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自宅からの出火・・・。

こんにちはトクです。動脈解離や大腸ポリープなどの為に体調不良が続き、なかなか記事の更新が出来ませんでした。

ところで、最近、テレビドラマで自宅に放火をされるシーンを見て急に思い出したことがあります。

それは、今から約40年も前の昭和56年の夏のことでした。

真夜中の0時頃、自宅から出火したのです。その頃は私達兄弟3人と祖母が2階で寝ていて、両親は1階の部屋に寝ていてました。

兄がたまたまトイレに行くために目が覚めて寝ていた和室の襖を開けるとと同時に「火事だあ!」と叫びました。

それに反応した私が「何処が火事?」と聞くと「家が火事だ!」と叫びます。

と同時に部屋内に煙りが入って来ました。

火こそ見えませんでしたが、室内が見るまに熱くなって来ました。とにかく1階に逃げなければ。そう思ったのですが、煙りは階段から登って来ます。

仕方なく、兄弟3人と祖母の4人でベランダに出ました。火はもう背中付近まで来ています。

一瞬、飛び降りなければ助からない。飛び降りよう。そう思いました。が、私兄弟は飛び降りることが出来ますが、そうしたら祖母が取り残されます。

必死に「助けてくれー」と叫びました。その声を聞きつけて近所の人達が柱に使うような角棒を持って来てくれました。

私の家の向かいが材木屋だったことが幸しました。その角棒を伝わって4人ともなんとか無事に非難することが出来ました。

自分達が避難すると、両親のことを急に思い出しました。1階に寝ていた両親はどうなったのか?


私の家は駄菓子屋を経営していたのでいえの半分はお店です。

お店のガラス戸を角棒で叩き割って中に入ろうとするとたすけに来てくれた近所の人が「もうダメだ。諦めろ」と止められました。

それでも両親のことが気になります。3軒先の家の裏手に周り、そこから私の家の裏庭に出ました。

その裏庭に両親が避難していたのです。メラメラと階段を上がって行く火を見た母は、私達が火に焼かれてものと諦めていたようです。

身体障害者の父を背負って、みんなが待っている所まで戻った時には、自宅は炎に包まれていました・・・。

私が今でも後悔してきることがあります。

それは、その日に限って体調不良で夜の9時に寝床に入ってしまったことです。

通常ならば、空手の稽古から帰って来るのが10時過ぎで、それからお風呂に入ってプロ野球ニュースを最後まで見てか寝る。

ですから、寝床に入るのは早くても0時から0時半です。

そしてこの時に出火したのは、0時頃だと消防署の現場検証で言われています。

普通だったら私が起きている時間に出火したのです。もし、あの日に体調不良にならずに通常通りの時間まで起きていたなら・・・。

きっと、出火をしたとこして早目に気がつくことが出来て、ボヤ程度で済んだのではないのか。

そんなふうに思ってしまいます。

この火事は私の人生観を変える出来後でした。ですから、私にとって自宅が火災に合うことが必要です必然のことだったのかもしれません・・・。

しかし、それにしても精神的にも経済的にもダメージが大き過ぎる火事でした。着の身着のまま避難したため、家の中から持ち出された物は1つもありませんでした。

枕元に置いてあった眼鏡さえも持ち出すことが出来なかったのです。

この時火事さえなかったら近所からイジメられることもなかっただろうし、私が実家を出て、今の土地にいえを建てることもなかったでしょう。


きっと今でも実家に住んでいたと思います。そうすると、今苦しんでいる住宅ローンの支払いもなかったことになります。

私の人生は今とは大きく違っていたと思います。

しかし、先程も書きましたが人生に無駄なことは何ひとつないとすると、あの火事はやはり必要必然だったのだと思わざるを得ません。

精神的、経済的には大きなダメージを受ることも魂の進化の為には必要なことだったのかもしれませんね。

それにしては、自分自身が成長したとは思えないのですが・・・。

最後までお読み頂きありがとうございました 。

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