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人権と憲法を語る保守派のスタイルを確立する必要性について

ここ数年、保守派から「人権」と「憲法」を語るスタイルを確立する必要を感じてきました。保守派は、サヨクが語る「人権」と「憲法」が有する伝統や道徳に対する破壊的な力を懸念し、これらの言葉を否定的、消極的なものとして捉え、自らの主張を、この言葉に盛り込んで主張を展開する努力を怠ってきたように思います。

これまで、保守派がその心情において国民の多数の支持を得ながらも、公論においてその論理を明快かつ説得的に展開してこれなかった理由の大半は、そのことにあるように考えてきました。 

「人権」という言葉が国際的影響力を持つこと、国内的にも広範な国民運動を構築するには、「人権」という言葉が不可欠であり、地方行政を含め、積極的に政策提言していくには、「人権」に結びつけて論じることが必要だということは、保守派の間においても拉致問題などでを通じて広く認識されてきています。

そこで保守派が「人権」を語るスタイルを確立する必要性が明らかになってきました。

まず、保守派の基本概念と「人権」とをどう結びつけるかということが検討されなければなりません。

保守派の基本概念とは、「道徳」、「文化」、「愛国心」、「伝統」、「天皇」、
「国体」です。これらが、多義的な言葉であり、その内容についての一義的な合意を得ることが困難な技であることは明らかです。
しかし、同様に、「人権」という用語も多義的です。それが多義的であるばかりではなく、それを構成する「自由」や「平等」もまた多義的なのです。

「人権」と「伝統」「道徳」との接合は、「人権」を基礎づける基本概念といわれている「法の支配」と「人間の尊厳」という概念が鍵を握っています。

「人間の尊厳」における「人間」は、「人間らしさ」を形作っている人間的伝統の尊重を意味します。普遍的な道徳、文化、宗教です。それらを離れて普遍的人間などありえません。その意味において「人間の尊厳」は、事実としての伝統に配慮するものであり、伝統を顧慮しない「個人の尊厳」とは大きな懸隔があります。日本国憲法は「個人の尊厳」をうたっているため、個人を拘束する契機を持つ、伝統・文化・道徳に対して対立的なニュアンスをもち得ますが、「人間の尊厳」は、むしろ、人間性を形成する基礎的な条件である「伝統」を尊重するという契機を内在しています。 

「法の支配」における「法」も然りです。法の支配にいう「法」は、コモンローであり、慣習法であり、伝統の法です。理性に基づく実定法もまた、慣習法なり、伝統の法を破ることはできないという伝統主義を内在しています。実のところ、それは、「惣にいれば惣にしたがえ」のいいであり、人権は、そうした人間的伝統に基づく人間の「既得権」と解することができるのです。 
 
国際人権規約(欧州人権規約、米州人権規約も同様ですが)において人権は「人間の尊厳」に基づくものであり、「道徳の保護」の見地から制約されることが明記されています。 すなわち、人権は、道徳と同じく人類の歴史的伝統によって形成されてきた人間性に基礎を置くものであり、人類の文化的伝統が形成してきた道徳を破ることはできず、人権と道徳とが対決する場合には、道徳の保護の観点から人権の制約が許されるという構造をとっているのです。

道徳も人権も、人類の文化的伝統に基づいて形成されてきたものであり、「人権」の揺り篭である「法の支配」における「法」も、「人権」の中核概念である「人間の尊厳」における「人間」もまた、「人間的伝統」に基づくものであることを認識することこそが、「人権」を保守の観点から論じるスタイルを確立するためのスタート地点なのです。
(H18-10-22)

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