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創造的なフェスとは?に対する二つの回答

今、参加しているゼミの選考テーマを超えた集まりが
先日ありました。

UOCというイベントです。

その中で、一つの問いが投げかけられたわけですが、お題が
「創造性×フェスとは?」というものでした、

各自から様々な面白いアイデアが出てきました、
自然の話だったり、ヨガの話だったり、

さすがの個性派集団だなと、
ただ、私の考えは他の方とは一線を画すものとなっておりました

●フェス=非日常だとすると

フェスを暗黙の前提で、「非日常」と捉えるとすると、
自分という人格における日常とは異なる場所、

例えば、普段都会で過ごしているとすると、
自然の中で過ごすことは非日常なわけです、

それを逆説的に受け止めると、
自分という人格さえ、変えることができれば
特別な体験は必要ないということです、

もう少し分かり易く言うと、
「自分以外のヒトの日常生活を体験してみること」

これも立派な非日常なわけで、
フェスのコンテンツの有力候補なわけです、

様々な話題において、
暗黙のうちにこの前提が設定され、

思考の範囲を狭めてしまう、

創造性の最大の敵は先入観である、とも言えます

そこから派生して、ヒトの目から見た自分を見てみる、
というのも興味深いかもしれません

●目線を変える

上の例と通ずる点もありますが、
次に考えたのが、

「目線を変えて過ごしてみる」ということです、

例えばお子様向けの商品の開発をする際に、
目線をお子様に合わせることで、

どのように感じるかを認識する、
ということを聞いた記憶があります、

さらにそれを発展させて、
「アリの目線で1日過ごしてみる」
というのはどうだろうか、と考えています。

1日経過してももしかすると
ほとんど移動距離はないかもしれません、

その他、野菜だったり、木だったり、
長い年月を経て、その形に落ち着いた
生命におけるある種の答え、

その目線で1日を過ごしてみるのがどうか、
ということです、

我々はITの進化などにより
地球が狭くなったと感じておりますが、

もしかすると、
アリにはそんなことは関係ないかもしれません、

このプランは比較的上々でした

●双方において大事なこと

上にも書かせていただきましたが、
非日常というと、皆少し大げさに考えすぎです、

フェスにしても、過去の経験を基に
こうでないといけない、そうなります、

ただ、そこで大事なのが、
前提を疑うことで、「こういうもんだ」自体を
如何にして打ち壊すか、です、

今回でいうと、
日常と非日常という二つの対立概念が存在しますが、

日常をそもそも非日常にするには、
日常=自分、非日常=自分以外、

この発想ができるかがポイントになります

そのためには、日々考えまくること、これが大事ですね、

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