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星野源『ばらばら』とレトリック感覚

星野源の『ばらばら』が好きだ。

1stアルバム『ばかのうた』に1曲目として収録されているこの曲は、当の星野源が「くそみたいな女にくそみたいなフラれ方をした後に作った曲※」と語るだけあって、暗い。とても暗い。
(※7thシングル『Crazy Crazy/桜の森』初回限定盤特典映像『緊急特別番組・星野源人気ソングTOP10』より引用)

でも、ぼくはこの歌が大好きだ。

この記事では、そんな『ばらばら』という歌のすばらしさについて、佐藤信夫さんの『レトリックの記号論』を引用しつつ考えていきたい。

歌詞を以下に引用する。

世界はひとつじゃない ああそのまま ばらばらのまま
世界はひとつになれない そのままどこかにいこう
気が合うと見せかけて 重なりあっているだけ
本物はあなた わたしは偽物
世界はひとつじゃない ああ もとより ばらばらのまま
ぼくらはひとつになれない そのままどこかにいこう
飯を食い 糞をして きれいごとも言うよ
ぼくの中に世界 あなたの世界
あの世界とこの世界 重なりあったところに
たったひとつのものがあるんだ
世界はひとつじゃない ああ そのまま 重なりあって
ぼくらはひとつになれない そのままどこかにいこう

ああ暗い。見るからに暗い。

でも、じつはすごく前向きな歌だとぼくは思う 。

ぼくはこの歌の歌詞について考えるとき、佐藤信夫さんの『レトリックの記号論』という著書の中の、『創造性としてのレトリック感覚』という一篇を思い出す。
以下、印象的なフレーズを引用しつつその内容をまとめる。

*****

まず、人の”視点の一面性”を、コインの形を具体例に説明する。

「コインは円形である」
「コインは長方形である」

という一見矛盾する2つの文をみたとき、ほとんどの人は直感的に前者を受け入れ、後者に違和感を抱く。
しかし少し考えて、後者も正しいことを承認できる。コインを正面から見るか、側面から見るかという視点の違いがあるだけだということを理解する。
この例から、人は一度にものごとの一面しか見れず、そのために全く異なる世界の見方が、じつは矛盾せずに共存できることがあると分かる。

しかし、世の中はコインのように簡単に視点を変えることが出来るものごとばかりではない。そうしたとき、ひとつの視点に固執して他の視点の可能性を考慮できなくなってしまうことはよくある。

そういう”精神硬化現象”を回避するための手立てとして、”レトリック感覚”は有用だ。

「本来のレトリックとは、私たちの認識と言語表現の避けがたい一面性を自覚し、それゆえに、もっと別の視点に立てばもっと別の展望がありうるのではないか……と探求する努力のことでもある。想像力と創造力のいとなみである。」

レトリックとは、「りんごが地面に落ちた」という表現に甘んじず、「りんごにむかって地面が突進してきた」といった別の表現の可能性に思いをはせることだ。

”レトリック感覚”を持つことは、価値観の多様化が進む現在において、「コインは長方形である」という文を頭ごなしに否定する滑稽さを回避し、価値観や文化・慣習の枠を越えて相互理解をすることにつながるのだ。

*****

だいたい内容はこんな感じ。

これを踏まえて『ばらばら』の歌詞を見返すと、すこし見方が変わって来ないだろうか?
というより、この歌とコラムは、ほとんど同じことを言わんとしてないだろうか?

少しくどいかもしれないが、歌詞を再掲してみる。

世界はひとつじゃない ああそのまま ばらばらのまま
世界はひとつになれない そのままどこかにいこう
気が合うと見せかけて 重なりあっているだけ
本物はあなた わたしは偽物
世界はひとつじゃない ああ もとより ばらばらのまま
ぼくらはひとつになれない そのままどこかにいこう
飯を食い 糞をして きれいごとも言うよ
ぼくの中に世界 あなたの世界
あの世界とこの世界 重なりあったところに
たったひとつのものがあるんだ
世界はひとつじゃない ああそのまま 重なりあって
ぼくらはひとつになれない そのままどこかにいこう

いままでぼやけていた部分の意味がはっきりしてくる気がする。

気が合うと見せかけて重なりあっているだけ 本物はあなた私は偽物

は、「視点が近ければ見える世界に重なる部分もある。けれど、まったく同じ視点で世界を見れているわけではない。無理に同じになろうとしても、それはどちらかが無理をすることになるだけ」

飯を食い 糞をして きれいごとも言うよ

は、「きみの見えている部分がぼくのすべてじゃないよ」

あの世界とこの世界 重なりあったところに たったひとつのものがあるんだ

は「ぼくの視点ときみの視点どちらも大事にすることではじめて、ものごとが立体的にみえてくるよね」

という具合に。

以上を踏まえると、この歌は

「人の数だけ視点がある。だから人によって見えている世界は違う。そのどれかだけが正しくてどれかが間違っている訳ではない。無理にひとつになろうとせずに違いを肯定したうえで他を尊重しよう。」

という、いわば「多様性に溢れる今の社会を生きるための基本姿勢」をやさしく歌っているように解釈できる。

……すごくいい歌っぽくないだろうか?

もちろん、この解釈を他人に押しつけるつもりはないし、この歌を嫌う人の意見も肯定する。
世の中に唯一絶対の正解などないことをぼくはこの歌から学んだから。

ただ、すくなくとも、失恋の傷心のさなかでこれを歌える星野源がとても”レトリック感覚”にあふれていることだけは確かだ。

*****

ここまで読んでくださった方はありがとうございました。
androidの方はこちらから『ばらばら』の試聴・購入ができます。(回し者ではありませんが、もしこれを機会にこの曲を好きになってくれる人が増えたらうれしいです)

https://play.google.com/store/music/album?id=Bpyqm2breevfns7ft2hm5kmokca

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