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【読書記録】汝、星のごとく

今回は、凪良ゆうさんの「汝、星のごとく」です。
これまでのnote記事とは異なり、かなり新しい作品ですが、衝動買いして衝動読み(?)して、感情が高ぶりまくってるのでこのまま衝動に任せて書いてしまうことにしました。
勢いのまま感想を書いているので綺麗な文章ではないかもしれませんがご容赦ください。

読み終わって最初に思ったことたち

あらゆるパラレルな可能性が浮かぶところが、流浪の月を彷彿とさせた。私はこの二作品しか読んでないけど、ああ、こういう物語を書く人なのだろうなぁと思った。
読みながら何度も思ってしまう。あの時、こうしていれば。あの時、こうだったら。
どれだけ ”たられば” がたくさん浮かぼうとも、多分、いやきっと、その時その場所に立てば彼彼女らはまたその道を選んでしまうのであろうこと。それは、選んでしまう、かもしれないし、選ばざるを得ない、かもしれないこと。この世界のどこかに本当に、彼らのような人たちはいるのだろうということ。誰だって傷つかずに生きるというのは無理なんだろうこと。でも、そう分かっていてもやっぱりこの世というものは、とても残酷だと思うこと。

読みながら思ったこと

自分の中にぴったりはまる人というのは、世の中にそういるものではないのかもしれない。そういう人と出会えて、障壁なく寄り添って生きてゆくことができれば、なんと幸せだろうか。
逆に言えばそういう人に一度でも出会ってしまったら、その人以外ではもう埋められないのかもしれない。

もしそうであったとしても、こういう救いも、存在するのか。こういう支えあい方も、あっていいのか、そう思った。
ぴったりはまって自分そのものみたいになるような恋や愛ではない。その人といれば1人じゃなくなる、というわけでもない。ひとりぼっちを分け合えるようになるという感覚。こんな救いもあるんだ。
そういう場所を見つけられたのなら、これからも、大丈夫かもしれない。

分かり合えないと気づくこと、他人は他人であり、自分もまた、自分であるということ。本当の意味でそれを理解するのは、きっと恐ろしく難しい。そして、それを受け入れた上で人と接するのは、さらに難しい。

少し落ち着いて考えたこと

すれ違いとか、歯車がずれていくとか、説明しようとするとそういう言葉になってしまいそうで、哀しくなる。本当は全然そんな簡単な言葉で表せるものではないのに。男女のすれ違いの物語はこれまで何度か読んできたけれど、その時に感じたもどかしさのようなものとは、全く違う感情になる物語だったから。
彼らが選んだ人生 (選ばされた、かもしれないけれど) は、彼らだけのものであるから。暁海ちゃんがダメだと思うならば、きっと本当にダメで、櫂くんが無理だというのなら、きっと本当に無理なのだ。

読者すら彼らの人生に意見することは許されていない。けれど同時に、この物語の解釈は読者一人一人に委ねられている。そんな風に感じた。なんて美しくて優しい作品なのだろう。

誰も悪くない。でももしかすると、みんな悪い。
誰もが自分の人生の責任を持っている、というのは恐らく「正しい意見」なんだと思う。同時に誰もが、自分だけではその責任を抱えられないということもまた、真なのだと知っている。そしてつまりそれは誰もが、自分が誰かの人生の責任の一端を握っているということを知っているということでもある。

久しぶりの感覚だった

私が息をつく間もなく、どんどん物語の中では時が流れていく。章を終えて次のページをめくると、幾分か時間が流れていて、その時間の分だけ変わったことと変わってないことがそこに存在していた。
三分の一を超えたあたりから、先へ、先へ、彼らの未来がどうなるのかを早く知りたくて、早く、早く、と思って、ぐいぐい読んでしまった。同時に読み進めてゆけばゆくほどに、終わりがきてしまうのが惜しくなっていった。
終わりに近づくにつれ、彼らの時間がもっとゆっくり、ゆっくり進んでほしいと思った。出来る限り、ゆっくり。私がゆっくり読んだところで、彼らの時間は変わらないのに、ここにある物語は形を変えることはないと分かっているのに、何度も前に戻っては進み、本を閉じて、涙を拭いて、また本を開いて読み進めては戻って、というのを繰り返した。繰り返して繰り返して、ようやく読み終えて、しばらくはぼんやりしていた。こんな風に本を読んだのは、久しぶりだった。

凪良ゆうさん、及びこの本の出版に関わったすべての方々、ありがとうございます。
そして衝動に任せてこの本をレジに持って行った私、ありがとう。

今回はここまでです。
ぜひ、読んでみて欲しいです。
この物語を必要としている人に、この物語が届きますように。


あー明日、目腫れるなあ。

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