上海の記憶
去年の11月、私は台湾に行った。じつはこれは初めてではない。
2歳の時、母に連れられて来ているはずなのだ。
ただ、そんな記憶はすでに残っていないし、街を歩いて感じる懐かしさはすべて上海に住んでいた経験からきているように思う。蒸し器から香る饅頭の匂いは、烏魯木齊路に住んでいた時に近くにあったチャーシュー饅頭屋のことを思い出す。バイクが忙しく通る道沿いの少し洋風な建築は、住んでいたフランス租界の街並みを想起させる。(当時は単純に「フランスソカイ」に住んでいるという認識だったが、今となって、父は本当に良い場所に家を見つけてくれていたと思う。)
私は上海では国際学校に通っていて、中国の規制により、同級生に中国人の子はいなかった。そのかわり、中国語を話す相手は全員台湾人か香港人で、私が小学校から仲の良かった子は台湾の女の子だった。ほとんど彼女から中国語を学んだので、最初の頃、両親は台湾訛りを完全に真似て帰ってくる娘に度肝を抜かれていた。どこか懐かしい響きと感じるのはどちらかというと台湾訛りの気がする。しかし、やはりそれは上海での経験があるゆえの懐かしさに過ぎない。
台湾から帰ってきて数ヶ月が経っているが、自分に対して疑問に思うことは、果たして私は本当に台湾を体験したのだろうかというところだ。
どうしても上海のレンズを通して台湾を見てしまっているのではないかと思ってしまう。
幼い時に中国にいたゆえに、今でも両国の歴史に疎い部分があるのは反省するべきところだが、やっぱり台湾にいたときは自分の記憶の中の上海を探していた。
台湾でタクシーの運転手に「中国語うまいね、どこからきたの」と聞かれ、上海に住んでいた話をする。「なるほどね!だってあなた、本土の発音だもんね」と言われた。実はこの時に、自分がいつのまにか台湾訛りではなく、標準語に近い発音であることを認識させられたのだ。上海を離れて6年ほどになるが、私の大部分はその時の記憶で形成されている。
実は1年前、ニューヨークで中学の同級生にあった時も似たような話をした。私たち二人はニューヨークがいかに上海に似ているかで盛り上がった。似た記憶を共有している者同士として、同じ感覚であることを認識できたことはとても興味深かった。そんなに深い話をしたわけではないので、もしかしたら私たちが二つの都市に見出していた共通点は基本的な都市の特徴であったかもしれない。でもその瞬間、間違いなく2月のニューヨークのチェルシーで私たちは上海の街並みを見ていた。
ここ2年で中国が変貌していることを耳には挟んでいるのだが、いまだに行けていない。あの安福路の蘭州牛肉麺屋はどうなっているのだろう。
※この記事の中で使われている写真は全て台湾で撮ったものです。
※もちろん、台湾滞在中に上海の生活を想起させる場面は多かったのですが、これは台湾特有だなと想う風景も多々ありました。
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写真を撮ります。翻訳をします。記憶を記録します。
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