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同性婚訴訟 札幌地裁判決について

弁護士会も違憲判決だととりあげて沸いています。慎重派も少なくないはずですが、僕のほかに、声をあげる弁護士はいません。裁判所が作成した判決要旨を入手しましたので添付しましたが、判決は原告側の完全敗訴です。その過程的な判断において違憲だということを言ったわけですが、この判断は、判決を導く上で必要不可欠な判断とはいえないという意味において傍論であり、憲法判断に関するブランダイスルールに照らし、憲法判断とはいえないものです。
高裁で控訴棄却となれば(100%そうなります)、原告も被告も、最高裁に判断を求めることはできません。
また、これを勝訴というのであれば、沖縄集団自決訴訟の控訴審判決も「軍命令は事実としての証明がない」とした大阪高裁判決も立派な勝訴判決ということになります。左派リベラルは、こうした宣伝戦において強みを発揮します。  

僕は、婚姻制度は、女の腹から生まれてくる子供の父親を決定し、その養育に対する責任を決定することを中核とする制度だと考えています。男系と家を継承するための制度です。婚姻という制度がなければ、男は、あっちこっちで種をばら撒いて、後のことは全部女に任せたということになりかねません。なにせ、種をまいてから生まれるまで10月10日もかかるのです。男には誰の子か分かりません(今でこそ、DNA鑑定がありますが、思っていたのとまったく異なる結果が多くて驚くことは多々ありました。)。婚姻という制度によって子供の種を提供したと想定される男が父親としての責任を負うわけです。   

婚姻制度の中核が子の養育と社会の承継にあるという考え方にたつと、本来的に子供を前提としない結合に、婚姻という名目をもって経済的ないし社会的な保護を行う必要はないということになります。
こういうと進歩派は必ず、男女の婚姻でも子供のできない人たちがいる、中にはあえて子供をもたない意思で結婚するカップルもいると反論してきますが、それは、婚姻という制度のフリーライドであり、結果的に子供ができない夫婦もいることを想定して制度の外延を広げているだけなのだと捉えるべきものです。
子どもを想定しない男女カップルを前提として論をたてるところに、病理現象をもって制度を立論するという本末転倒の議論があります。
例外はあくまで例外として捉え、個別具体的に合理的な対応をとればよいのですが、同性婚を婚姻の制度に含めることになれば、それこそ制度の根本が変わってしまいます。 

将来、少子化問題が、日本だけでなく、世界的な問題になります。
子供をつくるうえでも、婚姻を奨励し、保護する政策が増えてくるでしょう。その時、子供を産まない同性婚にまで制度を拡大するのは、制度の過剰負担となって跳ね返ってきます。
一時の時代的な流行に流されることで、制度の本旨を見失うことがあってはならないと考えます。 
※続き 「同性婚訴訟 札幌地裁判決について(2)

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