力や進歩派陣営は「軍は住民を守らない」の図式を守るために、軍命令説を保守しました。そして遂に教科書にも軍に強制された集団自決のことが掲載されるようになったのでした。

平成17年8月、元隊長の梅澤裕さんと亡赤松嘉次さんの弟・赤松秀一さんが原告となって大江健三郎の岩波新書『沖縄ノート』を訴えました。それは非常な軍命を「罪の巨塊」とたとえ、鬼畜のごとく罵しるものでした。
絶対の自信をもって挑んだ裁判でしたが、思わぬ展開をたどりました。平成19年春、次年度から使われる教科書の検定が行なわれ、全ての教科書から軍命令説が削除されたのです。裁判がきっかけとなって糺されました。それは裁判目的の一足早い達成でしたが、同時に、反対勢力による猛反発を呼び起こしました。沖縄の反対運動は大いに盛り上がり、議会は次々と反対決議をあげ、市民による11万人反対集会が挙行されました。実際は組合の動員によるもので参加者はせいぜい2万人程度だったのですが、沖縄のメディアは勢いづいて反対一色になり、本土のマスコミにも伝染していきました。沖縄の人々は真相を知っているはずだと思い込んでいた私たちは少なからずショックを受けました。そんな空気が影響したのでしょう。平成20年3月、軍命説を信じることに相当な根拠があるとするまさかの敗訴判決を喰らいました。

ところが、一審判決が頼りにしていた政府見解につき、日本史小委員会が「直接の軍命令を示す根拠は確認できない」とする報告書を出したことで、私たちは控訴審での逆転判決が出ることを信じて疑いませんでした。しかし、平成20年11月に下された控訴審判決は再びの敗訴でした。しかし、その理由は一審とは全く違うものでした。軍命令の事実にかかる「真実性の証明はあるとはいえない」としたうえで、「沖縄ノート」が発行された当時(昭和45年)には軍命を真実だと信じる相当の理由があり、そうである以上、その後真実性が揺らいでも直ちに違法とはならず、虚偽であることが明白になったときにはじめて違法になるという新しい枠組みを示したのでした。私たちは、軍命令が真実ではないことは証明できたのですが、明らかな虚偽であることまでを裁判所に認めさせることはできなかったということです。上告は、平成23年5月に棄却され、控訴審判決が確定しました。

虚偽によって梅澤さんたちの名誉を棄損した責任こそ問うことはできませんでしたが、軍命説が「真実性の証明がない」ものであることは勝ち取れました。やがて沖縄の人々も真実を受け入れるだろうと信じていました。
ところが、そうはいきませんでした。沖縄を支配するマスメディアは判決後も集団自決が軍の命令による強制だったという嘘を垂れ流し続け、沖縄の人たちを洗脳し続けました。そもそも、裁判で軍命説が「明白な虚偽」だと認められなかったのも沖縄のマスメディアによる虚偽宣伝のせいでした。

【4】琉球新報言論封殺訴訟
普天間基地移設問題と尖閣列島問題を抱える沖縄の言論界は、「沖縄タイムス」と「琉球新報」という2つの左翼的傾向の強い地元紙に席捲されていることをご存知でしょうか。彼らは沖縄の世論を支配していると自負しています。沖縄の新聞やTVをみていると沖縄の人は皆、基地の辺野胡移転やオスプレイ配備に反対しているように錯覚しますが、決してそんなことはありません。沖縄のメディアは、あえて反対意見を取りあげないのです。その偏向振りは徹底しています。沖縄の特徴として大勢に個を従わせる「同調圧力」が指摘されますが、それを強化しているのが沖縄のメディアです。彼らに逆らうと、議員は辞職や落選に追い込まれ、学者は大学を追われ、作家は発表の場を失うのです。

その沖縄のメディアの1つ琉球新報に叛旗を翻したのが、沖縄屈指のドキュメンタリー作家上原正稔さんでした。
上原さんは、これまでも沖縄戦の真実を掘り下げるドキュメンタリーを「琉球新報」と「沖縄タイムス」に何度も長期連載してきました。アメリカ公文書館に通って沖縄戦の資料を発掘し、集団自決の生き残りの人たちから直接聞き取りして、それが軍命による強制ではなかったことを確信していました。沖縄人は梅澤さんと赤松さんに感謝してお詫びしなければならないというのが持論です。当時「パンドラの箱を開ける時」という連載を持っていました。いよいよ集団自決の真相に焦点をあてた第3章「慶良間で何が起きたのか」がはじまるとき、琉球新報は、「社の方針に反する」として原稿の掲載を拒否したのです。当時、まるで集団ヒステリーのような軍命キャンペーンの嵐が吹き荒れていたときです。琉球新報に冷や水を浴びせるような原稿が掲載されていたら、キャンペーンも腰砕けになっていたでしょう。

連載が再開されたのは4カ月後、でっち上げの「11万人反対集会」のあとのことでした。再開後の内容は集団自決とは関係のないものになりましたが、上原さんは最後の最後で物書きの意地をみせます。181話の最終回は、集団自決が軍命令によるものでなかったことを生き残りの証言をもとに論証し、「一日も早く沖縄の人々にも理解して頂き、私たちと島民が心を合わせて共に戦ったように次の世代が憎しみ合うことなく本土の人たちと仲良くやってゆけることを祈ってやみません」という赤松元隊長が島民に送った手紙を紹介し、「パンドラの箱に残ったもの、それは人間の真実だ」と結ばれていました。しかし、これも掲載拒否されたのです。

掲載拒否は作家に対する最大の侮辱です。上原さんは、「パンドラの箱」の連載によって果そうとした梅澤さんたちの濡れ衣を法廷で晴らし、併せて沖縄の言論空間を歪ませる琉球新報の高慢を叩くべく、訴訟を提起しました。平成23年1月のことでした。

裁判では、琉球新報は、上原さんの原稿を掲載しなかったのは、社の方針という政治的な理由ではなく、それが従来掲載した原稿の焼き直しだったなどという作家を馬鹿にした理由をでっちあげてきました。それは新聞人としての良心を疑わせる酷い嘘でした。しかし、結果的に、その嘘が琉球新報の墓穴を掘ることになりました。

一審判決は、琉球新報のでっちあげを真に受けた判決でした。実に情けない思いをしましたが、それだけに控訴審で逆転勝訴を獲得したときの喜びは大きかった。

上原さんは、この判決で軍命説は崩壊し、梅澤さん、赤松さんの名誉は回復されたと宣言しました。軍命説の正当性は琉球新報をはじめとすると沖縄メディアの言論統制が支えていたことが白日の下に晒されたからです。人々は知ったのです。「王様は裸だ」と。

【5】 内なる日本人を取り戻すこと
軍命説の嘘を広めてしまったのは、私たち日本人の心の病が原因です。先人の心との繋がりを持たされず、断絶させられてきたからでした。2つの裁判を通じて、私はそのことが痛いほど分かりました。敗北した戦争の記憶と日本国憲法が高い壁となって立ちはだかっています。今も日本人の過去と現在を遮断しています。かつての日本人は残虐なレイシストであり、非民主的な軍国主義者であり、人命軽視のロボットだと教え込まれてきました。敗戦によって授かった憲法によって、日本人はやっと人間になったとも教えられてきました。しかし戦時下の兵士も島民も私たちと同じ、人間であり、日本人でした。その連続性を信じることができれば、軍命説が虚構であることは、誰にだって分かります。なぜ、沖縄で集団自決が起こったのか、なぜ、軍命説が唱えられたのか。そのことこそが日本人のアイデンティティを回復するということであり、沖縄人を取り戻すことなのです。そして、そのことこそが、本当の意味において梅澤さんと赤松さんの名誉を回復するということなのです。

以上 (H26/06/24)

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