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意識のゆくえ

私は
カラダから意識だけが解放された状態
所謂、、、意識体とやらを経験したことがある

もし、あれが死後の世界、、逝くところなのだとしたら
なんて場所だ。

カラダの重さ(重力)からの解放は確かに最高で、
空の上にでもいる感覚。

けれど
最高なのは、最初だけ。

意識体というのは、自分がどこにいるのか
全く分からない。
というか、どこに居ようが無意味であることを
すぐに悟る。
”場”というのは
カラダという器が機能している物質世界で初めて意味を成す。
すぐにその無意味さに気付くので
どこかは問題ではなくなる。

どこでもない所にいて、いるといっても
”自分””自我”なんてものはない。

なので、在るのは
ただ永遠と続く何かの一部となって
それを感じている感覚だけ。

もちろん意思も選択もないので
よく分からない感情を
まるで切り取られたシーンのように味わう

なぜ
そこにいるかも
なぜ
それを感じなければいけないのかも
何も分からない

何度も何度も
目の前で大事なものを奪われる感覚や
それを圧し殺す感情や、

かと思えば
全てが安全で何も怖いものなどないような
絶対的な愛に包まれる感覚を
淡々と記憶していく。

理由も分からない。

狂気の狭間
1ミリでも動けば破裂するような怒り、殺意を
感じる場所もあった。

まるで色んな人間の頭(脳)から
感情の回路だけを残した部分を意識だけで辿るような、、、

”いつか終わる”という時間の概念は存在せず
わりと早い段階で一度目の正気を失う。
どれほどの時間そこにいても
意識に決定権はなかった。
それは酷く退屈で恐怖で気が何度か狂った。
その度、論理や摂理、道徳、羞恥、倫理
何かを失った状態で
まるでゲームのように
スタートする。
とても機械的だった。

在る瞬間は殺人者(プレイヤー)だし
在る主観は聖者(プログラマー)で在った。

こんなことを繰り返すうちに
システムをつくる側、体験する側、
他者を感じる事がない事に気づく。

結末を知る思考回路を消す
そして、その回路を初めての感覚で辿る。
結末手前で、回路を変え繰り返す。

どの感覚の先にも
見えない安心感があった。
神だと思いたいけど
救いとは何かを
研究している人工知能だといわれたほうがしっくりきてしまう。
無慈悲な経験は、それほどダメージが大きく
悲壮感や悲劇は麻薬のようなものだった。

意識体から、カラダに戻れたとき
人間らしさはなくなっていた
時間の概念のない次元で
永遠と繰り返される
非人道的な感情だけの出来事
思考も感情も麻痺する

赤ん坊の汚れのない
純真無垢さに泣くほど執着していた。
子を想う母の愛に永遠に抱かれていたかった。


無意識の領域というのは
生まれてから経験する
自分が信じた信念の貯蔵庫であり、プログラムである。
良いことも悪いことも
信じたものが現実に投影される
記憶の映写機が現実、現世。

終わりがない絶望
死んでもきっと終わらない

カラダから離れた意識は
どこへいくのか

無は在って無かった。

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