一番過ごしやすい秋。好き嫌いじゃなくて、居心地がいいかどうか。ただそれだけなのだ
一番好きな季節は何か?
そう聞かれると、いつもは「春夏秋冬全部好き」と答えていた。それぞれにいいところがあるし、それぞれ好きなところがあるから。花や木々、空、雲、日差し、窓からの眺め、街角の様子、四季それぞれの景色は、気持ちを豊かにしてくれるので、どれって決められなかった。
でも、この数年、秋が一番好きかも…と思うように。暑いのは苦手だし、寒いのもちょっと…、春は花粉症だしなぁと思うと、私にとって一番過ごしやすいのが秋なのだ。そう、春夏秋冬全部好きだけれど、過ごしやすい、居心地の良い季節は秋というわけだ。
と、ここまで考えていて、ふと思った。子どものときから、「みんな好きで、みんな嫌い」と言い続けていた。要は、いいところもあるけれど、いやなところもある。だから、「好き」だけとも言えないし、「嫌い」とも言い切れない。一方的にひとつの角度から決めつけてしまうのはどうかと思っていたのだ。嫌だなぁと思う人でも、案外別の話をすると「おや、こんな面白い一面が」と思うことだってある。もちろんその逆も然り。私だって、いいところもあれば、悪いところもある。この話をすると、「あっちにもこっちにもいい顔してズルい」と言う人がいたが、私的には単純に人を嫌いと決めつけることにエネルギーを使うのが面倒で、疲れるのだ。嫌いは否定である。否定のエネルギーは重くて、行き場がないままずっと自分を締め付けてしまう。だから、「みんな好きだけど、みんな嫌い」で片付けさせてもらっている。
まるで私が聖人君子のように思われるかもしれないが、そうではない。私だって人に腹が立つこともあれば、「この人、超苦手」と思うこともある。特に、相手を尊重しない人とは一緒にいたくない。最近はそういう人を見ると、「こいつ爬虫類系の宇宙人か?」と思う(笑)。どんなものでも、どんな人でも相性というのはあるはずだから、合わないものは合わない。私の中に「嫌い」という言葉のカテゴリーに入るものがほぼないだけで、合わないものは「苦手」というカテゴリーに入れられていく。ただそれだけ。そしてときどき、「苦手」から「ステキ」に移行することもある。とにかく、無理をするつもりもないし、そもそも聖人君子になるつもりもない。
「嫌い」というカテゴリーは、視野を狭くしてしまう。子どもの頃に嫌いと思っていた食べ物が、大人になって食べてみると美味しかったりするようなものだ。人生を楽しむなら、「嫌い」を違う角度から見ることもたまには必要なのではないかなと思う。とりあえず、まるっと取り込んで、その上でどこかのカテゴリーに入れておけばいいのだ。もしかすると、一生のうちに2,3個は「嫌い」のカテゴリーに入るものがあるかもしれないが…。
不思議なことに、「苦手」とか「合わない」というカテゴリーの人やモノとは自然と距離ができてくる。特に何もしていないのだけれど、気が付くといなくなっていることが多い。互いに違う次元、違う世界の住人になっている。でも、それでいいのだと思う。人やモノとの付き合いも、自分が居心地いいか、過ごしやすいかなのだ。どっちがいいとか、悪いとかでもなく、自分がどう感じるか。それに尽きると思う。暑すぎず、寒すぎず、穏やかな秋のような人たちと過ごすのが、私にとっては一番幸せな時間だ。
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