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父との葛藤

私の父は7年前に亡くなりました。亡くなる3年前からは、寝たきりになり自宅で介護をしました。その経験のせいで今、介護士をしているのですが。父を許せなかっことが「うつ病」が長引いた理由のひとつです。

私が父を許せなくなった事件が3つあります。ひとつは、私が小学校1年生の時の事です。家は駄菓子屋を経営しており、そのレジの所に「○○のバカ」と書かれた紙が2枚ありました。○○とは母の名前です。

それを見た父は激怒しました。早速、犯人探しが始まりました。散々責めららた後に、1枚は兄が書いたと認めましたが、残り1枚については頑として認めません。

兄でなければ、お前だと私が疑われました。しかし、書いてないものは書いてないのです。私は認めませんでした。すると父は「お前が白状するまで、誰にも晩ご飯を食べさせない!」と言い出しました。

しばらくすると、祖母が近寄って来て耳元で「あなたが、一言書いたと言えば皆がご飯を食べられるんだよ」と囁いたのです。私は仕方なく認めてしまいました。すると父は「やっぱりお前だったのか!お前は今までウソついていたのか?」と激怒し、私のお尻にお灸をすえました。 

あの時の熱さと無念さは今でも忘れません。それ以来、私は「ウソつき」のレッテルを貼られました。二つ目の事件は、中学2年生の時です。商売がら、家にはお客さん用のトイレがあったのですが、そのトイレにあろう事か覗きあなが開けられていたのです。

この時も父は私を疑いました。「お前だろう!お前に違いない、正直に言え」と迫ります。以前の経験から、私は絶対に認めないぞと、思いましたが不思議なもので何度も繰り返し「お前がやった。お前に違いない!」と言われ続けると、「もしかしたら俺がやったかもしれない。 

記憶にはないが、無意識にやってしまったかもしれない」と思えてきました。こうして冤罪は作られるのかな?とも思いました。とにかくその時は頑張って否定し続けました。折しも次の日は学級費の集金日でした。

父は「お前が白状するまで学級費は持たせない!」と言い出しました。仕方なく私は自分の小遣いで学級費の工面をしようと、集金袋に小遣いを入れてカバンにしまいました。私が、眠った後で兄が泣きながら「自分がやった」と白状したそうです。

どうやら、学校の友達にそそのかされたようです。父は「何の為に学校に行っているんだ!そんな事を教わって来るような高校なら辞めちまえ!」と激怒したそうです。

翌日、父は何も言わずに学級費をくれました。いつもは必ず「ありがとう」と言って受け取っていたのですが、この時はそんな気持ちになれず無言で受け取りました。

学校には父からもらったお金とあらかじめ集金袋に入れて置いた小遣いを持って行きました。父からもらったお金は、ポケットにしまって置いたのです。

学校が、終わっても家に帰る気がしません。父の顔を見るのも嫌だったのです。自分は何故、父から信用されていないのか?そればかり考えていました。
今持っているお金を使えば今夜の夕飯と、明日の朝食はなんとかなる。

このまま、どこかに行ってしまおう。家出しょうと思い、家を通り過ぎて自転車をこぎました。しかし、 夜も遅くなり暗くなってくると気の小さい私は心細くなりとうとう、家に帰ってしまいました。

あとひとつ、父を決定的に信じられなくなった事件がありました。

私が父に不信感を抱き、父を許せなくなった決定的な出来事の話しをします。

私が高校2年生の始めの頃のことです。私の卒業した高校は大半が大学に進学していたのですが、その頃の私はまだ、特に自分の進路を決めておらず、したがって勉強もそれ程していませんでした。当然、成績も芳しくありません。

そんな私に父は業を煮やしたのか、「男が3人もいながら1人も大学に行かないなんて恥ずかしい!お前は大学へいけ!」と言い出しました。(私は男ばかり3人兄弟の真ん中です)

しかし、進学の条件は自宅から通える国公立大学に限らていました。その時点の私の成績では到底合格は無理でした。私は自分なりに考え○○大学の人文学部を狙うことにしました。卒業後は教師か考古学をしたいと思ったのです。

それから私は勉強を始めました。今感考えても自分なりに良くやったと思います。成績も次第に上がり、模試でも良い点を取れるようになってきました。3年生の2学期には実力テストでも成績優秀者の中に入れるようになりました。

模試の志望校の合格率も90%を超えらるようになりました。そんな時に父から「進学に失敗した場合、浪人をさせる余裕はないから滑り止めとして市役所の試験を受けてみろ」と言われました。

たとえ、市役所の試験に合格しても大学に合格すれば大学に進学しても良い。という話しでした。言われるがままに、市役所の試験を受け、運良く合格できました。私はそれまで以上に受験勉強に励みました。

私の叔父(父の末弟)は、昔から私の事を気にかけていてくれ、学校の成績をよく聞いてきました。私が、成績が上がり志望校に入れそうになってきたことを話すと「お前はなんの心配もしなくて良いから勉強に専念していろ」と言ってくれていました。

そして、3年生の11月になった時に父が突然、「大学は諦めて市役所に行け」と言い出しました。理由は家の経済的事情です。家は駄菓子屋を経営していました。商売に浮き沈みはつきものです、それ位は当時の私でも理解していました。

でも、もう少し早く言ってくれていたら奨学金を狙うということもできたのです。しかし、その時点はもう奨学金の申し込みは終了していました。途方に暮れた私は叔父に相談しました。

すると「学費のことは俺がなんとかする。お金はお前が働くようになってから返してくれれば良いから。お父さんには、俺から話しをしてやる。お前は勉強に専念しろ。」と言ってくれました。私は嬉しくて絶対に合格してみせるぞ!という気持ちになりました。

ところが、ここからが問題でした。叔父から話しを聞いた父が激怒したのです。「自分の子供の進学資金を弟に出させるなんて、恥ずかしい!」と・・・。
叔父が帰った後、直ぐに呼ばれ「お前は俺に恥をかかせたいのか!」と怒鳴り散らします。

私が、「せっかく叔父さんがああ言ってくれているのだから進学したい。」と訴えても「お前は俺と○○をケンカさせたいのか!俺に恥をかかせたいのか!」の繰り返しで話しになりません。(○○は叔父の名前です)

叔父さんも「お父さんが俺の話を聞いてくれないから申し訳ないがお金を出せない」と言います。結局、私は進学を諦めて市役所に入ることになりました。

これにはもうひとつの理由があったのです。ある日、担任の先生に職員室に呼ばれました。担任の先生は「お前は市役所に行け、お前が市役所を蹴ると来年以降、ウチの学校からは採ってくれなくなるかも知れないから」と言うのです。

おまけに、「でも大学は受験しろ、お前なら多分受かるだろう」と付け加えました。要するに学校側としては大学合格の実績を増やしたかったのです。そのためだけに、受験するなんて馬鹿らしく拒否しました。

もし、万が一でも受かってしまえば余計に心が傷つくと思いましたし・・・。やがて、月日が経ち私にも子供が生まれました。「子を持って初めて知る親の恩」と言いますが、私にとっては真反対でした。

自分の子供を見ていて、この子達が大学に行く頃になって、自分にもし、それだけの経済力がなかったらどうするか考えたのです。いくら考えても答えは同じ、私ならたとえ弟に土下座してでも子供達が希望をするのなら進学させてあげる。というものです。

自分の変なプライドのために子供の将来の芽を摘むなど私には考えられませんでした。それが、ごく普通の親の感情だと思うのです。子供が生まれてからよりいっそう父に対する不信感は大きくなったのです。

結局、私は父に愛されてはいなかった・・・。ただ、兄弟の中では1番学校の成績が良かったので、自分のプライドを満たすためだけの存在だった・・・。そんな風に感じました。

父への不信感がやがては憎しみに変わって行きました。同居していることに耐えられず26歳の時に家を出ました。うつ病を発症したのは、パワハラが原因でした。再発を繰り返したのも仕事が原因だと思っていました。

しかし、心療内科の主治医からは「あなたが、お父さんを許さない限り、うつ病は良くならないかもしれません」と言われました。

私は、憎んでも憎みきれない父を何故か引き取り、最後3年間は寝たきりになった父の介護をすることを選んでしまったのです・・・。

全く今でも何故引き取る事になってしまったのか、不思議ですが、その時はそうしないといけないと思い込んでしまったのです。ホントに不思議です。これも、私が生まれて来る時に計画したことだったのでしょうか?

父が亡くなった今となっては、憎しみなど消えてしまいました。父は私を愛していなかった訳ではなく、愛情の示し方が分からなかっただけなのかもしれません。

私自身も子供達を愛しているのはもちろんですが、自分の愛情を上手く子供達に伝えられているのかは分かりません。特に、子供達が幼い頃は、うつ病の症状が重くて一緒に遊んであげることもあまり出来ませんでしたから・・・。

前回の「人を恨むこと」に引き続き、今回も憎しみ・恨みについて書いてみました。

憎しみや恨みは、ある種のエネルギー源なると思います。しかし、そのエネルギーは両刃の剣で、相手も傷つけることが出来るが、同時に自分も傷つけてしまうのです。

そして、そのエネルギーがある限りは、心の平安など得られないのです。人を恨んだり憎んだりすることで得られるものは何もないのです。

だとしたら、恨みや憎しみは捨てるに限るのです。すべてを許すことが心の平安と魂の成長には必要なことだと思うのです。

私に残された課題は、パワハラをした先輩を許すことだと思うのです。これは理屈では分かっているのですが、なかなか難しい問題です・・・。

色々と考えてみると、許すことと感謝することが今回の私の人生の課題なのかな。そう思えてきます。人を許し、許しが感謝に変わる。そうなったら、今回の人生は無事卒業のかもしれませんね。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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