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沖縄集団自決の真実(2)

※前記事 沖縄集団自決の真実(1)

軍の関与という言葉は、相当広い意味があります。「関与」は、通常、集団自決において軍が所有保管する手りゅう弾が使用されたことをいいます。あるいは、日本軍の兵隊が沖縄にいて、沖縄に鉄の暴風が降り注いだから、住民が追い込まれたんだという広い意味でいわれることもありました。それを「関与」というのかどうかという議論に入るとこれは出口のない迷路に迷い込むことになります。そういうことを前提として、軍命あり派は、次のような情宣の戦術をたてることになります。 

1. 「関与はあった」といえば、「そうだろう。軍の関与があったということは、軍命によって集団自決があったのと《同じことだ》」という評価問題に引きずり込んでいく。  

2.「関与もなかった」といえば、「彼らは都合の悪いことに目を瞑って明白な事実も否定する連中であって、信用できない」という宣伝を展開する。あるいは、「彼らは集団自決という事実についても否定してるんだ」という情宣にもちこむ。   

僕は裁判の当時、友人知人の弁護士から、「関与もなかった」というのは明らかな虚偽であり、そんなことを本当に思っているのかと指摘されたことが何度かあり、本当に閉口した記憶があります。

僕の考えは、「軍の関与」は軍の手榴弾が使われたという意味においては否定しないが、「軍の命令」は、そのこととはまったく違うものだ。足手まといの住民を先に自決させるというような残虐で悪魔のような集団自決を、軍が命令したという神話はなんの証拠もない。事実に基づかない誤りを、それは真っ赤な嘘であり、なんの証拠もないんだよということを名誉毀損の裁判で争っているんだ、ということを明確して説明することでした。言い換えれば、当時の沖縄人の心情も踏まえて、なぜ集団自決という悲劇に至ったのかという物語をそのまま正しく伝えることです。そのことだけが、正しく適切な回答だと考えています。 

「軍の関与」はあったし、「住民による集団自決」という悲劇もあった、でも「軍の命令」はなかった。それでは、どうしてそんな不条理な悲劇が起こったのかということをきっちり説明することこそが、集団自決命令を否定し、真実の歴史を取り戻す私たちの責任なのだと考えています。
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補足です。
「関与があったかなかったか」の論叢は、軍の手榴弾が使われたという事実(もちろん、機関銃もありましたし、お互いのナイフや鎌での自決もありました)をもって、そのとおりであるが、それでも「軍命はなかった」ないし「隊長からの命令はなかった」。
逆に、赤松隊長らは、集団自決の生き残りの住民たちを衛生兵を送って助けようとしたという事実があり、梅澤隊長は住民らに自決を思いとどまるよう制止したという住民(宮城晴恵)の証言があると指摘することが大事だと考えています。
そのことが当時の検定審が、左派学者らの攻勢に耐えて「軍命の疎明はなかったが、軍の関与はあった」で押しとどまった理由です。 

以上
(2020/10/13 MLでのやりとりから)

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