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大切なことはすべて茶道が教えてくれる 石川雅俊著 <ビジネスパーソン✖️茶道> 

「マイナスの美学」がマイブーム

まったくちがうジャンルの本を3冊読んでいて偶然出会った「マイナスの美学」という言葉。あまりにも重なりすぎて、運命的なものを感じてしまった。

昔、仕事の研修で茶道を習ったことがあって、当時のことを懐かしく思い出しながら読む。そして茶室にはムダなものが何一つないということに、当時の私は何の疑問も抱かなかった。

余計なものを削ぎ落とされた茶室に、茶花が一輪、掛け軸が一つあるだけで存在感が出てくる。意味のあるもの、役割のあるものの価値を際立たせるために、茶室には何も置かない。

自宅のリビングも同じ。かわいいクッションを買ってきても、床にいろんなものがあるとクッションもその一部と化してしまい、ただの乱雑な部屋になる。

役割のあるもの以外何も置かないことで、インスタ映えするような、友人を招きたくなるような自慢の部屋になるに違いない。

心細やかで豊かな非言語コミュニケーション

非言語コミュニケーションと聞いて、真っ先に思いつくのは「目は口ほどにものを言う」と言うことわざ。口から出てくる言葉は、いくらでもごまかしが効くし、本当のこととは限らない。

でも「目」から出てくる言葉は嘘がつけない。本当のことを言っているかどうかは目を見ればすぐにわかる。それほど目は正直で、純粋な非言語部位だと思う。

お茶の席では無言でいることがルール。私語をしてはならない。大切なお客様を茶室に招き入れ、おもてなしの気持ちを掛け軸や茶花、身振りで伝えるのが茶道の極意。

そして同じ茶室にいる人たちは、お互いに敬い、身も心も清らかで、和やかに過ごすと言うのが作法である。だから、茶道が初めての人がいても、慣れた人がフォローするという心遣いがある。

日常の慌ただしい中にあって、人々が忘れがちな思いやりの気持ちを、茶道を通して思い出させてくれるという効果がある。

質素なものから感じ取る美意識「侘び」

豊臣秀吉が、黄金の茶室を利休に造らせたのは、あまりにも有名な話である。秀吉は派手なことが好きで、茶道にもそれを求めたと伝えられている。

それに対し、利休は質素な物事から、味わい深い美しさを感じ取ることが本物だとして、秀吉とはまったく意見が合わなかったという。

例えは違うかもしれないが、若い女性がばっちりメイクをしているよりも、化粧をすべて洗い流したすっぴんの顔の方が美しいと思える男性の心理に似ているように思う。

豪華すぎるホテルより、人里離れた山小屋の方が自然を感じることができて心も穏やかになる、の方が例えとしては正しいかもしれない。思いついたから付け足してみた。


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