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映画『動乱』から学ぶライフ・コーチング ~情動記憶が決めてしまう~

昨日NHK BSプレミアムで放送された映画『動乱』を観ました。

情動記憶が人の自由をうばっているのかもしれない。


おはようございます。
とこま(tokoma)です。

ライフ・コーチである僕、とこま(tokoma)視点からの映画『動乱』の学びを書かせていただきます。


この映画からの学びは、それは

一部の権力者のために情動記憶が利用されているかも?

ということです。



お話しはこんな感じです。

借金のために芸者に売られようとする姉の薫を救おうと、初年兵の溝口が脱走するが故郷で逮捕され、揉み合った上司を誤って殺害したため射殺されてしまった。隊長の宮城は父に金を用立ててもらい、香典として千円を薫に渡す。東京では五・一五事件が発生し、部下から脱走兵を出した宮城は罰として朝鮮の前線に送られた。現地で宴に招待された宮城は、そこで芸者となった薫と再会。第一連隊に配属となった宮城は・・・。
(「allcinema」より一部引用 https://www.allcinema.net/cinema/147052)


1936年に起きた日本陸軍の青年将校によるクーデター 二・二六事件を題材にした映画です。

この事件を契機として軍が首相の人選や内閣の命運を左右することになり、日本が戦争へと突き進んでいくことになった、といわれています。

このクーデターが人々の情動記憶に強く残る事件であったために、それを一部の権力者が利用したのではないかと思いました。


情動記憶とは、強い情動をともなった過去の記憶です。

意識しているいないにかかわらず、強い情動をともなった過去は、人間にとって意味を持つ過去となります。

その強い情動をもった記憶が自分にとって何が重要かを決定しています。

ですので、何が重要かを決めているのは自分の過去にあるということです。


無意識の行動、ものの見方や考え方なども、情動記憶によって決められています。

このように強い情動をともなった出来事の記憶が、自らの行動をしばってしまうのです。


国民の心をゆるがすような強い情動をともなうような事件は、時として一部の権力者のため利用されることがある。

この映画を観ていてそんなことを思いました。

また、このことは昔の話しではなく、今現在で行われていると感じています。



映画の批評としては賛否両論あるようです。
高倉健と吉永小百合の大スターが共演するということで、当時は大きな話題を呼んだ映画だったようです。

それだけに色々と風当たりも強かったのかもしれません。

歴史ドラマというより夫婦愛、家族愛を描いたドラマだと思いました。

それらの愛が時代の流れに翻弄されてしまい‥‥といった感じですね。



今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。


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