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速習スティービー・ワンダー、神期の前 リアル70年代〜洋楽女子話番外編1

母の私の音楽好きが災いしたのか、子供2人がポップスの作曲家と、クラッシック演奏家を目指すようになったのか?…とちょっと後悔?もなくは無いけど。

70年代半ばから音楽が生きることを助けてくれたけど、黒歴史(?)を抜けて、真面目に、洋楽にハマる。笑

その1人がスティービー・ワンダーで、今回ライブ前の。特別編な感じで。
勝手に始めます。短期集中?笑
一緒に、振り返って下さい。

大好きなアーティスト


誰しも、大事な曲があり、アーティストがいるし。
洋楽に限らず、歌謡曲だろうと、なんだろうと。
思い出の曲や音楽はありますよね〜。
めちゃくちゃファンじゃ無くても。

私も色々好きなアーティストがいるけど、「一番好きなのは、カーラ・ボノフ!」とか言っても、多分99.9%の相手は、ボカ〜ンだろうし、私もそこまでは、入れ込んでもない。笑
で、やっぱり最近も、ずっと続けて昔の音楽を聴き続けてるか?って言うと、そうでもなかったり。

その中で、ずっと聴き続けたし、続けるハメになったアーティストが、スティービー,ワンダーで。
マイケル・ジャクソンも、まあまあ聴いたけど、ずっとじゃ無いし、長さ深さ含めて、やっぱり、スティービーな感じで。
私自身だけでなく、子供もハマって。
まあ、家族でも、あまり興味の無い人は1人いるけど。笑
テーマにも合う『I Wish』(邦題回想)

歌詞付きで。
高校時代。色々辛かったし、忘れたくもあるけど、何故か戻りたい時代とかを、思い出させてくれる曲。歌詞もそんな内容。
前にアルバム
『Songs in the Key of Life』
を入手した話は、下の↓に書いたけど。

今回、久々にライブを観るならで、ちょっと年代順に、昔のアルバムの好きな曲なんかを、まとめてみようかと。

私が中学生時代には、あのアルバムから、
『Sir Duke』(邦題愛するデューク)
が、大ヒットして、日本のラジオでも聴かない日が、無いぐらい流れてはいた。
が、学校にはブラックなミュージシャン好きなんて、やっぱり1人もおらず。
AOR好きも、フュージョン好きもいなかった。笑うしかないぐらい、誰も共感してくれず。

相変わらずの友人なし笑


男子には、多分音楽にわりと詳しい女子ってだけで、敬遠される雰囲気もあって。
ちなみに、前に書いた,初の彼氏は音楽にあまり興味無し。笑
「イーグルスは知ってるし、聴いてるけど…」ぐらいの人で。
だから、ウォークマンが、あの時代に欲しかった。笑
知り合いの男子には、ほぼ音楽の話も禁句な感じ。
後に高2ぐらいになってからは、音楽の話がわりと出来る、男性の友達は出来た。
1人はバンドで食べていこうと、もがいてて。音楽に力を入れてる店で、バイトもしてた人。
この人のバンドが、大学の学祭に出るのも、観に行ったりはした。単なる歳の離れた友人?知り合いな感じで。
彼の音楽の好みは、AORあたりから、ロック寄りな感じで、やっぱりブラック被りは、なかなかいなくて。

10代のスティービー

一応、11歳でのデビュー曲はヒットしなかった。自作曲でもなかったし。2曲目は小さくヒット。 
そして、4枚目のシングルと、アルバムでブレイクして。
シングル、アルバムでチャートで、No.1を取った。
リリース時は12歳、No.1記録は、13歳で、最年少記録。笑
ハーモニカでお馴染みな『Fingertips』

録音は12歳だから、やっぱり声が高い。可愛い。笑
レコード後に声も変わってるし、ライブ映像の演奏のほうが、カッコいいけど、敢えてレコード版で。コレがNo.1だから。
この曲は、基本的には、ハーモニカしか吹いてない。バックはJAZZテイストも、入っててカッコ良い。自由にハーモニカ吹いてる感じも、良き。
ハーモニカのメロディーの良さを聴いたら、曲作ったらどうなる?ってなる感じ。歌わないスティービー。笑
ずっとこの曲の路線なら、まあ古くても、まだまだ聴いてたかも?な感じ。

当時は子供だから、印税とかライブのギャラも、モータウンが管理して、週給は2ドル50セント。なんか、中途半端な金額だけど。笑
搾取とか言われるけど、その後若くしてお金を手にしたために、おかしくなっていった人も見てきたし。
金額は安過ぎるし、待遇は悪いけど、20歳までは大人が管理するのは、考え方としては悪くはないかも?
ま、大人に任せて、家族や身内に任せて、勝手にお金使われてて残らなくて、確執だけが残った人もいるから、手数料払ってでも、弁護士なりに頼むのが、安心かも?とか、ちょっと感じるかなぁ。笑

その後も、何枚もアルバムを出して、売れ続けた。
けれど、ファンの私でも、このあたりは、遡って繰り返して聴くのはキツい。笑
60年代特に前半は録音が悪いし、声や歌の伸びもなんかも、ちゃんとわからないし。
声変わりした時期、モータウンは、彼との契約切るかを検討したとか、真面目に商売しか考えないんか?な感じは、ちょっとセンスを疑う。笑
絶対に、何とかなるレベル以上の、何かをもってるやん!この人はって。笑

アルバムのサウンドは、他のグループの曲より、ストリングス多めの王道アレンジだったりして、より古さを感じたし、曲も他の人が書いたのだったりするから、面白くない感じで。
さすがに、私もほぼ聴かない感じ。
JAZZのアルバムなんかは、古いのも大丈夫なんだけど。

『Uptight 』は66年。彼が50年生まれだから、まだ16歳。
イントロなんかは、まだまだモータウン風だけど、好きな曲。

多分、モータウン博物館の見学で、一般的に見られるのは、このあたりの曲を作ってた時期のスタジオ。
社長が昔住んでた家が、博物館的になってるみたいだし。
館内は、写真撮影禁止らしいので、しっかり目に焼き付けてこようかと。
ボケてるし、アホだし、気分だけ盛り上がって、何も覚えてない可能性は、大だけど。笑

スティービー・ワンダーのアルバムも、どの時代までが、好きかも意見は別れる感じで。
が、初期だけが好きな人は、多分めちゃくちゃ少数派な感じはする。笑
今回は、外せないアルバム以前の曲を、いくつか。
そこら辺のBGMで、他の人のバージョンやら、オルゴール編曲やら、色々と流れてるから、誰もが聴いたことのある曲のオンパレードなんだけど。笑

『A Place in the Sun 』
(邦題太陽の当たる場所)

この動画は、訳が歌詞に付いてるけど、皆んなが人生が終わるまでに、太陽の当たる場所に辿り着けるのか?ってなる。
自作曲じゃないけど。
スティービーは、スターにはなったし、ずっと表舞台にはいるけど、レーシック手術はしたけど。
多分老眼の私より、相変わらず何も見えてないよね。笑
ちょっとは、明暗はわかるし、見えてる説もあるみたいだけど。
日の当たる場所がどこかは、多分人それぞれ。
彼には太陽の明るさを、一度ちゃんと見て欲しい気持ちはある。

カバー曲、自作以外が半分ぐらいある時期

次のアルバムも、まだカバー曲もたくさん歌ってる。オーティスの『Respect』なんかも、歌ってるけど、やっぱりスティービーなら、ハーモニーカのこの曲。
ガールフレンドに書いた曲が、若さの感じが出てるかなぁ。
『I Was Made to Love Her』
(邦題愛するあの娘に)

サウンドは、やっぱりかなり古い感じ。ハーモニカは相変わらず好き。10代で、コレだけ歌えるのは、他はマイケルか、フィンガー5のアキラか?な感じ。笑
こんなタイトルの曲は、20代後半になると、イタイ感じだけど。
この辺りの自作曲を、セルフカバーして欲しい気持ちは、なくはない。
サウンドが古くて、聴かれなくなるには、ちょっともったいない感じがして。
凝ったアレンジじゃなくて良いんだけど。
まあ、まだストックで出してない曲が、何千とかあるなら、やりそうにないけど。笑

アルバムを何枚か挟んで、68年アルバムも、『For Once in my Life』はタイトル曲含めて、カバーや自作じゃない曲も、かなり入ってる。
プロデューサーが、まだモータウンの人の時代。
前に記事に書いた、『Sunny』とかも、カバーしてる。やっぱり、サウンドが古いから、遡って聴こうとした80年代でも、CDを買うのはやめとく?な感じだった。笑

次のアルバム69年のは、タイトル曲
『My Cherie Amou』は、スティービーも入ってるけど、共作になってて。
この曲のチャートは、4位。
コレが1位が取れないってなぁって、昔聞いた時に思ったかなぁ。
モータウンのガールズグループより、やっぱり評価は下なのか?な感じで。笑

が、何故だかドアーズの『Light My Fire』(邦題ハートに火をつけて)とか、ムード音楽な感じの
『The Shadow of Your Smile』
(邦題いそしぎ)なんかも歌ってるし。
基本的に、あの明るめの声には、ドアーズとかは、素人でも合わないって思うんだけど。笑
ムード曲も、合わない感じだし。
アルバム全体も、まとまりが無い感じで。後のアルバムとは違って。
ここらあたりが、スティービーの無駄遣いな感じはあるかなぁ。
聴いたことない方は、聴いてみてくださいまし。
かなり、何だかヘンテコな感じになってて、ドアーズの曲の良さも無くなった感じで。
『Light My Fire』(邦題ハートに火をつけて)彼のファンでも、あまり聴きたくならない感じ。笑
ハーモニカは良いんだけど、ストリングスとか、全体の感じが、これじゃ無い!感じがして。

まだ、ジム・モリソンも生きてた時期だし、「なんじゃコレ?」って、文句言いそうな感じで。ソウルバージョンって言うとそうなんだけど。笑
やっぱり、プロデューサーとか、選曲やアレンジは、大事だなぁって。
ちょうど、この年あたりで学校を卒業してるし、当時はもう歌うより、曲を作るほうが好きだったらしいし、150曲以上書き溜めてたとか。
セルフプロデュースになる、自分で曲を全部書くようになるまで、基本的にはこんな感じが続いて。
外野の私なんかは、才能あるから曲を全部書かせて、サウンドとかアレンジだけに、プロデューサーが関わるとかを、もっと早くやらせてあげてたら、若かった彼が、どんな曲書いたかなぁ…はある。 

『Signed, Sealed & Delivered』
(邦題涙をとどけて)も、タイトル曲は好きだけど、これも共作になってる。
他も半分近くが自作じゃないし、自分の曲も彼の色があまりない。
タイトル曲はソウル風な曲の感じで。これなら、いける感じだけど。
アレンジとか含めて、彼色が無いせいもある感じ。

ライブアルバムとかを挟んで、70年に結婚。
20歳で結婚ってね。まあ、普通は勇気要りそうだけど。笑

で、71年に、念願のセルフプロデュースのアルバム。
『Where I'm Coming From』
(邦題青春の軌跡)
邦題は青春になってるけど、全部の曲が奥さんとの共作になってるから、まあ愛の軌跡な感じ。笑
が、マーヴィン・ゲイなんかと一緒に、セルフプロデュースをやらせて貰うように、色々交渉したりと、頑張ったみたいだし。
大人になった俺!な感じだったのかも?

シングルのこの曲はヒットはしたけど、
私が聴いても、スティービーらしさが薄すぎるイメージ。
『If You Really Love Me』
(邦題愛してくれるなら)
ちょっと昔のシカゴっぽいアレンジ。笑

アメリカの60年代は、日本以上に激動の時代だったから、公民権がらみの暗殺や、ベトナム戦争は、スティービーにとっても、色々と考えさせられたようだし、曲にも反映はされてる。ベトナムで戦う兵士のための曲もアルバムには入ってるし。
モータウンの会社にも、自作曲を入れてくれない不満も募ってたようで、契約もこのアルバムを最後にするつもりだったようだし。

が、まあアルバムは、セルフプロデュースにして、一気に変わった訳でもなく。
ここらへんが、難しいところかも?はある。笑
ご自分でも、急ぎ過ぎたとか、コメントしているようだし。
やっぱり、プロデュースって簡単にはいかない、経験はそれなりに必要か?な感じなのかなぁ。
まあ、天才に近いけど、ちょっと凡人な感じがして、私みたいな凡人はホッとする?笑

次のアルバムが、72年の
『Music of My Mind』(邦題心の詩)
タイトル通り、多分彼の中にある音楽を、形にした感じで。
で、このあたりから、彼らしさと、自分で曲作りする楽しさが、曲に現れてくる感じで。シングル曲の
『Keep on Running』。

疾走感はあるし、カッコ良いし、好き。
若さを凄く感じる。この年齢ならでは感じはする。
反対に、モータウンサウンド時代の彼のファンは、ビックリしたかも?な感じもする。
ファンキーなロックなテイストが、この後のスティービーとも違う感じ。
が、ちょっと色は出てきたけど、仮にこのアルバムが、別のド新人の作だったら、めちゃくちゃ売れたか?は、疑問な感じ。笑
悪くは無いけど、どハマりするような曲は無い感じで。久しぶりに聴いたら、カッコ良いけど。笑
だから、個人的にはここまでは、模索期かなぁって感じてて。
彼が、自分らしさで、本領発揮するのは、この後のアルバムから。

こうやって、まとめていくと、リトルスティービーワンダーの時代から、ちょうど10年ぐらい。
まあまあ、普通にアーティストの歴としては長いし、昔だからレコードを出した枚数も凄いし。
ベストとか無しで、普通のアルバム、ライブアルバム含めて17枚。
だいたい、年に2枚近いペース。笑
今やそんな人は、誰もいないし、彼も最近はアルバムは10年に1枚か?ぐらいしか、出してないけど。

この時期は、全部曲も書いてないし、コンセプトアルバム的な、レイ・チャールズに捧げるアルバムとかもあるし。
が、歌をレコーディングするだけでも、曲数考えたら大変よなぁ…ってなる。
「青春時代はいづこに?」な感じもある。笑
盲学校の生徒だったし、卒業はしたみたいだけど。
60年代には、先輩の代わりにモータウンの日本ツアーに参加して、10代で来日もしてる。
凡人は、中高生やって、大学生の時代だから。悩める思春期があったかは、知らないけど。笑

が、まあここまでの感じだと、多分私もそれほどハマらなかったかも?はある。笑
歌とハーモニカは上手いけど、曲はイマイチなのもあるし、半分は他の人の曲の上に、その選曲も?な曲もあるし。笑
被る時期もある、マイケル・ジャクソンが一番とかになってたかも?とか。

番組のセサミストリートでも、散々聴かされた、『ABC』。70年リリース。
時期は紹介したアルバムの最後が、72年だから、ほぼ同じ時期。
この曲の出来上がりなんか聴いてると、モータウンのソングライターは、それなりに良かったかも?笑

が、黒人の地位が低い時代に、マーヴィン・ゲイなんかと一緒に、自分たちの音楽のために、プロデュース権、アルバムの中身や、歌詞にも文句を言わせない。自分たちの考えたように作る自由を、勝ち取ったことは、やっぱり評価はしたくて。自作曲を形にしたいって。
今なら自分で書くなら、レコード会社は、「どうぞ、どうぞ」の、ダチョウ倶楽部状態なんだろうけど。笑
モータウンの社長の、ブラック系のゴーディーは曲も作ってたし、プロデューサーもやってたから、厳しかったのか?
管理して、売れるモノを作りたかったのか?
モータウンの映画なんかを観ても、イマイチ判定出来ないけど。
マシーンや工場のように、ヒットしそうな曲を量産してたことだけは、わかったけど。笑

最終的には自作曲で、シンガーソングライターとして、成功したんだから、社長は才能を見つける目はあったのかなぁ。
マイケルは移籍するけど、彼もモータウン育ちだし。


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