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ツボ売り4

「お世話になっております!グランドオフィスのやまもとです!」

「だから移転の話は一旦延期になったんですよ。何度も電話してこないでください」

岸部からもらったリストに電話を掛けるが、たいていが担当者不在かそれとも移転しないという一点張りだった。そもそも見込みの薄いリストという話なのだからこれで売り上げがあがるわけは無い。

岸部もわかっているのになぜこのリストを自分に渡したのだろうか。

朝から電話をし続けているがすでに25件を越えるが1件も移転をする気配がない。いやそもそも見込みが無いのかもしれない。1件だけ移転を検討していると言われたが、坪数や価格やどういった理由で探しているかが全く分からず電話を切られてしまった。

こんなことにどんな意味があるのだろう。

山本の心に不安の影が広がる。自分はこのまま電話して案件が無いまま今月を終えてしまうのだろうか、岸部のリストが終わったら自分は何をすればいいのだろう頭が真っ白になりそうだ。

いや、今はこれしかできないのだから電話すべきか・・・電話をプッシュする手が止まる。

移転を促すことで企業の価値を上げ、オフィス移転の協力をすることに意義があるという大曲社長の言葉に感銘を受けたが、今やっていることは完全に押し売りではないか?とも考え始めた。

いやそもそも半月間空室確認だけをして今さら売上を上げろと言われてもと同様の疑問も湧いてくる。

企業の社長との商談など影も形もない

岸部に質問に向かいたいが、岸部は多忙である。会社の中にいることがほとんどなく、1日の半分は商談と内見である。見込みの薄いリストを後輩に投げて自分は見込みが強い案件に絞れば売り上げがあがる。

他の課からは尊敬できる稼ぎ頭なのかもしれないがそれは他人が作り上げた勝手な偶像だとその時山本は思った。

岸部の課は営業がほとんど会社にいない。岸部と同じく皆商談や内見があるから、全員が集まるのは水曜の夜に行われる課の数字報告会のみである。

夕方17時 岸部が営業から戻ってきた

「岸部さん、いただいたリストを電話したのですがどれも移転したいというような話は無かったです。やはり見込みが薄いリストでは・・・」

「そうか、何件電話したの?」

「40社ほど電話しました」

「少ないね、1日あったんでしょ?100はいけると思うのに何してたの?」そういった岸部の言葉

「一生懸命電話しましたし、100件はさすがに・・・」

というと岸部はおもむろにリストに載っている企業に電話を掛けた。

「お世話になってますーグランドオフィスの、あ、はいそうです。かしこまりましたーまた改めますー。」
一連のスピード感にも驚いたが聞いたことのない明るい声だったことも衝撃的だた。

「35秒」
「え?」

「だから35秒、1件の電話」

「断られる薄い顧客に対しての電話は1件35秒なの。という事は約1分に2件は電話できるのよ。1時間あればこんな電話なら100件掛けられる。君は新人だし1件あたりもう少し割り切りができなくて時間がかかるとは思っていたけどさ」

「4時間ちょっとあって40件てことは1時間あたり10件も掛けて無いってことでしょ。手数が少ないの、余計な事考えてたり他の人の目が無いから休み休みやっていたんじゃないの?」

言われてみれば、1件ごとに立ち止まっていた事には言い訳のしようがない。しかし言われても30秒で電話が終わることにどんな意味があるのだろうか。

「まあいいや、そんでリストの40件から1件も移転ニーズはなかったの?」

「1件移転したい意向があると言われましたが、坪数も時期も教えてもらえませんでした。多分体の良い断り文句かと思います」

「それどの会社?」「インターセクション株式会社というIT系の企業です」

「リスト貸してみな」岸部はそういって、リストを眺めPCで打ち込んだ後に受話器に手をやった。午前中に掛けたリストなんだからどうせまた同じ結末になる・・・そう山本は思った。

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「それでは!週明けの月曜日の午後に2名でお伺いします!はいよろしくお願いします。はい、イメージ湧いてます。」

「どうして・・?」岸部に対しての第一声だった。

「君はこの会社が移転しないと思ったけど、俺は違うと思ったそれだけだよ」
「種明かしをするなら俺は会社概要を見たのさ、薄いとはいっても一度は案件として扱ったから可能性は0じゃない。そして、この企業は現在千駄ヶ谷にオフィスがあるベンチャー企業、坪数は物件データを見れば大体わかる22坪だ。この手の企業が移転するのは大抵拡張移転だ。ということは1.5倍から2倍の移転先を探していると思ってカマをかけたのよ」

「良いか?リストなんて言うのは誰が掛けても大抵同じなのよ」「違うのは、タイミングや移転をする意思があるかを感じとる嗅覚」「嗅覚が無いとモノにはできない、惜しかったな!ただこの電話掛けたのは俺だし案件じゃないって言ったのは君だからこの案件は俺がやるぜ。」

そういって山本は課の数字報告会に向かった。新人である山本は当然案件が無いので報告すべきことは無い。つまり自分の座席で帰りを待つ事のみが許されている。

悔しさよりも呆気に取られた。と同時に自分がやっていた作業の未熟さと先輩社員である岸部との明らかな器の差を垣間みた。同じ電話を行っていてもスピードが違う。そして「嗅覚」が違う。

自分はまだスタートラインにも立ててなかった。案件は持っていかれた。今日の収穫は0だ、明日も電話かけねばならない。

しかし、一見不愛想に見えた岸部の教えは山本を一歩大人にするには十分な刺激となった。嗅覚が甘ければ他人に取られる、そして取られても言い訳はできない。

案件の濃い薄いは嗅覚を高めなければ何件電話しても無駄になってしまう。すこしだけ光が見えてきた・・・・ような気がした。



主にオフィスに関する不動産知識や趣味で短文小説を書いています。第1作目のツボ売り、それ以外も不動産界隈の話を書いていければ良いなと思っています。 サポート貰えると記事を書いてる励みになります。いいねをしてくれるだけでも読者がいる実感が持ててやる気が出ます