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ブランディングとは「偏見を無くすこと」?

・・・と、ふと考えました。

インタビュー記事制作の目的を”拡散”から”深堀”にシフトさせた瞬間、僕自身がそれまで『My Eyes Tokyo』で約15年間にわたり行ってきたことは、実はブランディングだったのではないか、という気づきを得ました。

1. 東京や日本のブランディング
2. 海外諸国のブランディング

1. では世界5大陸から来た人々を紹介することで、一見しただけでは伺い知れない東京や日本の多様性を示す試みを、2. ではその人たちの姿を見せ肉声を伝えることで、日ごろ”国家”という大きな括りで語られがちな場所を、より身近に感じてもらう試みを行ってきたつもりです。特に日々のニュースでネガティブに語られがちな場所ほど、その逆のイメージを示すことに努めてきました。

これらは、一般に抱れがちな印象(「東京や日本はほぼ単一民族的で、多様性に乏しい」「○○という国は怖い」)を、インタビュー対象者を通じてそっと覆していく作業であったと思います。いえ、むしろそれを狙って行っていました。しかし当時は、それが”ブランディング”の一種なのかもしれないなどとは、一切考えていませんでした。

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あらためて”ブランディング”について調べてみました。Wikipediaには、以下のように書かれています。

「ブランディング、またはブランドマネジメント (英: branding, brand management)は、ブランドに対する共感や信頼などを通じて顧客にとっての価値を高めていく、企業と組織のマーケティング戦略。
ターゲット市場におけるブランドの現状認識の分析から始まり、ブランドがどのように認識されるべきか計画し、計画どおりに認識されるようにすることが目的である。」

僕が『My Eyes Tokyo』で試みてきたのは「ブランドがどのように認識されるべきか計画し、計画どおりに認識されるようにすること」であったと、今にして思います。
また、2つ前の投稿でお伝えした「某市のシティプロモーション」も同じです。その街は県内有数の規模でありながら、近隣の市に比べてブランド力で劣っていた、つまりネガティブな印象を持たれる傾向にありました。しかしそれらを覆し、しかも子育て世代の女性の定住を促すというゴールに向け、その街で活躍する様々な人たちとのインタビューを通じ、近隣には無い、その街のユニークかつポジティブな面を人々に示すことに、チーム一丸となって取り組んでいます。

”偏見”という言葉にたどり着いたのは、さらに最近の話です。僕と一緒に会社を立ち上げたカナダ人スタッフから、こんな動画を紹介してもらいました。​(タイトル:1956 High School Exchange Students in USA Debate on Prejudice: Philippines, Japan, UK, Indonesia)

これは1956年(昭和31年)、アメリカへの交換留学に参加したフィリピン、日本、イギリス、インドネシアの高校生が”Prejudice(偏見)”について議論を交わしている映像です。日本からはYoriko Konishiさんという当時15歳の少女が、英語で果敢にディスカッションに参加されています。

僕はこの映像を詳しく見る前に、この動画のタイトルにある"Prejudice"という言葉にハッとしました。そして「僕がこれまでMy Eyes Tokyoで試みてきたのは、Prejudiceを無くすことだったのだ」と気づいたのです。
(※あらためてこの動画を見ると、当時の状況などが彼らのエピソードに反映されていたり、現在の価値観に照らし合わせるとかなり失礼なことを他のパネリストに言っていたりと、大変興味深いです)
東京や日本に対するPrejudice、そこに住む人々の出身国に対するPrejudice・・・僕はインタビューという手法で「こういう素敵な一面があるんですよ!」と、人々が抱きがちな偏見をオセロのように裏返そうとしてきたのだと思います。

とはいえ、僕はブランディングというものを走りながら勉強している最中。「ブランディングとは、偏見を無くすことである」という僕が立てた仮説は、その道のプロの皆さんから一笑に付されるかもしれません。今後さらに学ぶ中で見方が変わるかもしれませんが、それまではこのようなゴールを胸に、よちよち歩きで人・街・企業などのブランディングに携わらせていただければと思います。

諸先輩方、どうかお手柔らかにお願いいたします・・・

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