見出し画像

京極夏彦『姑獲鳥の夏』の感想

京極夏彦の『姑獲鳥の夏』を読んだので感想を書いていこうと思う(以下の本)。

実は京極夏彦の本は初めて読むが、なんとなくのイメージとして怪異や幽霊といった不思議な存在が出てくる世界観を想定していた。しかし実際は結構理屈っぽい感じ科学や哲学っぽい話が多い。幽霊とかも出てこない普通の推理小説である。

京極堂の脳と心や認識の話の部分を読んでいてカントを思い出した。本書ではそれが不確定性原理という話に帰着するが、この原理自体もある意味ではカントに近いのだろうか。

カントの超越論的認識の部分が広い話に適用できるから、この原理自体も包含しているように解釈できるだけという気もする。そのため不確定性原理という理屈を小説に使うため大味に輸入している本書もカントっぽく見えるのかもしれない。

本書には頭の切れる変人が2人出てくる。それが古本屋の京極堂と探偵の榎木津である。1つの作品に方向性は違えど変人の天才2人が序盤で出てくるのは珍しい構成な気がする。たいていは天才が複数出てくると秀才っぽく真面目な感じにしたりとキャラを分けたりするので、同じようなタイプなのはあまりないと思う。一応直感型と理屈型っぽいキャラわけだけど主人公が相談しに行く変人が2人もいるのはあまりない感じだと思う。

妊婦の病室に入った後に口論するシーンで、「もしかすると信用できない語り手系か?」という疑惑を持った。病室に入っての榎木津と関口の対照的な反応は、一見関口がまともかと思うけどその逆で榎木津がまともという展開なんじゃないかと思ったわけである。

そしてその後は「関口と榎木津のどっちが正しいんだろう?」という謎を考えながら読み進めることとなった。単純な叙述トリックとはまた違った「叙述トリックなのかそうじゃないのかわからない」という不思議な読み味。それが斬新で面白いと思う。

この小説のトリックは特殊な密室がテーマとなっている。失踪した男がいたとされる部屋は密室でどうやって脱出したのかという話が主題となる。男がいた部屋は普通に密室ではあるのだが、その密室には普通の出入り口以外にもう1つの部屋へ通じる扉があり、その部屋からは外へ出る出口がある。ただしその部屋にある2つの出口は鍵がなくなってしまい数年間は入れていないという設定になっている。そのため男が失踪した時点においても第一の部屋(男がいた部屋)から第二の部屋(外へ通じる部屋)に入ることができず外への扉も鍵で閉まっているため完全な密室となっているという設定である。

ちなみに第一の部屋と第二の部屋の扉は後者の部屋からしか鍵が開け閉めできず、第二の部屋の外へ通じる扉の方は外側からしか鍵が施錠できないようになっている。この「第2の密室」という題材はこの言葉だけで神秘性が付与されているのでそれだけで面白いと思う。

ここまでは読んでいる最中にメモがてら書いた文章だが、ここからは最後まで読んでの感想を書いていこうと思う。

正直な話、途中からついていけなくなったというのがある。ある人物の認識が歪んでいて、それゆえに証言していたこととは違う風景が実際には見えているという認識齟齬のトリックはわからなくもないけど、1人ではなく複数人の認識が歪んでいたというのはちょっとどうなのかなーと思ってしまった。

そして犯人は3重人格という大規模な設定も最後に明らかになる。嘘が1つだけならまだ百歩譲って許せるけどこういう大きなトリックが何個も出てくるとちょっとついていけなくなる。本書の前半付近の京極堂の話がフリとなっているのでそれが一応伏線として機能している面もあるんだろうけど、だとしても荒唐無稽すぎる。

せっかく百鬼夜行シリーズの1作目を読んだので人気があるらしい2作目の『魍魎の匣』も読もうとは思うが、1作目である本作は正直微妙だった。ただ前半部分の京極堂の理屈っぽい話や事件の雰囲気自体は良かったのでトリックさえ納得できれば楽しめるはずである。『姑獲鳥の夏』はトリックだけ納得できなかったので『魍魎の匣』はそのあたりの整合性を期待したいところ。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?