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障がいのあるなしに関係なく、共に理解し、自然なまま暮らせる社会に。 2週間チャレンジ⑩

♪季節の変わり目をあなたの心で知るなんて~♪

このフレーズで、すぐに「秋冬」というタイトルが出てくる、昭和歌謡好きな方、どれくらいいらっしゃるでしょうか。昨日からこの曲が脳内リピート中。高田みづえバージョンもいいけど、三ツ木清隆バージョンもいいんだよな。

ちなみに私は季節の変わり目を自分の足のスネとカカトがカサカサしてきて
「あぁ、秋かしら~♪」と思います。

と、どうでも良い前置きが長くなりました。

今日はお仕事で発達障がいに関するフォーラムに参加してきました。
ボリューム満点でなかなか良い内容だったので、自分的には参加させてもらってよかったなと思ったのですが、帰り道、このボリュームをどうやって新聞5段にまとめんねん…と若干不安に(苦笑)。いい話が盛りだくさんだったから、どこをカットすればええんや…。悩ましい。

フォーラムの中では、そもそも形式にとらわれ過ぎている教育制度を変えなければならないとか、あちこちで言われていることももちろん出ていましたけど、まずは社会の理解が大事だなと思いました。知らない人や誤った先入観を持っている人が多すぎる。それは教育や保育の現場でもそう。だから、当事者やその家族が孤立しがちになるんだよなと。

そこで思い出したのが、会社員時代に遭遇した出来事。朝の地下鉄で「やだー、こわい。刺されたらどうしよう」と同僚らしき人に大きな声で言っている女性がいました。誰に刺されるの?と思って彼女の見ている方向を見ると、そこには自閉症と思われる成人男性がいました。自分の世界に入って、何やらしきりにブツブツ喋っていました。その男性、よく地下鉄に乗ってくるので私も知っていましたが、その女性がなんで彼に恐怖を感じるのか理解できませんでした。同僚らしき人も「ホント、こわーい。隣の車両行こう」と言って移動していき、なんだかイヤな感じが胸に残っていました。

後日、その話を友達にしたら、「身近に発達障がいの人や、障がいのある人がいない人だったんじゃない?」と。なるほどぉ。そうか、知らないものに対しての恐怖だったのか。だったとしても、「刺される」ってどういうこと? それは飛躍しすぎでしょと、また思い出してムカついていました。

私は別にいい人ではありません。福祉や医療に興味があるのかというと、正直それほどありません。福祉や医療業界にいる方たちを尊敬のまなざしで見るだけで、自分はあんな風に人に接することはできないなぁと思っているような人間です。福祉に携わる人たちは、目の前の人を幸せにしようとする徳の高い人たちだといつも思っています。

ただ、私はいい人ではありませんが、世の中はいろいろな人がいて成り立っていて、それぞれに役割や使命を持って生まれてきていると思うので、それを否定するようなことや命を粗末にするようなことが嫌いなのです。だから、別に地下鉄でブツブツ言ってるくらいならいいじゃないかと思うのです。刃物を持って歩いているなら話は別だけど、ブツブツ言ってるだけなのだから、いいじゃんって思うのです。

と言いつつ、私にもちょっと苦い経験があります。小学生のとき、同じ学校に自閉症やダウン症の子がいて、一緒に給食を食べたり、行事に参加したりしていました。重度の自閉症だった男の子は、通学のバスが一緒で、彼のお母さんとはたまにおしゃべりをしていました。とってもキレイなお母さんだったのを覚えています。低学年のときは、いつもそのお母さんが一緒だったけど、4年生くらいになると彼は一人でバスに乗ってきていました。彼はいつもテレビCMのセリフをずっとつぶやいているし、私のことは眼中にはない様子だったので、「ああ、今日も楽しそうにつぶやいている」と思うくらいでした。ある日、私たち小学生が降りるひとつ前の停留所で、ちょっとした事件が起きました。その男の子は一番前に立ってCMのセリフをつぶやいていましたが、突然、バスを降りようとしたおばさんの腕にしがみつき、「お母さんはね、お母さんはね」と大きな声で言い出しました。混雑していたバスは騒然となりました。運転手さんが「こらこら、離して」と制しましたが、彼は手を離そうとしません。あぁ、どうしよう。まずいなぁ。前に行って、彼は自閉症なんです、怒らないでくださいって言わなきゃだめかなぁと、私はオロオロ。すると、上級生の男子生徒が前に向かっていき、「すみません。この子は養護学級の子で、何も悪気はないんです」とおばさんに謝り、「なんかあったんか? さあ、手を離そうか」とやさしく彼に言いました。運転手さんも彼をよく乗せているから顔なじみだったので、彼に対して怒ることはせず、おばさんにだけ「びっくりさせてごめんなさいね」と頭を下げていました。そのとき、上級生のような行動が取れなかった自分をめちゃくちゃ情けないと思いました。そして、そんな行動を咄嗟に取った上級生がとてもカッコよく見えました。

振り返ってみると、上級生はもちろん、あのときのバスの運転手さんも彼を理解していたのでしょうし、やっぱり周囲の理解や、「存在を知っている、認めている」って大事だなと思いました。別に知っているからと言って、腫物にさわるような特別扱いをするとかではなく、ただ日常に彼がいて、周りがいつの間にか彼を見守っていたということが大事だったんだなと思うのです。一緒に社会で暮らすってそういうことなのかなと。理解をし、必要なときに手を貸してあげられるような自然な関係を築けるといいのでしょうね。

フォーラムに出ていた方が、「発達障がいのお子さんを持つご家族は、毎日のようにいろいろなところで謝っていると思う。でも、『今日も謝ってきた』という話を周りの誰かにして、それを笑い話に変えられたら、それだけでも気持ちが軽くなると思う。理解してくれる人がいる、頼れる人がいるというだけで、大丈夫って思えるから」と話していました。理解し、笑って話を聞いてあげられるくらいなら私でもできるな。そんなことを思った秋の1日でした。今日は長くなってしましました…(前置きが長かった)。


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