ワーキングホリデーに行った経緯
2019年2月18日 自分はワーキングホリデーで一年間(フィリピン🇵🇭3ヶ月カナダ🇨🇦10ヶ月)の長い長い旅に繰り出しました。とても充実していて内容の濃い一年間で今まで過ごした一年間の中で一番思い出があります。
自分にとって大きな大きな決断で大学にも通っていたのですが、大学四年の春から一年間休学を取りました。
タイミング的には一年遅かったのですが、何かを変えたかったです。
大学生のうちに何をしたという胸張って言えるものがあまりにもなく、大学に通っている自分を客観視した時に、
とてつもなくカスに見えたし、何もないと思いました。
決断のきっかけは細かい理由が何個かありますが、
一番大きな決め手は、初めて海外に行ったマレーシア旅行の時です。
マレーシアは母国語のマレー語に加え英語も話しますが、勿論日本語は話しません。
コミュニケーションが取れないことが本当に苦痛で、どこに行くにしても聞くこともできなければ読むことも出来ない。でも仮に英語が話せていたら不自由無く旅行ができると考えたら心の底から英語が話せるようになりたいと思いました。
旅は人を変えると言いますが
その良い例だったのかもしれません。
もう1つは、先輩の影響です。
自分がバイトしていた居酒屋さんで二人、すでにワーホリを終えて帰ってきている人がいました。話を聞くだけで自分の想像を超えてくる内容でどんな凄い経験してきたんだろうって興味も湧いて、凄く尊敬したのを覚えています。
更に、もう片方の先輩の出発の時には羽田空港に他の仲間と一緒に見送りに行きました。その時に、あの人は今から一人で海外で暮らしていくんだって考えたら、自分では到底考えられない世界で、自分も行ってみたいって思いました。
良い出逢いが出来た、川越土間土間に入って良かったです。
有難うこうへいさんとすみやさん!!
行くにあたって親に相談した時、何の迷いもなく『わかった』くらいの軽い返事であっさり承諾をもらいました。勿論語学学校や海外保険や渡航費などなかなかお金はかかります。
”感謝”ですね。
友達には最後の最後まで言っていませんでした。
理由を問われるのと留学について彼ら彼女らの人生観を聞かされるのが鬱陶しいと思ったからです。
案の定出発前に伝えた時
『意味がない』『英語学ぶ意味ない』『金かかる』『治安悪い』『汚い』『どうせ日本が一番』みたいな感じでネガティブなことばかり言われたので最後まで言わなくて良かったと思いました。
勿論全員が全員ではないです、応援してくれる人もいっぱい居てサプライズで見送り会開いてくれたり、空港でわざわざ前泊して見送りに来てくれたり
当時付き合っていた彼女にも凄く感謝しています。ありがとう!
いよいよ出発の日、緊張とかは一切なくて21年間住んだ日本を離れる寂しさと彼女、友達と離れる寂しさでいっぱいで、18歳の上京する時と同じような感じでしたが今回は訳が違いました。ただ人生長い目で見た時のたったの1年間なのでと心を奮い立たせて、飛行機に乗り込み初めての一人海外に行きました。
勿論友達もいないし、英語も話せませんでした。その不安はめちゃくちゃあってしかも乗り換えもあったので。
今終わってみて一言この時の自分にアドバイスをするとすれば、
英語の勉強を日本にいる時から頑張ってやっとくべきだよって言いたいです。インプットは本当に大事であっちでインプットだと時間は勿体無く感じました。
当時は英会話教室などに通っていましたが、どうせフィリピンで勉強するからって理由で、本気では取り組んでいませんでした。
こんな感じで無事フィリピンに行くことはできました。次はフィリピンでの生活について書きたいと思います。
尚、自分のノートのアカウントはこちら下記のブログで紹介されました。
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