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那覇市孔子廟違憲住民訴訟 最高裁大法廷で審理へ(3)

儒教が宗教ではなく、孔子廟が宗教施設ではないとすれば、神道も宗教ではなく、神社は宗教施設ではないということになります。戦前、神道は宗教ではないとされてきました。戦後教育を受けたものからすれば「そんな馬鹿な!」ということですが、それには、それなりの理由があったのです。 

そもそも、神道が宗教に該当するという解釈は、GHQ による神道指令に基づくものであり、それを憲法に反映させたものが、政教分離原則だったという歴史的経緯から、「神道は宗教である」とされるようになったのです。戦前、大日本帝国憲法では「神道は宗教ではない。共同体の祭祀である」という立場が貫かれ、国家神道は個人に対する布教を禁じられていました。教派神道と国家神道の違いはそこにあるのです(戦前も教派神道は宗教だと解されていました)。

東大の美濃部達吉教授は、日本においても信教の自由と宗教的寛容が保障されていることから、イギリス流の政教分離は達成されているとしていました。要するに、「政教分離」における『宗教』の定義が戦前と戦後では異なるものとなったということです。

この度の大法廷判決が、再び西欧流の政教分離の歴史的意義(バチカンのカトリック支配からの国家的独立)と日本の国家神道の在り方について見直すきっかけになればよいと思っています。此の裁判の本来の趣旨は、中国侵略に対する警告というものだけではなく、「非一神教の政教分離とはなんぞや」あるいは「日本の伝統文化としての神道」と宗教ということを考えなおす契機になることにこそあるのではないかと考えているところです。 

(R2/8/3)

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